私は高齢者の仲間入りをした。
先日、人生会議についてという研修に参加した。
誰もが100%死を迎えるにあたり、どのように生きたいか、
どのように最後を迎えたいかと言うことをちゃんと考える力があるうちに、
身近な大切な人に伝えておこうということ。
今日元気でも明日はわからない。
年が行くほどいつ最後を迎えるかわからない。
80代や90代の高齢者の中には「もういつ死んでもいい」「はよう迎えに来てくれんかな」「生きてるのはもうしんどい」という人がいる。
まだそんなことを言えるうちはいいけれど、認知症が進んで自分が誰で今日が何日で今が何時で明日何をしたらいいのか、誰に聞いたらいいのか、娘がどこのどなたかわからなくなってからでは遅い。
もう命がそんなに長くはないと言われた時、「私は病院に行って注射や点滴を毎日してもらい、最新の治療をして、ご飯が食べられなくなったら胃に穴を開けてそこから栄養のあるものを流し込んで、毎日おむつ交換をしてもらい、ベッドで寝たきりになってでも生き続けたい」のか「私は医療は何もしていらないから最後まで家で家族と一緒に暮らしたい。ヘルパーさんや訪問看護師さんに来てもらってなるべく家族の負担をかけずに介護をしてもらいながら安心して死んでいきたい」など、どう生きたいのかどう死にたいのかを事前に家族と話しておきましょうというお話だった。
私は20年ほど前に中咽頭癌で抗がん剤と放射線治療を3ヶ月して、生き延びた。
それから離婚してヘルパーしてケアマネになった。
がん治療の副作用でか、口腔乾燥がひどくて、嚥下障害も悪化してきている。
食品単体で飲み込むことができるものは豆腐とプリンとヨーグルトとくらいか。
朝昼兼ねて昼食にパン1個、できればクリームとか入ってる甘いものがいい。
一口口に入れ、あまり噛んではいけない。唾液がないのでパンがカチカチになって
しまうからだ。
一口入れたパンにすかさず唾液の代役となるスプーン1杯くらいのミルクティを含むと程よくパンが溶けて飲み込むことができる。
水やお茶だとむせることがある。
ペットボトルのミルクティやコーヒー牛乳くらいのとろみ加減がいい。
これを繰り返すと30~40分かけてやっとパン1個を飲み干すことができる。
夕食は息子の分を作って、飲み込めそうなものを食べる。
野菜炒めのキャベツ、もやし、玉ねぎ、カレーライスの玉ねぎ、人参、じゃがいも、ハンバーグ。どれも一口5分以上噛んでなんとか1/3人前くらいは食べられる。
肉も1かけくらいなら飲み込める位に噛んで、少しずつお茶や水で流しながら飲める
こともある。
魚はお刺身以外は焼いても煮ても喉を通らない。
水分と一緒に飲み込んでも口のなかに残って、下手をするとむせてしまう。
無理をして飲み込んだり、人の目を気にして同じ速度で調子に乗って食べたりすると、喉元のあたりで停滞して口の中に戻って来るならまだましで、食道と胃の入り口辺りに詰まってしまうともう先に進めず、逆流してくると苦しくて、窒息しかける危ない状態を何度も経験している。
息ができなくなって、飛び跳ねたり、走りまわったりしてなんとか少しづつ胃の方に落とすか、何度も吐き戻すしかない。
嘔吐の仕方をミスると誤嚥して窒息死か誤嚥性肺炎で救急搬送になるかもしれないが、今のところ免れている。
だから食事は注意しながら、食べれるものを少しづつ食べるけど、空腹感に負けて、プリン、ヨーグルト、ケーキなどとりあえず飲み込めるものを食べまくってしまうから血糖値が上がってきている。
そろそろ栄養のバランスを考えた食事をミキサーにでもしないといけないかなぁと
悩んでいる。
もう10年20年もしないうちに何も食べれなくなるのかな。
ミキサー食やソフト食を口から食べれていればいいけれど、何も飲み込むこともできなくなったらどうしようか。
胃ろうは嫌だ。24時間点滴も、鼻からチューブも嫌。
それでも食べないと死んでしまうよ!頑張って食べよう!少しずつね!と無理やり口に入れられるのも嫌だ!
食べずに死ぬのと、喉に詰めて死ぬのではどちらが苦しいだろう。
私の人生ノートには、プリンやヨーグルトも飲み込めなくなったら、もう何も与えないでください。
病院に連れて行って胃ろうや経鼻栄養などしないでください。
もうそろそろ死ぬ頃には誰も会いに来ないでください。
一人で生まれてきたのだから一人で死んでいきたいです。
よろしくお願いしますと書こうと思っている。
こんなふうにどう死んでいくかにもいろんな考えがあるように、死に行く家族を介護して看取る家族の考え方も千差万別だろう。
本人と家族との関係も様々。人生ノートに満点はない。本人と家族が後悔の無いように、そうしてほしいと言ってたよね。
そのようにしてあげたよ。という約束ノートかな。同意ノート。
仕事で、たまたま60歳の難病でもう余命がない男性と母親の家族、もうひとりは60歳になったばかりで全身がん転移の末期がんの女性、夫と娘と息子がいる家族を同時期に担当することになった。
男性は病気の告知があったときは落ち込んで何もする気が起きず、家の中のトイレに這って行くこともできなくなって、ベッドから起き上がることもできなくなって、80代の母親が夜中も2時間おきに体位交換やおむつ交換をしていた。
ヘルパーさんに助けてもらいましょう。と何度も提案したけれど他人に迷惑をかけたくないと母は頑張った。
息子はそんな母を少し前まで介護していた側なのに、その母親から介護されることをどう感じていたのだろう。
まだ話ができる頃「あの人(母親)は何を行っても聞かないからしたいようにさせている」と苦笑いしながら、ぼそっと話してくれた。
次第に何も食べることもできなくなり、胃ろうも拒否し、24時間点滴も拒否し、簡単な水分補給くらいの点滴を1日2回していたけど、1回の点滴の量も少しづつ減らしていってほしいと医師に伝えていたらしい。
訪問看護師も母親もその事は知っていて、母親も「何を言っても聞かないから本人がしたいようにさせてやってほしい」と言っていた。母親として死にゆく息子の姿を見ないといけないなんて、そんな辛いことはないだろうに。
もう少し食べれるものをなんとか食べましょうよ。プリン一口でもどうですか?
少しだけ外に出てみませんか?車椅子で散歩しましょうよ。
なんとか笑顔が見たくて話すけれど、もう声も出せなくなっていて、手振りでお母
さんを指差し手を合わせ私の目をじっと見て来た表情は「母親のこと頼みますね」とはっきりと聞こえた気がした。
「大丈夫。まかせて」と伝えた翌日の朝、母親が起こそうとしたら亡くなっていた。
60歳の女性は毎日運動をしていてなんか筋肉痛がひどいなあと病院に行ったら、大腿骨にがんが見つかり全身転移していて、息子や娘はまだ30代で、なんとか治す方法はないかと、医師からは効果の期待はあまりないと言われてもがん治療に専念した。
家族の間で意見の食い違いもあって大喧嘩になったこともあったと聞いた。
癌専門の病院に娘が仕事を休んで車で送り迎えして治療を続けた。
一度本人にこれからどうしたいか、治療は続けていくのかと聞いたら、「子どもや家族が納得できるようにしてくれたらいいんです」と言った。
もうどうすることもできないと医師から言われ、自宅で療養する決断をして、こちらもヘルパーなどの助けは得ず家族だけで介護をして介護ベッドを入れ、トイレまで手すりをつけた数日後全く動けなくなり、手すりを撤去してほしいと家族から言われた翌日亡くなった。
どちらも家族にこうしてほしいとか、こんなことはしてほしくないとか、はっきり伝えたわけではないけれど、逆に一日も早く死ねるようにしたいとか、家族が思うようにしてくれたらいいと言う気持ちを聞いた時、何も言葉が出なかった。
逝く人は、残された人が後悔しないように、死に方ではなく、生きざまを最期まで
見せれたらそれだけでいいのかもしれない。