色んな本に言われている事をまとめると、
ラッキーパーソンの見分け方笑キラキラは、、

”その相手と関わってから、
(実際会うのが一番影響が強いでしょうが、おそらくこんなネットでも)
慶事や、仕事上の抜擢、受賞などのことが起こった。アップ


という事だそうです。

なるほど、、

私はまだそういう相手にあっていません汗が、
(むしろ出会って色々良くない事が起こる方が多い気がします。)
何故か私と出会った人は、
そういう事に恵まれることが多いです。

直接関わったことのない方でも
ブログや小説に取り上げた人は、
もともと有名な上に、
ごく一握りの栄誉に恵まれている気もします。。フシギすぎ。。。

(宣伝している訳ではありません。)

よくも悪くも自分は”念”みたいなのが強いのかな~と近頃思います。
情が濃いともいいますかね。。

この”念”は曲者なので、良い時は良いんですけどね。
強い人は悪くも強いそうです。
人がいい分、裏切られた相手や
故意に傷つけようとしてくる相手には現状より更にマイナスをもたらす、、
というのもあるそうですが。

とは言え、何も出来ないんですけれどね。
現実的に無力な分、
心の念が発達したのかもしれません。
ただ恨んで、具合が悪くなっていくだけです。

こんな伝説が平安時代にはあるそうでして、
ある方が、他人の裏切りで失脚し、死んだ後、裏切った相手の一族全てと、
埋めた土地の農民が全て死ぬような事があって、
土地の農民が「別の所に埋めるか供養してくれ」と嘆願書を書くことがあったとか。
そうなるくらいの強い念があったら自分的に凄いですけどね。。
これ、農民にはちょっと可哀想な話ですが、、八つ当たりですから。。
(信用を裏切った相手には、因果応報というものでしょうからね。)
お正月テレビの特番でやっていましたが。。

私が平安時代が好きなのは、
優美な文化はもとより、こういった直接的でないが
無力な人間がもつ目に見えないものが司るとされる伝説が
沢山あるから、、というのもあります。
こういう事は起こってはいけない、起こしてはいけない、
という教訓が沢山有る気がするからです。


例えば、”源氏物語”は昼メロであると同時に、
「こういうことを絶対にしてはいけない」という戒めとして
捉えることも出来ませんかね。。
ただポーッと源氏に憧れる事はいくらでも出来ますが、
彼の侵した罪は現代人からすると相当なものです。

馬鹿みたいですね
、ということも多いですしねぇ。
反面教師として捉える事も出来る筈です。
学んでそれを教訓にするのが歴史を学ぶ意味では、、と。。

人間そばにいる時間が長ければ、好意を持つのは心理学的に
そういうものなのだそうです。
それをリスク回避、抑制するのが現代人の理性ってものでは?
「人を好きになるのは、仕方のないこと」とか言ってもさっぱり意味が分かりません。
犬猫じゃないんだから、、と言っても犬猫さんにも失礼な話ですね。
傷つける人間、巻き込む人間を最小限、もしくはゼロにする事がリスク回避の鉄則では。。。
恋人同士のうちならまあ良いですよね。二人だけの問題ですから。
ちっとも”大人の事情じゃない”。
こういう人は同じ事を繰り返すのでしょうね。

私の場合は、そういうお話は自分より地位が上だったりそばで起こっていなければ良い話なので、
どこかよそでやって下さいという感じです。
自分に影響の及ばない、外ならそれは自由だと思いますし。。
記憶力が良いだけで、判断能力がある訳でもないでしょうから。
尻拭いをさせられたり、運命を左右されるのはご免なだけです。

総括すると、
自分にプラスの相手を見つけて
今年も皆さん頑張りましょう!ということです。

今年は頑張ってお正月は連続更新してみました。