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最近問題になっている
体罰。

私も実は一時期、
教育の現場にいました。
そこは私が過ごしてきた教育現場とは
全く違う新・教育現場だったことに
驚いた記憶があります。

みんなケータイをいじっており、
どことなく大人と対等だと思っています。
もちろん、大人が上、子供が下、という考え自体おかしいですが、
こんなことがありました。

ある先生の授業で
A子ちゃんはケータイをいじっています。
先生は注意をしますが、
全く反応しません。
というより、その先生が怒るのを
楽しんでおり、周りの生徒も
ケータイをいじりだしてしまいました。

先生の怒る口調も変わってきます。
するとA子ちゃんは
「先生のくせにそんなのでいいの?」と先生を挑発します。

そこで先生はA子ちゃんの机の角を
けとばし、怒鳴りました。

授業としてはそれで静まったのですが
驚いたのはここからです。

A子ちゃんはお母さんにそのことを話し、
お母さんは先生に怒鳴り込みにきました。
お母さんによるとA子ちゃんは
「授業で分からないところがあったら、
急に怒りだして机を蹴られた。
机がお腹に直撃して今も痛い。
あの先生は辞めるべきだ。」と
説明したようです。

もちろん、事実を話しましたが
お母さんは信じません。

結局、担当教員は母親に謝罪し、
A子ちゃんの学年の担当から
外れることで決着がつきました。
そのときの校長の言葉が
「A子ちゃんも悪いかもしれないけれど、
あなたは大人なんだから」
というもの。


私は他人の家庭の教育方針にとやかく言うつもりはありませんが、
わが子は最も信じてあげるべき存在だという考えには賛成です。
しかし、それでも事実を見極めるのが親の責務です。
子どもの意見を一方的に信じることは
親が子を信じたということにはなりえません。

A子ちゃんはどんな気持ちなのでしょうか。
勝ち誇った気持ちなのでしょうか。


今回のケースに類似したケースは私が在任していた間に
何度も起きました。

その度に、私は子供が可哀想に思います。
学ぶチャンスを失うからです。

今回の場合、机を蹴るという行為が
体罰になりそうな気配があったので
問題視されました。

確かに体罰というツールを感情的に用いた教員も非はあるかもしれませんが、
保護者は他人から体罰を受けないように
自身が時には心を鬼にして子をしつけることも大切です。

親と子で真剣に向き合い、
今回のケースの場合、
なぜ先生は机を蹴ったのかを
子に考えさせてもいいかもしれませんね。

「知らないよ、そんなの。
あいつが悪いだけ。」

で終わらされても、
周りの子の反応であったり、
蹴飛ばすまでに至る中で
先生から何か注意を受けていなかったのかを
丁寧に聞くべきです。

反抗期でそんなことは聞けない、
という場合は、
お母さんが抗議にきたときに、
子供も連れてくるべきでしたね。
きっちり話し合うべきです。
何が真実なのかを。




では、このケースではどうでしょう。

最近では、外食をしていても
平気で暴れる子供を放置している人がいますね。

先日、アメリカに旅行に行ったときに
お母さんと5歳くらいの子供がレストランに来ました。

「私は子育て頑張ってる。でも今日くらいは休憩させてよ。」
と言わんばかりの目付きで
回りに無言の主張をしています。
ケータイをいじり
子供の方には見向きもしません。

子供は暴れるのが楽しいことで
悪いことではないと思っているので
本気で暴れます。

ある限度がこえたとき、
母親は子供を怒鳴り散らして
頬を叩きました。

子供はエンエンと泣いています。

母親はその子供を放置して帰ろうとします。
見るに見かねた周りの日本人観光客が
子供をなだめはじめました。
それでも母親は
その周りの人たちに何も言わずに
帰ろうとしています。

ここで母親が子を注意したのは
ただ単に自分が鬱陶しく感じたからではないでしょうか。
周りの迷惑ではなく
自身の利益。

そして最も手抜きの手段である
暴力により、子を制圧していたのです。

こういった親が増えると
躾と体罰の違いも分からなくなるのでしょうか。

本来であれば、
出掛ける前に暴れてはいけないことをきちんと説明し、
約束出来なければ帰ると話してから
外食に出掛ければいいのです。

最初はそれでも暴れるでしょうが、
その都度、子供を引き止め注意をし、
お母さんの側にいるようにするのです。

その繰り返しです。
子供は分かってきますから。



結局のところ、
体罰問題の根深いところは
対話不足にあるのではないかと思います。
それはケータイ普及が原因かもしれませんし、
変に空気を読もうとする日本人文化に原因があるかもしれません。

それでも、きちんと人と向き合い
対話を積み重ねればいいのです。

嫌われたって、
文句を言われたって、
それでも親と子、もしくは
先生と生徒は向き合うべきです。

そこから相手を思いやる気持ちが芽生えるのですから。


今の子供たちが社会を担うようになるとき、
何を思うのでしょうか。

誰を信じて生きていくのでしょうか。

体罰ばかりにフォーカスを当てて問題視してきた世代は
どのような教育方針を生み出すのでしょうか。

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