ティム・ヘンマンとアンディ・マレーのプレッシャーの違い | マレー・ファン@ラブテニスワールド

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英国テニス・ナンバーワン選手のアンディ・マレーを応援しながら、
ロンドンでの暮らしを綴るブログです♪
マレーがついに2012年ロンドン五輪で金&銀メダリストとなりました。
一緒に応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!

$マレー・ファン@ラブテニスワールド-ヘンマンとマレー

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数日前にマレーの肩にかかるイギリス国民からの厳しいプレッシャーの話を
しましたが
、今回はマレーがイギリス国民から抱かれている複雑な感情に
ついて話したいと思います。

日本語でイギリスというと、イングランド(England)と混同するかも
しれませんが、英語での表記は、United Kingdom of Great Britain
and Northern Ireland(略してUK)、日本語で正式には『グレートブリテン
及び北アイルランド連合王国』です。

その連合王国に含まれるのは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、
北アイルランドの四ヶ国。

通常これを称して日本語ではイギリスとよびますが、これだとイングランド本土に
他の三ヶ国が含まれているという形容になってしまい、政治的に正しくないという
見方もされています。

ちなみにアイルランド共和国はグレートブリテンに含まれません。

さて、この連合王国は歴史的にも政治的にも非常に複雑な関係にありますが、
スポーツの世界でも、代表がグレートブリテン(ここからイギリスと表記します)に
なったり四ヶ国別になったり、はたまた例外があったりと、使い分けが曖昧です。

たとえば現在自転車競技で大活躍しているカベンディッシュは正式に言えば
マン島出身で、実際はグレートブリテンの4カ国に属していないのですが、
マン島代表ではなくイギリス代表として競技参加しています。

サッカーやラグビーなどは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、
北アイルランド代表と4ヶ国に分かれて出場しますが、テニス、スケートなど
様々な国際競技は、現在4カ国を象徴したイギリスの国旗を掲げています。

でももし四ヶ国別出場がテニスにも適用されたらどうなるのでしょう?

またはスコットランドが独立して、イギリスの一部ではなくなったら…?

アンディ・マレーはスコットランドのダンブレーン出身ですが、現在は
イングランドのサリー州に在住。さらにマレーの家系の4分の1は
イングランド人なので、どちらの国も選ぶことができます。

でもスコットランド人たちのプライドと気質を考えたら、おそらくマレーは
スコットランド代表を選ばざるを得なくなるはずです。

もしイングランド代表を選んだらきっと「スコットランドの裏切り者」なんて
ことにもなりかねません。

ということはマレーがいなかったら、現在のイングランドのトップ選手は
世界156位のジェームス・ウォードとなってしまいます。

ガビーン!!

カナダ国旗を返上してイギリス代表となったグレッグ・ルゼツキーを除くと、
純粋にイングランドから生まれたトップ10選手は、2007年に引退した
ティム・ヘンマン(世界最高4位)が最後。

ヘンマンはイングランドのオックスフォード出身であるばかりでなく、
家系も血統書つきテニス名門一家。毎年ウィンブルドンでヘンマンを
応援するファンが集まるセンターコート前の丘が「ヘンマン・ヒル」とまで
名づけられたくらいの人気でした。

でもヘンマンも夢と薔薇色の日々をすごしたわけではなく、ウィンブルドンに出場
するたびにこれほどのプレッシャーはないというくらいの国の期待を背負い、
負けるたびにマスコミやファンから厳しい批判を受けました。

毎年ヘンマンが負けるたびに、BBCの解説者たちの恐ろしいほどに
残念がる様子を見るのが怖かったくらい(笑

でもそれほど多大な影響を与えるウィンブルドン、と変に納得もしましたが。

さらにヘンマンがラケットを担いでセンターコートから去っていく姿を
コートサイドでじっと見守る両親の姿が涙を誘ったものです。

さてマレーもヘンマンと同じく多大なプレッシャーを背負っていますが、
二人のバックグラウンドを比べると、マレーはヘンマンとは正反対。

マレーは幼少時からスコットランドのナショナル・コーチだった母親のジュディに
テニスの手ほどきを受け、5歳から本格的にテニスを始めますが、
テニス一筋というわけではなく様々なスポーツでも才能を示し、スコットランドの
サッカーのトップクラブ、グラスゴー・レンジャーズからスカウトされたくらいです。

マレーの両親は彼が9歳のときに離婚、しばらく父親と住んだものの、その後は
母親のジュディに育てられました。

このことについて、コートで激しい感情を見せるのは、
両親の離婚がトラウマになっているからかもしれない
と語っています。

また、同じ時期に「ダンブレーン事件」に巻き込まれました。

これはトーマス・ハミルトンがダンブレーン初等学校で無差別に発砲、
17人の児童と教師を射殺した事件です。

このときマレーは机の下に隠れて被害を逃れましたが、この事件に関して
マレーは口を硬く閉ざしています。

14歳になり、マレーは本格的にテニス選手になることを選びます。
このときのマレーの憧れの選手はアンドレ・アガシ。

イギリスではプロを目指すテニス選手はローンテニス協会から援助を受けながら
テニスを学ぶのが普通ですが、マレーはあえてスペインのバルセロナにある
サンチェス・カサル・テニスアカデミーに入学。

この留学費用は母親のジュディが苦労して資金調達したといわれています。

ちなみにこのアカデミーで出会った親友のダニ ヴァルヴァーデュは、現在も
マレー・チームでヒッティングパートナーとしてツアーに同行、またコーチ不在の
ときには臨時コーチも務めています。

マレーは最初はスペイン語が話せず苦労したといいますが、このあたりは、
14歳のときに英語も話せないままフロリダのニック・ボロテリーテニスアカデミーに
入学した錦織圭と似ていますね。

留学後、マレーは『ウィリアム・パト・アルバレス』方式のもと、クレイコートで
みっちりとプロテニス選手となるためのトレーニングを受けました。

マレーはこのイギリス国外での厳しいトレーニングが、自分を今の選手に育てたと
確信しています。

今年の全豪オープンの一回戦でイギリス6選手がマレー以外は全滅した時も、
「イギリス選手が負けて残念か?」と聞かれ、「この結果を心配しなければ
ならないのは僕ではなくて別の人たちだ」と答えました。

これはローンテニス協会が多額の援助をしているにも関わらずトップレベルの
選手が育っていないこと、コーチによって指導方針がまちまちで、
ジュニアの選手たちが困惑していることなどを、暗黙に非難しています。

さてこのバックグラウンドからも分かるとおり、テニス界の御曹司とも言える
ティム・ヘンマンと、マレーの伝統の殻を破った経歴はまるで正反対です。

ヘンマンがコートの上でも外でも英国紳士的な面が好意を持たれていたのに対し、
マレーはコートの上では駄々っ子、コートを降りると愛想がよくないという印象を
持たれているのも大きな差。

またヘンマンの両親は伝統を重んじる英テニス界から敬意を受けていましたが、
母親のジュディは、ボックス席での熱烈な声援を送る姿が時には誤解され、
「マレーが勝てないのは母親の影響力が強すぎるからだ」などの批判を受けたりも
しています(ボリス・ベッカーでさえこの議論に参加…うぎゃ~っ)。

でも経歴を見れば分かるように、マレーはジュニア時代から親元を離れて暮らし、
母親の住むスコットランドから遠く離れたロンドン南部のサリー州に住んでいます。
母子が顔を合わせるとしたらマレーのツアー中。

またジュディが全グランドスラムに付き添ったのは、実は去年が初めて。
これはマレーにコーチの付き添いがなかったため(当時コーチだったコレチャが
全豪オープンに来なかったことが決裂につながりました)、ジュディは
コーチ代わりに対戦相手をスカウト研究してマレーチームを補助したのですが…。

以前のブログでも書きましたが、マレーはクリスマスも家族と祝わず、
毎年マイアミでトレーニングをしているので、この「ママっこ」の批判は
どこから出るのか、といった感じですが、こういったことからも、マレー一家に
対する風当たりの強さが伺われると思います。

ただローンテニス協会も、ようやくジュディのコーチの腕と、彼女のテニス界に
対する貢献を認めざるを得なくなったようで、今年に入りジュディを女子テニス
フェドカップ・チームのキャプテンに任命。

息子のアンディとジェイミー(ウィンブルドン・ダブルス優勝)をトップクラスの
テニス選手に育てたのですから、当然といえば当然ですが・・・

このおかげで、見事にイギリス・チームはイスラエルで圧勝しましたが、
伝統と新しいアイデアがイギリスのテニス界に融合していくには、これからも
こうした結果がものをいうことになるでしょう。

さてマレーがツアー中に書かれる記事はもちろんのこと、シーズンオフでさえ
どこからともなくマレーの記事が湧き出てきて、批判や賛辞が交わされます。

マレーが去年コーチのコレチャと決別したときも、マスコミは我先にとこの話題に
飛び込み、「マレーは○○を雇うべきだ」「マレーはいつも自分の負けをコーチの
せいにする」など、いらぬおせっかいから分析までいろんな憶測が飛び交いました。

一時ツイッターにはまっていたマレーは、このマスコミの大騒ぎ振りに対し、
エイプリル・フールのジョークとして「ロス・ハッチェンスが新しいコーチに決まった」とつぶやき、それを信じて報道したメディアが赤っ恥をかくという事態を招きました。

ロス・ハッチェンスはダブルス77位のイギリス選手で、コーチの経験もなく、
どう考えてもありえない選択。おかしかったのは、ハッチェンスも便乗して
「マレーのコーチになれるのを楽しみにしている」とつぶやいたこと。

でもマレーがそのあと「ご機嫌取りがもう一人欲しかったからね」とつぶやき、
やっとマスコミはだまされたことが分かりました。

というのもマスコミは「これまでのコーチはマレーの言いなりになっていた」
「マレーは自分の言いなりにならないコーチは解雇する!」などと、マレーが
あたかも王様気取りだと言わんばかりに騒ぎ続けたために、逆にマレーに
一本取られたというわけです(笑

特に笑えたのは、スカイスポーツがニュース速報として報道、30分後に
「これは間違いでした」と謝罪しなければならなかったことですね。

でも去年の後半から、マレーはツイッターからきっぱりと引退。
これがジンクスだったかのように、この後アジア大会三連勝を決めます。

本人も認めるように「マスコミを無視できるようになること」、つまり
何を書かれてもプレイに集中できるようになることが、マレーの大きな
課題だったとも言えるでしょう。

さて、良くも悪くも、イギリス中の目がマレーの行動に逐一釘付け。

ヘンマンはこの国中からかけられる大きなプレッシャーを理解できるばかりか、
もちろんイギリスからチャンピオンが生まれて欲しいと願っており、インタビューを
受けるごとに「マレーを非難するのはやめてほしい」と訴えています。

ただヘンマンの叫びも馬の耳に念仏で、実際にマレーがグランドスラム優勝を
決めるまでは(特にウィンブルドンで)、イギリスの過去の栄光のプライドは
収まるところがないのですよね。

ここでいつも引き合いに出されるのが、イギリスの代表としてウィンブルドンの
トロフィーを挙げた1936年のフレッド・ペリー。

えっ、それって76年前…

うわーっ、いつの出来事ですか~?という感じ(笑

これがウィンブルドン現象の語源ともなっているわけですが、
過去を見るより、今活躍する選手を応援しましょうよ~っと声高に言いたくなるのは
私だけではなく、イギリス国内のマレーファンも同じ。

話は戻り、なぜマレーとヘンマンにかかるプレッシャーに違いがあるのか?

ヘンマンはイギリスの誇り高き歴史を背負って選手として成長しましたが、
マレーはイギリスのローンテニス協会に頼らず距離を置いて成長しました。

ジュニアの時代はイギリスの伝統や期待に縛られることなく、テニスだけに
打ち込めたマレーですが、プロ選手として注目を浴びるようになってから
突然イギリスのマスコミの注目を浴び、さらにテニス界からの重圧が
のしかかってきたことは、マレーとしてみれば心外だったともいえます。

しかも、マレーは勝つと「イギリス人」、負けると「スコットランド人」と
報道されます(笑

これはイギリスにとって非常に都合のいい解釈であるばかりか、
イングランドとスコットランド国民間のライバル心までも呼び起こし、
しょっちゅうファンの間で討論会。
マレーはまたもや複雑な立場に置かれてしまうわけです。

一時はこの重圧に振り回されていたマレーですが、去年一年で大きく
精神的に成長したと思います。

ツイッターをやめて、マスコミを相手にしなくなったことがまずそのひとつ。

またレンドルが「マレーは勇気がある」とコメントしたように、
マスコミから大騒ぎされるのを覚悟でレンドルをコーチに任命したことからも、
マレーの目標を追従する決意が固いことが伺われます。

でもマレーにとっての大きな試練は、今年ウィンブルドンに戻ってきたとき。

ここでいかに周囲のプレッシャーに負けず、自分のテニスに集中できるかが
正念場となりそうですね。

***

さてあと数時間後に、錦織圭のブエノスアイレス2回戦が始まります!
ここは問題なく勝つと信じていますが、それでもどきどき、楽しみ~♪

$マレー・ファン@ラブテニスワールド


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