ワットと付き合いだしたのは、2007年6月。


それまでは友人としてつながってた。

高校時代は、単なるクラスメートとして。
2年間同じ教室で過ごしたけど、用件がない限り話すことは殆どなかった。


国公立大進学を念頭に置いたクラスだったから、みんな良くも悪くもマジメ。
バカなことをして笑い転げること大好きだった私は、なんとなくクラスの雰囲気に馴染めなくて、休み時間は親友のいる隣のクラスによく遊びに行っていた。

クラスメートはみんな「いい人たち」だったから、一緒にいてもさして問題はなかったけど、退屈だった。

私がいたのは文系クラス。
故に女子学生が多かった。
そして、やっぱり女子にありがちな仲良しグループがあった。
私はそのどれにも属さず、フリーランスな立場でいた(多少偏りはあったものの、クラスメート全員と分け隔てなく話せる位置にいたと思う)。
その上、思ったことをズバっと言ってしまう性格。

他の子たちは”隣に倣え”って態度の子が多かったから、私の存在はちょっと浮いていたのかもしれない。

当時のクラスの最大派閥と一緒に昼ごはんを食べている私の姿を見て、

ワットは「3年○組の自民党総裁」とあだ名をつけたらしい。
その話は後日知ったのだが。



信じるって難しい。

一度疑いだすと余計に。


全ての人を信じてないわけじゃない。


特定の人、特定の集団、特定の場合だけなんだけど。


「すべてを信じること」は時に危険だから、
「信じようとする」くらいでいいと 人に言われたことがある。


または


「本当は信じたほうが楽なんだけどね」


とか


「人を裏切るより、人に裏切られた方がいい。だから信じなさい」


とかも 言われる。

最後の言葉は、理屈上わかる。


けど

信じる方が楽?


楽なの? 本当に??

わからない・・・


安心につながるから??


でも 自分の中で発している警報を無視することになるのでは??


信じることの美徳を実感していないから、その大切さがわからない。


けど、疑うことの辛さもわかるから、

人に疑われるような行いはしないように努めてる。


なんだか矛盾してるかも。

疑うことの苦しみを知っているくせに、

信じることの素晴らしくさもわからないなんて。


自慢になんて全然ならないけど、疑われた経験ないからな・・・


ワットのことだって、信じてみたい、信じなきゃって、思ったんだよ。

でもそれは、心の中で思ったんじゃなく、理性で考えたことだったから、ダメだったのかも。


他人を信じるには、自分を信じることだっていうのも、すごくわかるんだけどね。
自分を信じられれば(つまり自信があれば)、他人にどう扱われようと、気にしないでいられるんだろうから。

強さが、足らなかったんだろうな・・・



強さを、ワットから与えてもらおうと思ったことが甘かったのかな・・・



「疑ってしまう」という苦痛を味わわされる相手に、「信じさせてほしい」なんて求めたのが、間違いだったのか・・・








信じること。


誰か、その大切さや、信じ方を、教えてください。

先日、友人と話していた時。


今の状況や心境を、説明していたら。


「なんかコタン、焦ってるように見えるよ」


と言われた。



焦ってる・・・




・・・そうかもしれない。


「早く」次の恋したい(しなくちゃ)、

「早く」引っ越したい、

「早く」新しい仕事見つけなきゃ、

「早く」もっといい女にならなきゃ、・・・


「早く」 ばっかりだ。



もう少しゆっくりでもいいのかな。


自分のペースってやつで。


ゆっくりでいると、自分に甘くなりそうだし、

何より考えたくないことを考えてしまいそうで、

わざと自分を急かしているのは自覚している。


けどそれで自分の首しめてんのかな。


苦しくはないけど、


休まる暇がない。


う~ん。


少し、ペースダウン、してみようかしら。



って、自分の欲求のままにペースを変えるんじゃなく、

頭で考えて変えるあたりが、

腑に落ちないんだけど。