故、斉藤康之さんに捧ぐ~REACTION FOREVER~
ヤスさんへの感謝の気持ちを綴った回想録はこれで最後になる。
少し時間が開いてしまったが、しっかり締め括りたいと思う。
レコーディングを一時中断した新生REACTIONは東京組のユキさん(ベースの反町哲之さん。)、梅さん、そして俺の三人で定期的に車で水戸まで行きリハーサルを続ける事になる。
レコーディング以前は毎週末にヤスさんがこちら側に来てくれていたのだが、いくら移動の経費が出ていたとはいえ、体力的にも大変だった事が身に染みて良く分かった。
東京と水戸を行ったり来たりしてリハーサルを続けてる中で笑った思い出話がある。
とあるスタジオで俺達の前に入っていたバンドが時間を押してしまい、俺達がスタジオ入りした時に刺青をバッチリ入れたギタリストが未だ片付けをしていた。
そこでヤスさんとそのギタリストが軽い口論になったのだが、俺には双方が何を言ってるのか理解が出来ず、ユキさんに「あれって、もしかして喧嘩してんの?」と聞いた。
お互いに水戸の訛りで言い合いをしていたのだが、それが何だか妙にイントネーションが温かくて、俺は口喧嘩している事に気付かなかったというオチ。
むしろ世間話をしてるのかと勘違いしていた。
ユキさんに大笑いされたっけ。
梅さんもボクシングジムに通ったりして少しずつ元気を取り戻し、レコーディングを再開させられる所まで来ていた。
そんなある日ユキさんから電話があった…。
「ヤスが死んだ…。」
俺は直ぐに理解する事が出来なかった。
思い浮かぶのはヤスさんの笑顔ばかり‥。
それが事実なんだと受け止められたのは三人で御線香をあげにヤスさんの自宅へ行った時だった。
ヤスさんが満面の笑みで腕を組んでいる霊前の写真。
死の直前に同窓会があって、その写真が一番新しいものだと聞いた。
ヤスさんに伝えたい事が山程ある。
俺は霊前でそう思った。
しかし、もう二度と伝える事は出来ないのだと思ったら涙が込み上げて来た。
御線香をあげ黙祷をしながら俺は何度もヤスさんに礼を言った。
「…俺、ヤスさんの分も頑張ります。」と最後に誓いをたてた。
俺達がいる間だけでも沢山の友人や知人が御線香をあげに来てくれた。
人の事を親身になって受け止め行動する人だからこそ、ヤスさんを慕う人は多い。
それが「斉藤康之」という男だったのだ。
BODY、ソロ、REACTION、そしてTHE LOVEROCK VIOLENTと続いてる俺の音楽人生。
ヤスさんがいなかったら今ここに“ミュージシャン木村直樹”はいなかったろう。
引退したつもりはなかったが、自分なりに自分のペースで活動していければそれで良いと思っていた。
ヤスさんに誘われてREACTIONをやるまでは。
もしも前世というものがあったなら。
ヤスさんと俺は親子か兄弟か夫婦であったのだろうか。
今になってそんな風に思うのだ…。
あれから三年が過ぎるというのに「斉藤康之さん死去」は未だにどこか信じられずにいる。
それはきっと心の中だけではなく、ヤスさんが残してくれた作品の中でいつでもヤスさんに会えるからではないか、と思う。
音楽の中では皆が平等に永遠なのだから…。
ヤスさん、ありがとう。
そしてREACTION FOREVER!
斉藤康之さんの冥福を祈ります。
木村 直樹
少し時間が開いてしまったが、しっかり締め括りたいと思う。
レコーディングを一時中断した新生REACTIONは東京組のユキさん(ベースの反町哲之さん。)、梅さん、そして俺の三人で定期的に車で水戸まで行きリハーサルを続ける事になる。
レコーディング以前は毎週末にヤスさんがこちら側に来てくれていたのだが、いくら移動の経費が出ていたとはいえ、体力的にも大変だった事が身に染みて良く分かった。
東京と水戸を行ったり来たりしてリハーサルを続けてる中で笑った思い出話がある。
とあるスタジオで俺達の前に入っていたバンドが時間を押してしまい、俺達がスタジオ入りした時に刺青をバッチリ入れたギタリストが未だ片付けをしていた。
そこでヤスさんとそのギタリストが軽い口論になったのだが、俺には双方が何を言ってるのか理解が出来ず、ユキさんに「あれって、もしかして喧嘩してんの?」と聞いた。
お互いに水戸の訛りで言い合いをしていたのだが、それが何だか妙にイントネーションが温かくて、俺は口喧嘩している事に気付かなかったというオチ。
むしろ世間話をしてるのかと勘違いしていた。
ユキさんに大笑いされたっけ。
梅さんもボクシングジムに通ったりして少しずつ元気を取り戻し、レコーディングを再開させられる所まで来ていた。
そんなある日ユキさんから電話があった…。
「ヤスが死んだ…。」
俺は直ぐに理解する事が出来なかった。
思い浮かぶのはヤスさんの笑顔ばかり‥。
それが事実なんだと受け止められたのは三人で御線香をあげにヤスさんの自宅へ行った時だった。
ヤスさんが満面の笑みで腕を組んでいる霊前の写真。
死の直前に同窓会があって、その写真が一番新しいものだと聞いた。
ヤスさんに伝えたい事が山程ある。
俺は霊前でそう思った。
しかし、もう二度と伝える事は出来ないのだと思ったら涙が込み上げて来た。
御線香をあげ黙祷をしながら俺は何度もヤスさんに礼を言った。
「…俺、ヤスさんの分も頑張ります。」と最後に誓いをたてた。
俺達がいる間だけでも沢山の友人や知人が御線香をあげに来てくれた。
人の事を親身になって受け止め行動する人だからこそ、ヤスさんを慕う人は多い。
それが「斉藤康之」という男だったのだ。
BODY、ソロ、REACTION、そしてTHE LOVEROCK VIOLENTと続いてる俺の音楽人生。
ヤスさんがいなかったら今ここに“ミュージシャン木村直樹”はいなかったろう。
引退したつもりはなかったが、自分なりに自分のペースで活動していければそれで良いと思っていた。
ヤスさんに誘われてREACTIONをやるまでは。
もしも前世というものがあったなら。
ヤスさんと俺は親子か兄弟か夫婦であったのだろうか。
今になってそんな風に思うのだ…。
あれから三年が過ぎるというのに「斉藤康之さん死去」は未だにどこか信じられずにいる。
それはきっと心の中だけではなく、ヤスさんが残してくれた作品の中でいつでもヤスさんに会えるからではないか、と思う。
音楽の中では皆が平等に永遠なのだから…。
ヤスさん、ありがとう。
そしてREACTION FOREVER!
斉藤康之さんの冥福を祈ります。
木村 直樹