去年の夏から、すっかりご無沙汰してしまったこのブログ・・・
 
記念日を迎えるので久しぶりに日記を書こうと思います。
 
 
 このブログの主人公である「女王さま」ことクッキーわんわんは、
 
  2011年12月12日に、虹の橋を渡っていきました。
 
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今日12日は月命日であり、
 
明日13日は、女王とらぶろ~まの誕生日です。ケーキ
 
16歳と10ヶ月、最愛のパートナーだった女王を亡くし
 
心に空いた大きな穴は埋めようもありませんが、
 
今までのことをふり返りながら「思い出」にしたいとおもいます。
 
 コスプレ年賀状 その1
http://blogs.yahoo.co.jp/loveroma2006/14258562.html
 コスプレ年賀状 決定版
http://blogs.yahoo.co.jp/loveroma2006/14616931.html
 クリスマスバージョン
http://blogs.yahoo.co.jp/loveroma2006/25591386.html
 懲りずに07年の節分
http://blogs.yahoo.co.jp/loveroma2006/27663600.html
 2010年は・・・遅ればせながらのご挨拶
http://blogs.yahoo.co.jp/loveroma2006/49833418.html
 2011年は、年齢詐称の年賀状(*´σー`)エヘヘ
http://blogs.yahoo.co.jp/loveroma2006/51267701.html

 
 女王で、ずいぶん遊ばせてもらいました(*´σー`)エヘヘ
 
 
で、何人かに聞かれたことですが・・・
 
なぜ、ワンコが「女王さま」になって、娘が「メイド」になったのか?
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            1歳の頃のクッキー 女王様っぽいでしょう!?
 
 
それは、17年前の1月17日、阪神大震災の起こった日に戻ります。
 
子供たちが大好きだったおばあちゃん(私の母)が、肺癌の手術をしました。
 
手術は成功したものの、あっけなく 4日後に亡くなってしまったのです。
 
前日まで元気で、「早くICUから一般病棟へ移りたい!」と言っていながら、
 
自分のベッドへ戻ることなく逝ってしまいました。
 
 
子供たちは「一般病棟へ移ってからお見舞いに行きなさい」と言われ、
 
最期に会うことができませんでした。
 
もとより私も一晩中病院に付き添っていながら、
 
まさか亡くなるとは思ってもみなかったほどあっけなく逝ってしまいました。
 
 
人の世話をすることはあっても世話になることはほとんど無い母を、
 
「コンピューターばあちゃん(当時の流行歌)は、100歳まで生きるよねグッド!
 
と、子どもたちはゲームの師匠である祖母を慕っていたし、
 
誰よりも孫の先頭に立って遊ぶ元気な人でした。
 
そんな人だから世話になることなく、天晴れな逝き方だったかもしれません。
 
でも、68歳は早すぎました
 
 
そして、その年の2月13日(偶然にも私と同じ日)に生まれたのが女王です。
 
家に来た日から夜泣きもせずに誰にでも懐いてしまう子犬わんわんでした。
 
そのときに娘が言ったのです
 
「おばあちゃんの生れ変わりだから、私がメイドのようにお世話する!」と!!
 
中2の女の子の言うことは長続きせずに、いつの間にかお世話を忘れたけど、
 
まるで女王とメイドのような関係は去年まで続いていたのです。
 
 
母(おばあちゃん)の生れ変わりだと思ったことは度々あって、
 
我慢強いところと、誰でも受け入れるところが似ていて
 
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        誰かさんにこうされても、無抵抗でしょう!?
 
 
最期の自分の始末の仕方も、とてもよく似ていました。
 
 
亡くなったのは12月12日の月曜日でしたが、
 
その前の土曜日にいつも面倒をみてくれる獣医さんの所に行ったときは、
 
元気に暮のご挨拶もできてスタッフの皆さんに愛想を振りまいていました。
 
 
実は去年になってから乳腺の腫瘍が破裂して自壊していたのですが、
 
高齢なので手術はしないで経過観察していました。
 
目も見えなくなり耳も遠くなったけど食欲はあり、
 
家の中をあちこちぶつかりながらも動き回っていました。
 
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これほどじゃないけどね (*´σー`)エヘヘ 
 
 
去年の5月には、一緒に東北に出掛けることも出来ました。
 
でも、一ヶ月くらい前から寝ている時間が多くなり、
 
ほとんどお気に入りのクッションで寝ているようになりました。
 
唯一残った嗅覚で、私の出かける様子を察知すると玄関に先回りして、
 
「置いていくな!留守番はイヤ!」というように駄々をこねたりしました。
 
帰宅した時に声をかけても分からないけれど、
 
臭いで感知するとグルグル回って喜んでいました。
 
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亡くなる前の日も夕方まで私の近くのクッションで普通に寝ていました。
 
夜になっていつものように私のベッドに連れて行って寝かせると、
 
いつも無駄吠えをしないのに苦しそうな声で鳴き始めたので、
 
抱きかかえて居間に連れて行くと腕の中で安心して眠りました。
 
そのうちに容器から水が飲めなくなりスポイトで飲ませると、
 
見えない目でじ~っと私の顔を見ているのです。
 
白内障で白くなってしまった目が、その時はいつもの黒い瞳にみえました。
 
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まるで最後の挨拶をしているようでした。
 
 
 朝になって、獣医さんに連れていき診察台に乗せたら・・・
 
いつもはしないおしっこを診察台の上でして、
 
大きい方もコロンと一つ出したところでグタッとしたのです。
 
「息してない!」と獣医さんが呼吸器をつけて応急処理をして、
 
「娘が帰って来るまで持たせて入院させて下さい」と頼んで、
 
手続きをしている最中に逝ってしまったのです。
 
まるで自分の始末を自分でして旅立ったようでした。
 
まさしく母のようなあっけない最後でしたが、
 
ッキーは天寿を全うして逝きました。
 
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母の時のように、顔の周りをカトレアで飾って送りました。
 
 
コスチュームプレイをこのブログでもかなり載せましたが、
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買い集めた服は、着てないものも含めて
 
お友達や息子のような毛玉王子に形見分けしました。
 
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隠し子疑惑の毛玉王子は、5歳になりましたグッド!
 
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BFのアンディくんも、去年の夏旅立ちました
 
 
 明日は、生きていれば女王の17歳の誕生日です。ケーキ
 
そして、私こと「らぶろ~ま」は還暦を迎えます
 
かねてからの計画通り「還暦スキー」を敢行してきますスノーボード
 
スキー歴半世紀(ブランクが半分くらいだけどあせる
 
久しぶりのスキーを楽しんで(楽しめるか!?)きます。
 
娘夫婦や息子も合流するので、
 
クッキーの遺品を持ってスキー場で誕生日を迎えます。グッド!
 7月18~19日で、再び三陸方面に出かけてきました。
今回も友人や友人の知り合いから寄せられた物資を届けるためでした。
 
先ほどテレビで気仙沼の復興の様子を伝えていたので、
被災地はかなり復興したのだろうと思われるかもしれませんが、
私の見てきた被災地の様子を「You Tube」に再び載せたので、
これをご覧ください。 説明は最小限に留めます。
 
 このブログでも登場する高田先生と活動を共にしている秩父の岩田さんが、
陸前高田市で行われたお祭りをお手伝いするために現地にいらしたので、
私たち(今回は、娘の他に息子も同行)を待っていて案内してくれました。

岩田氏は3月下旬にはすでに現地に赴き、
すでに20回近く支援物資を運んでいます。
いつも避難所を回るだけでじっくり被災地を見てないので、
「一緒に見て回りたい」と申し出てくれていたのです。
 
 18日の午前、 陸前高田 で待ち合わせて大船渡にむかいました。
陸前高田は2か月ぶりでしたが、がれきの整理はかなり進んでいるようでしたが、
あちこち冠水していて、どこが海だか分からない場所もありました。
 
 
 次に向かった 大船渡 は、
大船渡線のレールを挟んで海側と山側では全く様子が違っていました。
    ここでは、人の気配を感じることがありませんでした。
 
 
 次に向かったのは、 気仙沼市 です。
ここは、先月来たときは気が付かなかった火災が起きた方の海岸です。
この巨大な船が、海岸からかなり陸の方に立っている姿が信じられません。
ここもかなり冠水していて、交通止めになっていました。
 

 反対側の漁港には、カツオ船が到着して活気が戻ってきてます。
http://www.youtube.com/watch?v=S9I2jY4SsNw&feature=mfu_in_order&list=UL
漁協を見学させていただいたので、2階から魚の様子を見ることが出来ました。
魚が入るということは、梱包、製氷、配送の各業者が復活するのだと実感しました。
 
 
 そして、支援物資の届け先である 南三陸町 へ入りました。
http://www.youtube.com/watch?v=w0Un7Nl7HDY&feature=mfu_in_order&list=UL
先月訪問した時は、避難所に荷物を届けるだけで町の中心地を見てませんでした。

今回初めて「南三陸町」を見て、改めて今回の震災の悲惨さを実感しました。

先月までは日帰りで出かけていたので慌ただしかったのですが、
今回は南三陸町でいち早く復興した「ホテル観洋」に泊まることが出来ました。
     
http://www.mkanyo.jp/
このホテルは被災者を受け入れていて、ロビーに簡易図書館が有りました。
勉強部屋や保育所もあるようです。
 
 この日は、被災者400名、警察関係200名、工事関係者200名のほか
ボランティアや各地の名前入りのシャツを着た役所関係の方が宿泊していました。
 
 
  18日の夕方から台風の影響で天気が悪くなり、
翌日の19日は、一面の霧で真っ白な朝を迎えました。
全室海に向かって建っているので天気がよけれ海が見えるのですが、
ベランダに遊びに来るウミネコだけしか見えませんでした。
 
ホテルをチェックアウトした後、再び町の中心地へ向かいました。
ここは、あまりにも有名になってしまった 「防災対策庁舎」 です。
http://www.youtube.com/watch?v=MCT31A5iA3g&feature=mfu_in_order&list=UL
 
南三陸の避難所にいる方の
   「ここは陸の孤島よりも、もっと孤立している」
というつぶやきが、胸に残っています。
 

 この後、石巻~女川~松島海岸 へ向かったのですが、
メモリーがいっぱいになってしまって動画を撮ることができませんでした。
女川の様子は、後日写真でアップします。
ビルが横転している様子は、他の被災地では見られなかったかもしれません。

5月6月と2回の訪問で被災地を見てきたかのように思っていた自分に、
  「今まで何を見てきたんだ!」 と、
問い詰めたくなるほど今回の訪問は心に残るものでした。
 

 
 前回(5月3~6)の東北訪問から一か月後に、
 
再び気仙沼から南三陸町へ行くことになった。
 
 
 今回は、秩父で里子運動をしている高田先生と
 
気仙沼で合流して南三陸町の小規模避難所を訪問した。
 
高田先生のグループはすでに数回現地を訪問していて、
 
何が必要かをリストアップしていた。
 
 
 私はマスクや水、友人からも提供された衣類や靴、
 
生活用品、化粧品などを車に積んで行った。
 
この時に分かったことは、
 
一番必要とされているものが喪服だということ。
 
 
 まだ水道の復旧が7%しかなく、
 
食器にラップを貼って使いまわしていることや、
 
避難所にガスコンロが一台しかないので、
 
カセットコンロを使って調理しているからボンベが欲しい!など、
 
行く前の想像を絶した環境で暮らしている事実。
 
 
 
やっと自分で撮った動画がユーチューブにアップできたので
 
一か月後の様子を見て欲しい。
 
 
この動画は、
気仙沼から南三陸へ向かう国道45号線を走った時の様子。
 
 
 陸前高田市では写真や動画を撮ることすら憚られたが、
 
今回は多くの人に知って欲しくて撮ってきた。
 
ほとんど一か月前と変わっていない現状、
 
これがあまりにも広範囲に亘っている今回の震災の事実。
 
 
復興大臣さま、細かいことに文句を言ってないで
 
   早く何とかしてください!むかっ
 
 
 
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福島県双葉郡広野町 原発から20キロ
この先に行く車は自衛隊の災害派遣のジープのみ
車の中の隊員は皆、白い防護服を着ていた。
 
私たちは、当然この先の警察のバリケードで止められて、Uターン
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松島海岸は、津波の被害をあまり受けていない印象を受けた。
信号も点いているし、電柱は曲がっていなかった。
復興のための工事関係者でごった返していたが、
ゴールデンウィークから観光船が復活した。
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陸前高田市
懐かしい大船渡線の「脇野沢駅」の踏切あたり
津波の被害により町の中心部はほとんど流されていて、
余りの被害の広さに息を呑んだ(涙)
 
海の中から野球場のライトが出ている光景には、声が出なかった。
今日は久々に 「ざけんなよ~!」
 
「知恵出さないと助けない」=松本復興相、岩手、宮城で発言 (時事通信社 - 07月04日 01:05)
http://mixi.at/abm83HE
 
 
このニュースをたまたま 今日のWSで見たもんだから・・・
 
 何様じゃ~!むかっ 
「東北の何市がどこの県か分からん」って、
被災地の状態をまったく見てない人間が、
なにが復興大臣だ! むかっ

5月の連休に、福島県いわき市から始まって、
松島海岸~陸前高田市を訪問してきたときと、
一か月後の6月9日に、
気仙沼市~南三陸町の小規模避難所にお邪魔した時の様子が
全く変わっていないことにびっくりしたが・・・(涙)
 
首都圏の人々は、ニュースで報道される情報から
復興が進んでいるように感じるかもしれないが、
 
国道45号線から離れたところにある
小規模避難所の現状が伝えられていない汗
 
南三陸町では、まだ水道が7%しか復活していない
この暑さで、避難所は極悪の環境になっている。
 
 
風化させてはいけないと思うのに・・・

こんな人が復興大臣じゃ・・・しょうがないのかなむかっ
 久しぶりに日記を書くのに・・・
こんなことを書いたら、それこそ石原さんの「天罰発言」のようだがあせる

あの大災害以降、ずっと頭に浮かんでくるのは・・・
 「バベルの塔」の話
 
私はこのブログで何回も書いているが
一番関心のある人物
  ナザレのイエス
   ユリウス・カエサル
    ヨハネ・パウロ二世

 最近は、ここにまったく違うジャンルの人物が加わっているのだが・・・(*´σー`)エヘヘ

この3人が興味の対象であることは
ここ数十年変わっていない。
といっても、クリスチャンではないのが不思議に思われる
 
こういった関心から、聖書やギリシャ神話が大好きなのである。
特に「旧約聖書の創世記」が好きで、この中には面白い話がたくさんある。

 歴史書や古い物語は勝者の記録なので、
そのまま正しい歴史かどうかは分からないが・・・
話題になった小説  「ダ・ヴィンチ・コード」 の中に、
「聖書は天からファクシミリで送られてきた訳ではない」
と、書かれている部分に「言いえて妙!」と賛同してしまったことを覚えている。グッド!
この本のすべてを表しているフレーズだと思う。

神話や民話と同じように、聖書にも歴史的に実証されるような
「ノアの方舟」の大洪水があったらしい地層だとか、アララト山の痕跡とか、
「ソドムとゴモラ」の紀元前3100年ころに急激な気温の低下があったらしいとか
まったく荒唐無稽な作り話ではないところに興味がわく。!!

そして今、創世記の中の「バベルの塔」の話が頭から離れない。
   天王洲に新しいビル群が建設されていた当時、
   バブルがはじけて建設途中で止まってしまった現場をみて
   「バブルの塔だな・・・」とのつぶやきにも納得したことがあったっけ
 
この「バベルの塔」は大雑把に書くと、
  ノアの洪水の後、人間はみな同じ言葉を話していた。
  人間は石の代わりにレンガをつくり、
  漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。
  こうした技術の進歩は人間を傲慢にしていき、
  天まで届く塔を建てようと計画して実行した。
  神は人間の高慢な企てを知り、心配して怒った。
  この建設は、人間が同じ言葉を話すことが原因であると考え、
  人々に違う言葉を話させるようにした
  そして人間の言葉を混乱(バラル)させた。
 
 いま世界中にたくさんの言葉が存在するのは、
バベル(混乱)の塔を建てようとした人間の傲慢を神が裁いた結果なのである。
「バベルの塔」というと、神が塔を破壊したと想像する人が多いが・・・
聖書の中には破壊されたということは書かれていない。
あくまでも言葉をバラバラにして混乱させたと書かれている。

人間が神の世界(自然界)に進出しようとすると・・・DASH!

「浦、安かれ…」で書いたように海への進出、
宇宙計画での宇宙への進出(何か持ってきてしまったのでは?)、
使用済み燃料を宇宙へ持っていこうとする計画・・・?

 このような人間の驕りは、
地球さえ良ければいい、
日本さえ良ければいい・・・
自分たちの住んでいるところさえ良ければいい・・・
と続いているのではないだろうか?

こうして書いていると、
「東北地方はなにも罰を受けるようなことをしてない!」
と思われる人もいるだろうが、
まさに石原さんの「天罰発言」と同じように捉えてもらいたい。

 現在、日本では同じ言葉を話しているのに意志の疎通を欠き、
さまざまな憶測が飛び交い、混乱(バラル)が起こっている。

 
 今日の東京は、まさにお花見日和の 春爛漫といった天気晴れ
 
でも、いまの東京は、 「自粛」 を通り越して 「委縮」 状態になっている.。
 
そんな状況から、だんだん行き過ぎた自粛は控えようという動きになっているのだが、
 
    言い出しっぺの 石原さん、今日の運命はいかがだろうか?
 
この日記でも、地震関係は今日で終わりにしようと思う
 
 
   その前に朗報を! チョキ
 
ず~っと探し続けていた、大船渡の知人(夫の疎開先)の無事が確認された。
 
地震後すぐに 「大船渡市○○町○○、200世帯壊滅」のテロップ が流れて、
 
電話しても繋がらず、あちこちの避難所をさがしても見つからず、
 
毎日電話し続けて、名簿を探し続けて・・・
 
最終的には遺体安置所の名簿までくまなく調べて、
 
伝言板にも載せて調べること3週間・・・
 
やっと、本人からではないけど(まだ本人とは連絡が取れてない)
 
     無事が伝えられた! (^o^)丿
 
まだ、電話も電気も通じてないとのこと
 
現地の復興はまだまだ先の事になるだろうと思われる。
 
だからこそ、東京は経済活動して活気を取り戻すことが大事ではないだろうか?
 
 
 
  そんな中で、こちらの被害も酷いもので・・・
 
この日記は、先月ミクシィに乗せたものだけど、
 
こちらの日記でも載せてみようと思う。
 
 
千葉県には、「東京」と名のつく有名な場所が二つある。
   
(もっとあるだろうが、誰でも知ってる場所ということで・・・)
 
 一つは、新東京国際空港、そう  「成田空港」 である。
一般的には「NARITA」で通用するが、なぜか 新東京の国際空港 である。

 そしてもう一つは、誰でも知ってる 「東京ディズニーランド」
二つとも、しっかり千葉県に在るのに なぜか 「TOKYO」 なのである。

 その 東京ディズニーランド (以下ランドと略す))は、
東京から旧江戸川に架かる「舞浜大橋」を渡った千葉県の浦安市舞浜にある。

自宅のある市川市から地続きなのでなじみのある場所で、
よく通る道の浦安の旧市街から架かる橋を渡ったとたんに、
電線が消えシュロの木がなびいて、 「舞浜」 は別世界の土地になる。

  まさに、「東京ディズニーランドの街」なのである。

「舞浜」はランドを造るために埋め立てられた土地で、
JR京葉線の「舞浜駅」はランドの為の駅といってもいいほど密着している。
ちなみに住所で唯一「舞浜」となっているところは、
自宅をクリスマスイルミネーションすることの火付け役になった住宅街。
 
 
 浦安市は、埋め立て地が全体の3分の2も占める土地である。
明治時代に、初代浦安村村長が 「浦、安かれ」 と言ったことが名前の由来とされる。
   
       「浦」 とは、「海」のこと。
  
     心安らかにという願いが込められたものとされる。
   海よ安らかに、漁師の町を守ってくれとの願いではないか と推察する。
 
 山本周五郎の小説「青べか物語」は昭和初期の浦安が舞台で、
当時の浦安は陸の孤島のような、「べか舟」で交通するような漁師町だった。
昔は浦安の漁師さんが魚や海苔を東京に売りに来たと、夫は記憶している。
そんな漁師町だった浦安は、昭和46年に漁業権を全面放棄して、
海面埋立事業が進められ面積が4倍に拡大したという。
 
 その海だったところを埋め立てて、
  「舞浜」や「新浦安(ランドの隣駅)」の新しい街ができた。
 
 3月末の土曜日、「舞浜駅」に行って驚いた!
まるでピンポイント爆弾を受けたかのように駅の一部が崩れていた。
 
  あの美しい駅前のロータリーが、歪んでいる。
ミッキーマウス型のバスが発着するバス停が、デコボコしている。
しかもあちこちに土嚢が積まれて埃っぽい。
 
 ランドの建物は外から見た感じでは、どこにも被害が出て無いようにみえる。
周辺のホテルもいつもと同じような印象を受けるが、
袋を抱えた近所の人が出入りする以外ひっそりしている。

  「ホテル・ミラコスタ」 の明かりが見えたので近づいてみると、
イケメンのホテルマンが寒空の中、門の所に立って
「再開の目処は立ってません…」と申し訳なさそうに説明してくれた。

ディズニーリゾートを再開するには、5万軒分の電気が必要だとのこと。
 
 その後、京葉線の隣の駅 「新浦安」 に行ってみた。
 
 ここもほとんどが埋めたて地で、
広い道路と整然と区画された美しい街並みの場所だったはず・・・
大企業の社員寮やホテル、マンション、注文建設された一戸建てなどが
「マリナイースト」とか「海風の街」と名付けられて
住人は「マリナーゼ」と呼ばれ、住みたい街の候補に挙がる街であったはず・・・あせる

舞浜以上に土が舞い埃っぽくて、大通りの真ん中にも亀裂が入り、
センターラインがジグザグになっていた。
交差点の真ん中が隆起していたりで、運転も注意が必要だった。

マンションンの一階部分に大きな穴が開いて長い亀裂になっていたり、
戸建ての家の塀が今にも倒れそうだったり・・・
傾いているビルや家も目に付いた。
  (とても写真を撮れる状況ではないので、浦安または新浦安で調べてください

住民があちこち片づけている傍を走るのは気が引けたが、
あたかも知り合いの家を訪ねた風を装って走っている途中で、
公園の周りがブルーシートで囲まれていることに気が付いた。

たまたま風でめくれて中が見えたのだが・・・、そこには大量の仮設トイレ
その異様な状態を見たときに 「ここも被災地だ!」 と更に実感した。
 
 今回の地震は、地震そのものよりも津波による被害が大きい。
舞浜や新浦安をみて
 
 「浦、安かれ・・・」 との言葉が思い出された。
 

 
 大変ご無沙汰してしまいましたが・・・
今回の地震で皆様からご心配頂いたので、
久々に日記 を 復活しようと思いますパー

  あの未曾有の大災害から一か月近くが経ち、
私の周りは平常に戻りつつあります。
と言っても、自宅も仕事場も全く被害は無くて
 
女王わんわんに至っては、あの強い揺れの中でも
     爆睡中だったという・・・
  (この件に関しては、後日の日記に書こうと思います。)
 
 あるところで、
「停電のため搾乳ができない」とつぶやいた娘のことで、
娘の赤ちゃんのことだと勘違いした人が数名いて・・・
さすがの私の娘でも、母乳の搾乳に電気を使うわけではなくて・・・汗
 
停電の被害を被ったのは、100頭以上いる牛のことでした。
 
 
 娘(通称メイド)夫婦は今、
栃木県の北部で酪農家への道を目指して働いています。
以下、当日のことをふり返ってみよう。
  
 あの日の地震は、
牧場から昼休みで住まいに戻っているときの事で、
強い揺れの後すぐに停電になりテレビが見られ無かったとのこと。
 
娘は私に何度電話しても通じず・・・
不安な気持ちでやっと奇跡的にかかった電話の声が、
「東京大地震かと思って心配した!」との第一声だった。
 

 栃木県のなかでも震度にばらつきがあったようで、
娘の居るところは 震度6強の地震
 
私たちの所は申し訳ないくらいなんの被害もなかったので、
それほど酷い地震だとは思わず娘の話を聞いてびっくりした。
生まれて初めての経験に震えが止まらないと言っていた。
 

棚から食器類がすべて落ちて、
建物の壁に亀裂が入り、外の塀が崩れ落ちたそう。
 
それでも夕方の搾乳が気になった二人は、
それぞれの牧場へ向かって車を走らせた。
 
牛は、毎日朝夕と搾乳しなければ乳房炎を起こしてしまう。
牧場へ向かう道には亀裂が入り、
停電で信号が止まっていたとのこと。

娘の牧場では、
100頭以上いる牛の搾乳を電気ポンプで行うために、
停電になって搾乳が出来ず困っていたとのこと。
娘婿の牧場は、自家発電のモーターを使って搾乳したそうだ。

 翌日やっと電気が通じたので搾乳が出来たけど、
引受先の某乳業会社の工場の一部が地震で破壊され、
一週間の出荷停止になってしまったとのこと。
 
せっかく苦労して搾乳を再開しても
廃棄処分にしなければならず、
朝晩2回搾乳した牛乳を捨ててる状態だったとのこと。

しかも、もともと臆病な牛は、
地震の地響きの音でパニックになり、
暴れまわって転んで骨折し、予後不良になった牛が数頭でたらしい。
 
 
 そんな忙しい娘夫婦のことを思って、
困っているだろうから運んでやろうと翌日買い込んだものは、
水4ケース、カップ麺を大量、レトルト食品、カセットコンロ、
食器類、お菓子、携帯の充電器(車で使えるもの)や、
携帯ラジオ、衛生用品 etc.

地震の翌日はまだ十分に物があり、
ガソリンも満タンにできる余裕があった。
 
物やガソリンが急激に無くなったのは、2日後あたりからだと思う。
地震の被害がこれでもかというくらい克明に報道されてから、
先行き不安に対する集団心理からだろうか?
 
一気に物が無くなり、「買いだめを止めよう」と言われ始めてから、
買い込んだ物を見て後ろめたい気持ちになってしまった。あせる
 

 ともあれ、買い込んだものを車に積んで出かけよう!と、
娘からの連絡を待っていたら・・・
「高速も一般道も通じてないから、気持ちだけでいいから」と、
断られてしまった!
 
確かに途中で道が分断されてるかもしれないし、
ガソリンが手に入るかどうかも分からない状態で、
何よりも牧場はいま、猫の手ネコ も 借りたいほど忙しいらしい。
 
 
 娘のところに運んでやろうと思って、
買い込んだものの中で宅急便で送ることができたのは、
   LEDランプを使った ランタン!
電池数本でかなり明るいので、2個も買ってしまった。
 (自分の楽しみで買ったんだろう!?)という外野の声があせる
その他に、小型ラジオ、車で使える充電器、お菓子など・・・
 
で、その他の食料など買い込んでしまったものは、
茨城出身のスタッフの実家が倒壊しそうだというので、
常磐道が開通してから救援物資として持って行ってもらった。車
 
こうして、早とちりした母心は宙に浮いたけど・・・
有効に使うことができて良かったと胸をなでおろした。

 今回の地震は震源地周辺だけにとどまらず、
あちこちに被害をもたらしている。
 
近くには、液状化してしまった浦安周辺も・・・
見てきた新浦安のことは、この次に

 
あけましておめでとうございます
今年で16歳! まだまだ元気なんだワン!イメージ 2
 
この兎さんの顔に入ろうとしたんだけど・・・
ネット上ではダメみたいなので出来上がりを想像してね(^_^;)
イメージ 1
 
 
  年賀状は合体できたので、これから発送します
 
 
 なぜこんなに遅れたのかというと・・・
 
私物の使い慣れたPCがとうとう成仏してしまったので、
 
12月30日に最新型のパソコンを買ったことから悲劇が・・・
 
2001年物の「XP」と、2010年物の「7」では、
 
それこそ江戸時代と平成の違いがあり(って、私だけかな?
 
2年越しの設定にアタフタしてました
 
 
というわけで、必ず元旦にアップしていたご挨拶が滞り
 
さては「女王の身に何か?」という心配まで頂いてしまいました。汗
 
 
 女王は元気なのですが、なにせ16歳!
 
立派なヒップでモンローウォークをしていた歩行が、
 
違う意味でのモンローウォークになり・・・
 
丹波の黒豆のように瞳が曇り、あちこちぶつかっています
 
というわけで、これは2~3年前の写真を使った
 
年齢詐称年賀状となっておりますべーっだ!
 
 
今年も気まぐれなアップになるかもしれませんが・・・
 
女王とらぶろ~まと仲良くしてください<m(__)m>ラブラブ!
 
 
 怖ろしいことに、
人間というものは 一番最初に入ってきた情報に左右される生き物だと思う。
 
    それが、先入観というものだろうか?

ここ数日、こんなことを考えさせられる毎日だった。

 それは、先週の芸能ニュースを賑わせた押尾事件で、
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/manabu_oshio/
芸能人の事件としては 初めての裁判員裁判が行われた。
 
その 一般市民から選ばれた裁判員による判決が出たのが、9月17日。

判決後、裁判員が記者会見に臨んで言ったことは、
 
  「先入観にとらわれず あくまでも客観的に判断した」 ということ。
 
  この事件は劇場型事件だったので、センセーショナルに報道され、
ワイドショーなどでは 押尾被告が極悪人のように取り扱われていた。

この裁判を、 「私が裁判員だったら・・・?」 という気持ちで見ていた私は、
正直言って、この判決は あまりにも軽い気がしたのだが・・・。
 
  判決の決め手になったのは、
検事側と弁護側が 同じように提出した  医者の証言  だった。
 
検事側が用意した証人医師は、
   「早く119番すれば100%近く助けられた」
 
これに対して、
 
弁護側の証人の 薬物専門医は、
   「血中濃度が高くて、119番しても救命の可能性は極めて低い」
 
と、正反対の証言がでた。
 
このとき、医師でも立場や見解が違うと正反対になるのか・・?
くらいにしか思わなかったのだが・・・

  この考えが、昨日から大きく変わった!
 

 それは、昨日から巷を騒がせている 
 
大阪地検特捜部の主任検事がFDを改竄して逮捕!というニュース。

 検察、特捜部といえば 無く子も黙る怖いところというイメージだが、
巨悪と戦うところ と思われている (いや、いたと言うほうが正しいのか?)

 でも、 実は 犯人を作るところ だとしたら・・・
 
これは、とてつもなくおそろしいことだと思う。
 
まるで、 戦前の特高  みたいに (って、書物からの知識だけだけど^^;)
 
 「疑わしきは罰す!」
 「疑わしくなくても罰す!」のようなことだったら・・・
 
  検察の都合の良いほうに 事件が取り扱われているとしたら・・・
 
 
 押尾事件の証人医師の証言の対立を思い起こせば、
検事側の医師の  「100%近い確率で助かっていた」  との証言は、
 
「救急車を呼ばなかった押尾は、保護責任者遺棄致死罪!」に 傾く。

   これは多くの一般人が陥った、 検察マジック かもしれない。
 

 弁護側医師の
 
   「私がお釈迦さまなら、カンダタに蜘蛛の糸を1本垂らすと思う」
 
この言葉に 何故か感動してしまった単純な私は、
その証言以来、先入観無しにニュースを見守ることにした。
 
そこへ、この 「大阪地検特捜部主任検事の逮捕!」のニュース!

 今までの事件は 大丈夫なんだろうか?
 
    久々に、「ざけんなよ~!」 な 出来事だった。