私が住んでいたスコットランドの北にあるスピリチュアルコミュニティであるフィンドホーンは3人の創始者によって作られました。
1960年代、仕事もなくお金もなく家もない3人がキャラバンカーで流れ着いたのがフィンドホーンのビーチでした。
彼らはコミュニティを作ろうという意図があったわけではないのに、自然と人が集まってきてそこから物語が始まったのです。
フィンドホーンの創始者は3人。
ピーター・キャディ、ピーターの妻のアイリーン・キャディ、友人のドロシー・マクリーン。
ピーターはカリスマ性があある実行力にあふれた元軍人。リーダータイプ。
アイリーンは神からのメッセージを受け取ることのできる人。
そしてドロシーは植物のディーバとつながることのできる人でした。
フィンドホーンについての本を読むと、いろいろなエピソードが書いてあり、興味深いです。
ピーターが生い茂っていたゴースの茂みを刈り倒してしまい、ドロシーが激怒したとか、アイリーンが静かに瞑想のできる場所を探した挙句、ビーチにある共同トイレで朝4時から2時間毎日瞑想したとか。。。
ラブインアクションと言う言葉はピーターがクルーニーホテルの支配人であった時に作ったとか。
3人それぞれの資質があり、どれが欠けてもフィンドホーンはできなかったかもしれません。
昔、私がファンデーションプログラムをやっていた時、自分はそのタイプなのかを考えるという時間がありました。
ピーター・キャディ 実際的 リーダーシップ カリスマ 実行力 しかしメッセージが受け取れない
アイリーン・キャディ 瞑想の中で神からのメッセージを受け取る
ドロシー・マクリーン 植物のディーバとつながる
その時の判定では私はピーターでした。
先日、フィンドホーンで一緒だった友人とスカイプで話していたら彼は初期のころのフィンドホーンに行っていて、ピーターに会ったことがあると言っていました。
どんな人だった?と聞くと、「神からのメッセージを受け取れないことを気に病んでいた。」と言います。
どんなに頑張ってもメッセージが受け取れず、瞑想すれば眠ってしまう。(私だ)
彼に聞いてみました。「私はどのタイプだと思う?」
「君はピーターだ。」と彼は即答。「structureが好きだから」
メッセージは受け取れないが実行力がある。瞑想で眠ってしまう。。。
う~ん認めたくないけどそうかも。
人生で迷ったとき、いくら祈っても瞑想してもメッセージを受け取ったことはありません。
そのかわりに何かが起こって否応なしにそちらに導かれることはありました。
私は実際に会ったことのあるのはアイリーンとドロシーだけです。
私がフィンドホーンに来たときは、ピーターはすでに自動車事故で亡くなっていました。
体験週間でアイリーンに会ったときは大好きになりました。
とてもやさしくてかわいいおばあちゃんと言う感じで、でも語る言葉は深くて愛に満ちていました。
ドロシーはとにかく頭の回転が速くて賢い人という印象でした。植物のディーバとつながるのはラジオのチューニングをするのと同じだと話してくれました。
亡くなり
ドロシーは100歳まで生きてフィンドホーンで亡くなりました。
キッチンで働いていたころ、ドロシーのバンガローにディナーやランチを届けたものです。
懐かしい思い出です。
今やフィンドホーンは創始者の最後の1人を失って迷走しているように思われます。
去年の春には放火によりフィンドホーンの心臓部であるサンクチュアリとコミュニティセンターが全焼しました。
フィンドホーンの10年来のメンバーであった人が解雇されてその日の夜に放火したのです。
幸いにもコロナのせいで閉鎖同然だったのでけが人も死人も出ませんでした。
でも深い傷を残しました。
たまたまその日、私はパソコンを付けたらフィンドホーンが燃え上がっているのをライブで見てしまいました。
ショックでした。
再建しようとしていますが、時間もお金もかかるでしょう。
先週フィンドホーンで一緒にLCGをやっていたスイスの友人からメッセージが届き、今フィンドホーンにいると言ってきました。
バンを買って好きなところを旅しているらしいです。(彼は退職したばかりです)
彼はフィンドホーンはtrue spirit をなくしてしまい、変わってしまったと嘆いていました。
フィンドホーンのコアプログムの体験週間やダンスフェスティバル、LCGプログラムまでが外注になっていると言います。
これはショックでした。
でも私の別の友人は、ほとんどの古いメンバーがコロナのせいでフィンドホーンを去っていった今、ほかの方法はもうないのだろうと言っていました。そうなのかもしれません、
どうであれ、私はフィンドホーンのスピリットは土地にあると信じているので、その土地のエネルギーがある限り、スピリットも生き続けると思います。
まったく違う新しい時代に来ているのです。変化は避けられません。どんな人にも。
その中で生きていかなければならないのです。