一ヶ月ほど前までTwitterやってました。
でもいろいろあって今はほとんど休止状態。
二次元アイコンで(腐女子的な意味で)過激なことを書きまくってました。
仲間もすぐに増え、毎日100ツイート超える勢いでした。
すごく楽しかった。
自分の居場所はここだと思った。
でも、ある事件があり、さらに今も交友関係が続いる尊敬するある方から注意された事をきっかけに、それまでのTwitterにおける自分を見つめ直しました。
(事件というのは、Twitterを通して知り合った男性と面倒なことになった事です。今後それについても書くかもしれません…)
その結果思ったのは、まず「本当に楽しんでるか?」ということ。
確かに広い意味では楽しめてたと思います。
でも、過激なことを書くのは、それ自体が好きだからではなく、そんな過激な事を書ける自分が好きだっただけじゃないか。
そして狭い世界でチヤホヤされていい気になってただけじゃないか。
自己氷菓評価の低さから目をそらすために利用してただけじゃないか。
あのまま続けてても根本的に自己評価の低さを解決することはできないんじゃないか。と思いました。
そして仲間とのやり取り。
テンション高くリプライ飛ばしまくりでした。
楽しかったのは事実。
でも、どこか上辺だけなところも気になってました。
ネットの先にいるのはみんな良いところも悪いところもある一人の人間。
しかしアニメクラスタや腐女子クラスタには、何といいますか、共通の空気というかテンションというか言葉遣いといいますかより過激な方が勝ちみたいな雰囲気があるといいますか、とにかくそれ自体の良し悪しは置いといても、それらが”個人”を覆い隠してしまう性質を少なからず持つのは事実。
ある日やたらと草が生えたリプライを飛ばしながら「あっ、今私ルールに従ってるだけで、そんなに楽しくないな」と思ってしまいました。
元々”普通の社会”が嫌いでした。
理解してくれる人が殆どいなくて。
Twitterで仲間を見つけたときに救われた気がしました。
でもそれは同じ趣味というものに相手の本当の人柄というものが覆い隠されてしまっていたからこその錯覚でした。
同じ趣味趣向の持ち主でも、本当に私の根っからの部分に合うかどうかなんて確率は、”普通の社会”のそれとあまり変わらないのではないか。
そう思って、やめるちょっと前からリアルで会う人に対して少し意図的に興味を持つことにして今までやってきたわけです。
そうやって気づいたことは目からウロコの連続でした。
まず私が一番嫌いだった人が実はそんなに嫌な人じゃなかったし、それどころかずっと私を気遣ってくれていた事に気づけました。
いや、本当はずっと前から気付いていたのです。
腐女子として過激なことを書くことに酔っていた私は、それ以外の世界の事に敢えて気付かないフリをしてたのです。
そうやってトラウマというか私が勝手にトラウマだと思ってただけですが、無意識に一番気がかりだった嫌いな人の問題が解決したとたんに、世界が開けて見えるようになった感じで。
街を歩いて誰かと話すだけでも楽しい!
自己評価の低さに悩むことはまだまだありますが、かなり軽減され、問題ないレベルになるのも時間の問題という気がしています。
嫌いだった人とも仲良くなって、気づいたことは、私と似てるということ。
似てるからこそ無意識に勝ち負けを気にして勝手にストレスを感じてたんですね。
趣味は全然違いますが、根っこの部分が似てるからこそ、話もよく通じるし付き合うのがとても楽です。
取り留めのない内容になってしまいましたが、私が言いたいのは、型にはまらず自分のやり方を感じること、本当の自分の気持ちから逃げずに直視することが大事ということ。
もちろんTwitterや過激な事を書く腐女子の方を否定するわけではありません。
実際そのなかで今でも友達でいてくださる方は何人もいます。
ただ、私自信そういう振る舞いをすることは、私にとっては麻薬みたいなものだった。
楽しいけれど、気づいたら問題は酷くなっていくばかりだった。
もっと大人になって精神的な余裕ができたら、娯楽としてTwitterで過激な腐女子を演じるのも悪くないかなと思ってます。
が、それは多分ずっと先のことです。
今の私にはやらなきゃいけない事がたくさんある!
遠いところばかりでなく、近いところも分かった気にならずにしっかり見ていきたいと思います。
でもいろいろあって今はほとんど休止状態。
二次元アイコンで(腐女子的な意味で)過激なことを書きまくってました。
仲間もすぐに増え、毎日100ツイート超える勢いでした。
すごく楽しかった。
自分の居場所はここだと思った。
でも、ある事件があり、さらに今も交友関係が続いる尊敬するある方から注意された事をきっかけに、それまでのTwitterにおける自分を見つめ直しました。
(事件というのは、Twitterを通して知り合った男性と面倒なことになった事です。今後それについても書くかもしれません…)
その結果思ったのは、まず「本当に楽しんでるか?」ということ。
確かに広い意味では楽しめてたと思います。
でも、過激なことを書くのは、それ自体が好きだからではなく、そんな過激な事を書ける自分が好きだっただけじゃないか。
そして狭い世界でチヤホヤされていい気になってただけじゃないか。
自己
あのまま続けてても根本的に自己評価の低さを解決することはできないんじゃないか。と思いました。
そして仲間とのやり取り。
テンション高くリプライ飛ばしまくりでした。
楽しかったのは事実。
でも、どこか上辺だけなところも気になってました。
ネットの先にいるのはみんな良いところも悪いところもある一人の人間。
しかしアニメクラスタや腐女子クラスタには、何といいますか、共通の空気というかテンションというか言葉遣いといいますかより過激な方が勝ちみたいな雰囲気があるといいますか、とにかくそれ自体の良し悪しは置いといても、それらが”個人”を覆い隠してしまう性質を少なからず持つのは事実。
ある日やたらと草が生えたリプライを飛ばしながら「あっ、今私ルールに従ってるだけで、そんなに楽しくないな」と思ってしまいました。
元々”普通の社会”が嫌いでした。
理解してくれる人が殆どいなくて。
Twitterで仲間を見つけたときに救われた気がしました。
でもそれは同じ趣味というものに相手の本当の人柄というものが覆い隠されてしまっていたからこその錯覚でした。
同じ趣味趣向の持ち主でも、本当に私の根っからの部分に合うかどうかなんて確率は、”普通の社会”のそれとあまり変わらないのではないか。
そう思って、やめるちょっと前からリアルで会う人に対して少し意図的に興味を持つことにして今までやってきたわけです。
そうやって気づいたことは目からウロコの連続でした。
まず私が一番嫌いだった人が実はそんなに嫌な人じゃなかったし、それどころかずっと私を気遣ってくれていた事に気づけました。
いや、本当はずっと前から気付いていたのです。
腐女子として過激なことを書くことに酔っていた私は、それ以外の世界の事に敢えて気付かないフリをしてたのです。
そうやってトラウマというか私が勝手にトラウマだと思ってただけですが、無意識に一番気がかりだった嫌いな人の問題が解決したとたんに、世界が開けて見えるようになった感じで。
街を歩いて誰かと話すだけでも楽しい!
自己評価の低さに悩むことはまだまだありますが、かなり軽減され、問題ないレベルになるのも時間の問題という気がしています。
嫌いだった人とも仲良くなって、気づいたことは、私と似てるということ。
似てるからこそ無意識に勝ち負けを気にして勝手にストレスを感じてたんですね。
趣味は全然違いますが、根っこの部分が似てるからこそ、話もよく通じるし付き合うのがとても楽です。
取り留めのない内容になってしまいましたが、私が言いたいのは、型にはまらず自分のやり方を感じること、本当の自分の気持ちから逃げずに直視することが大事ということ。
もちろんTwitterや過激な事を書く腐女子の方を否定するわけではありません。
実際そのなかで今でも友達でいてくださる方は何人もいます。
ただ、私自信そういう振る舞いをすることは、私にとっては麻薬みたいなものだった。
楽しいけれど、気づいたら問題は酷くなっていくばかりだった。
もっと大人になって精神的な余裕ができたら、娯楽としてTwitterで過激な腐女子を演じるのも悪くないかなと思ってます。
が、それは多分ずっと先のことです。
今の私にはやらなきゃいけない事がたくさんある!
遠いところばかりでなく、近いところも分かった気にならずにしっかり見ていきたいと思います。