元々…不定愁訴に始まり 双極性障害やらうつ病やら 自律神経失調症やらパニック障害やら
一体 私の心は何処に向いて居るのだろうと思って居る日々に


線維筋痛症やらむずむず足症候群やら
原因不明の左下腹部痛と
日々痛みに翻弄される身体…


それでも 廃用障害で寝た切りは怖いし…
何よりも未子の学費とローンだけは稼ぎ出さねばと 身体にムチ打って…


(随分前から起きて居るのに)
なかなか起き上がれず…諦めた様にベットから7時に起き出し
7時半には出勤する為に家を出る


アカデミー賞 女優に成りすまし
何事も無い様な笑顔でバリバリと業務を全う
17時15分の退社時間数分後には帰路に着き 18時には帰宅…
そこから先は屍の様に動けず喋れず
落ちて居る 広告1枚拾い上げる事も出来ず


タイミングが良ければそのままベットに潜り込みポロポロと泣く
(部屋の中は汚部屋どころか廃墟になりつつある)


帰って来た旦那が食事の準備をし
一口、二口と食べ 山の様な薬を胃袋に流し込み ベットに潜り込む…


これは…自己診断だけど
数年前にやったうつ病の時と気分は一緒
何も考えられず 何も出来ず…


部屋の片付けも出来ない…
ベランダの花も木も随分枯れて居ると思う いや…茶色い世界が目の前に広がって居る
が…ベランダに出る事も出来ず


もう自分でも何をして良いのか判らない


金曜日仕事が終わり帰宅すれば
最低限の食事とトイレだけでコンコンと眠り続け…
次に起きて着替えるのが月曜の朝…
夏以来 そんな日々の暮らし


元々メンタルは強く無い…ヘタレ(笑)
泣き虫で 頑固でガラスのハート
それでも離婚を機に1人で子供を抱え
子供を守って生きる決心をしてやって来た


今の旦那は小学生の頃から 親に虐待やネグレクトをされながらも
生きて頑張って居た自分身近で見て支えてくれた人


十数年前に母親が「晩成型ミトコンドリア脳筋症」で倒れ 
自分も保因者で何時発病するのかとパニックになった時 
  
「発病するのかも判らない事に怯えず
今日という日を精一杯楽しく過ごそう」と
全てを受け止めてくれた旦那


母は高齢での発症であった為
症状は進み 認知力も弱り身体の自由は効かなくなりましたが
今日、明日のお別れは無いでしょう


正直 ICU に3ヵ月お世話になり
「これ以上呼吸器での管理は難しく気管切開と胃ろうを考える方向で」と
長い長い鎮静を切って 抜管…自発呼吸を始めた時と 変わらない位元気です


それでも…1年、1年母の発病した歳に
近付いて行く自分の年齢が怖いです


今では 多分希望すればDNA検査もして貰えるのでしょうが
当時はDNA検査は大変高価で自費扱い


母の担当医は母が晩成型である事
母の母は40歳で自殺で 100%発症するか何とも言えない
母は60歳だったが 私はもっと高齢での発症に成って 
寿命の方が先に来るかも知れないし 事故やガンで命を落とすかも知れない
そんな事 知って発病する事に怯えて
生きるより 今を大切にして下さいと…


そんな中で 弟は交通事故に巻き込まれ
命こそ助かったが「高次機能障害」になった
当時は 知られる事もなく 後遺症とも認めて貰えず


(今では 知られる事も多く成り交通事故の補償の対象にも成ったが)


弟はそれで家族を失った


病気の母を障害のある弟が介護し
2人のイザコザのクッション役の父
こんな絶妙な3本のやじろべえは見た事がない(笑)と言う 平和な暮らしだったのに


4月30日から生活が一変


嵐の中の小船の様に翻弄される日々


頭の片隅に 何時か年老いた両親が旅立った後 弟をどうやって援助して
弟が1人で暮らして行けるのか考える時もあったが 夢にも弟が先に逝って…
両親が残る何って考えもしなかった


家からは離れたく無いと泣く母
何か出来る訳では無いが 母が泣く位ならこのままで良いと言う父…


その父も来春には心臓のバイパス手術の予定があり 長期入院なのに…
24時間誰かの手が必要な母に
働きながら…介護休暇も名ばかりだし


週末は死んだ様に眠れるのに…
実は平日 今頃の時間は 眠れず動けずボンヤリしてるだけ
外が明るく成って来た事を確認してようやく眠くなる  
そんな事やってるからギリギリまでベットから出られないんだよね


答えが出ない事の答えを探す愚かな自分


年老いて死んで行くだけなのに
何故 人は生き こんなにも苦しいのだろう


と 心療内科のDrに聞いたら
「その答えは哲学者にも分からない
たとえ 出家して仏様に使えても判らない 
その答えを探す為に人は生きて居るのかもね 生きると言う事は難しいですね」と


結局…今日も答えは見つからず こんな時間