おっはようございます
今日もお読みくださいまして ありがとうございます
先日、チョーひさびさにテニスをしました
“久しぶりにテニスがしたいなぁ…”と思っていたところに、友人から突然のお誘いが
私、引き寄せてるわーん
勘も鈍っていたし、体力も落ちていたけど、それでも学生時代にずっとしてたから、初心者みたいにはならない。カラダが覚えてるってやつです。あらためて、身体って賢いんやなぁと思いました
何事も長く続けていると、人生観に通じることや、そこまで大きなものではなくても、他のことにも共通して言える価値観ってありますよね
学生時代に部活の顧問の先生から
「相手にポイントを決められるような球を打たれたとき、その1つ前に自分がどこに球を打ったのか思い出せ」と指導を受けたことがあります。
相手にエースを奪われたとき、“どうぞ狙ってください”と言わんばかりのところへ自分がボールを打ってしまっているってことなんです。
これって、コミュニケーションにおいても言えるなぁって思いました。
例えば他者から傷つくようなことを言われたとき。「Aさんにこんなこと言われた!」って怒ったり、あるいは泣いたりして自分が被害者であることを主張するじゃないですか。それって、「結果」なんだけど、「原因」があるはずだろうってこと。
おみやも わりと最近、ありました。
私の発信したことが、誤解を招いたこと。私は誤解をとくのに躍起になりましたが、大切なのは「正解」じゃなくて「誤解されるに至ったプロセス」だったのです…!
本を読んだり、誰かに諭されたりしたことが、自分の納得できている体験と結びつくこと。
ようやく自分のものにできたような、大きな収穫です