最愛の父が59歳の若さで
10/6 14:30頃 天国へ旅立ちました
何度も何度も夢じゃないか?と思って。。。
今でも信じられない
昨日の14時頃まで父と会話してたのに。。。
亡くなるまでの経緯は、
父は5月25日から原因不明の高熱を出し、
かかりつけの病院で二週間通院しながら血液検査をしたり、CT検査をしたりしてました。
それでも原因がわからず、何度か検査をしていくうちに腸にモヤっとした影があると言われ、
大学病院を紹介され翌日受診したところ、即入院になってしまいました。
楽しみにしてくれていた孫の誕生日会も参加出来ず、一緒に行こうと計画していた『いないいないばぁ』のイベントショーにも行けず。
じぃじの誕生日を今年は孫と一緒にお祝いするんだ
と仕事もお休みをもらってパーティーをする予定が。。。検査入院が二ヶ月も続き、結局病院でひっそりと59歳の誕生日を迎える事になりました。
お祝いのケーキや料理でも食べさせてあげたかったのですが、病院側の都合により絶飲食を24日間も余儀なくされてしまった為何もしてあげられませんでした。
(いつ検査の予定が入っても対応できるようにとの事でした)←24日間も絶飲食にする必要あったのか?疑問を通り越して怒りがこみ上げてきます。
あまりの対応の遅さにイライラしつつ、元気なのに何も口に出来なくてお腹を空かせている父を見ると辛かったです。
今思えば、あの時少しでもご飯が食べられていれば。。。と悔しい気持ちでいっぱいになります。
後手後手の対応のおかげで、
手遅れになってしまったような気がして涙が止まりません。。。
入院してしばらくしてから大腸のモヤモヤは膿の袋だったと説明され、最初は【大腸憩室炎】の診断でしたが、のちに誤診である事に気付き、急遽胃カメラをした頃にはそのモヤモヤが大きくなってしまって十二指腸の壁を突き破ってしまっていました。
つまり。。。悪性腫瘍だったのです。
父はあの胃カメラ検査の日に相当なショックを受けてしまい、すっかり落ち込んでいました。
もう20数年くらい病院とは無縁の健康人間だったんです。
それがイキナリ悪性腫瘍の疑いと言われてしまって、正直不安でたまらなかったと思います。
それから待てど暮らせど結果が出ず。。。
やっと結果を伝えられたのは6/21になってからでした。
結果はやはり【悪性腫瘍】との事。
十二指腸癌の疑いが濃厚だが、まだ肉腫の可能性もある為確定ではないと告げられ
肝臓にも転移が見られる為、手術切除は不可。
抗ガン剤による治療のみしかできる事はないと説明されました。
ただ、原因不明の熱が続いてるのは食事によって十二指腸の腫瘍を刺激しているからではないか?
との事で6/23に【胃空調バイパス手術】を受けました。
でも24日間も絶飲食だったんですよね???
その頃の私達は全く病気の事に無知すぎて、医師に疑問をぶつける事も出来ませんでした。
無事に手術が終わり一週間くらいしてから、ようやく流動食が始まったのですが、
味覚障害に悩まされ、大好きだった食事が辛い時間へと変わってしまいました。
病院食も毎回ほとんど手をつけずに返却していました。
唯一メイバランスは必ず飲むように!と指示があり味が苦手でも毎食無理して飲んでいたようです。
その為、絶飲食期間も含めて体重が12キロも減ってしまいました。
手術後に病名が【十二指腸癌】に確定されてから半月後。。。
手術の際の細胞片の鑑定から
【原発不明癌】へと変更になりました。
これは全がん患者の中でも1%〜5%の確率の希少がんとの事。
さらに父の場合は、もっとも進行が早いと言われる【未分化がん】でした。
なんとか7月の下旬に抗ガン剤を始める事ができ一時退院して通院しながらの闘病生活になったのですが、激しい倦怠感と食欲不振と味覚障害の為体重はどんどん落ち入院時から24キロも落ちてしまいました。
体力をつけなければならないのに
貧血が常にあり、普通にしていても心拍数が120くらいある為息苦しそうで、なかなか父の思い描くような運動ができなかったのです。
みるみるうちに筋肉が細くなり、体格の良かった父がガリガリに痩せてしまいました。
鏡で見るたびに悲しそうな顔をしていたのが辛くて。。。
8/30の抗ガン剤投与日は体調不良の為、見送りになってしまいました。
血圧が低く脈拍が早すぎた為、看護師さん達が慌ててストレッチャーに横にならせてくれたようです。
しかし主治医の先生はそんな父を見ても知らんぷり。
本来なら予約で父の診察の順番なのにとばしにとばして結局最後に回されてしまったとの事。
その間、栄養剤の点滴もされる事なく硬いストレッチャーの上で背中の脂肪も落ちてしまっている父にとってはゴツゴツ痛い状態のまま2時間半も隣の部屋に一人きりで放置されたようです。
父は他人の事を絶対に悪く言わない性格なので『仕方ないのかも知れない』と主治医の先生を責めたりはしませんでした。
ただ『具合が悪いからって他の人より先に診てくれとは言わないけれど、せめて自分の順番になったら呼んでほしかった。あえて一番最後にするなんて。。。命を軽くみられたようで悲しかった』と私に泣きながら話してくれました。
よっぽど悔しかったんだろうな…と主治医に対しての怒りがおさまりません。
父にとってあの時間がどんなに辛くて長い時間だったか。
なぜ主治医のような人間が医者をやっているのか?私は許せません。
この主治医は母や妹に対しても暴言を吐いています。母には『どうせもうすぐ死ぬんだよ!家族なんかが希望なんて持つな!』だの、
エレベーターを降りようとした妹には降り場のど真ん中に立ちふさがって道を譲らず『なんだよ?挨拶もしねーのかよっ!』と吐き捨てたり。。。
父には余命1年と告げた翌日に半年と言い直し、
さらに数日後には3ヶ月と言ったかと思えば、
遂4日前には『僕は余命がどれくらいかわかるんだけどね〜。まぁあえて言わないけどね〜。』などと(敢えてそれ言いに来る⁉︎)っていう事もいちいち言いに来て、父の不安を煽っていきました。
私からすればただのいじめっ子です。
自分の部下の医者を連れて来て、
父の腕で採血の練習させたり(両腕に何十回も針刺されて、血管も貫通させられる失敗もされてます)
謝るどころか部下をあだ名で呼んでヘラヘラ笑ってたらしい。
父は他人の事を責めない人なのです。
『それでも一生懸命やってたんだからしょうがないよ。誰でも難しいことは経験しないといけないんだから』って。
やっぱり転院させるべきだったな、と。
昨日もセカンドオピニオン先の病院に再度入院の受け入れ状況を聞かなきゃね(*^^*)と妹と話していたところなんです。
ですが、
5/25の発熱時から10/6まで4ヶ月と11日。
心の整理がつかず、現実を受け止めきれないままの突然のお別れとなってしまいました。
つい先週には閉塞性黄疸が出て、ドレナージ手術をしたところなのに。
辛い事、痛い事たくさん乗り越えてきたのに。
父が退院を心待ちにして、生きる希望を持って毎日精一杯頑張ってきたのにこのような結果になってしまい辛いです。
いつもなら面会時間ギリギリまで父のそばにいるのですが、
昨日はたまたま《V6のコンサート》が横浜であり、父が入院してから休む事なく毎日看病していた私と妹はこの日1日だけ自分達にご褒美のつもりで出掛ける予定でした。
母は一緒に行く予定でしたが、父のところに残ると言ったので急遽旦那と息子も一緒に行く事になっていたのです。
13時からの面会時間に合わせて病室へ行き、父の昼食の準備などを妹がしてくれて、私は息子を連れて病室を出たり入ったり。。。
じぃじが大好きな息子はテンションが上がってしまう為、迷惑にならないようにロビーへ行っては少し戻りを繰り返してました。
ちょうど息子を連れて行った時に、じぃじが目を開けてくれたのでハイタッチをしようとしたのですが、少し手を避けた気がしたので昨日に限ってはしませんでした。
そのまま出発の時間になったので病室をあとにした30分後。。。妹の元へ突然、病院からのTEL。
《父の呼吸がゆっくりになってしまった》との事
頭の中が真っ白になり、コンサートどころではなくなって祈るような気持ちで病院へ戻っていた矢先。。。
叔母さんからのTELが再び妹へ。
『お父さん死んじゃった』と。
私たちはあと10分くらいで着く距離にいたのに。
間に合いませんでした。
一昨日の夜『せっかく行くんだからコンサート楽しんで来いよ』って言ってくれてたのに行かなくてごめんね。
お父さん、気にしちゃうかな?(^_^;)
でも私達で決めて行かなかったんだからね!
お父さんの側にいたかったんだもん。
孫の誕生を誰よりも喜び、父にとって孫の成長を見る事が何よりの楽しみだったのに。。。
最期にもう一度だけ抱かせてあげる事が出来ませんでした。。。
ずっと孫に触れたくて、抱きたくて、遊びたくて我慢させちゃっててごめんね。
お家に帰ってたくさん遊ぼうって言ってたのに叶えてあげられなくてごめんね。
退院した時も、一緒に動物園行く予定だったんだよね?お父さんの体調が良くなってからでいいからまた今度行こうねって話してたね。
いつも孫の心配してくれてたね。
たくさんおもちゃや絵本買ってくれたね。
色々じぃじが教えてくれたから、保育園のクラスで一番の芸達者って言われてるんだよ(*^^*)
じぃじが孫に『お話ししたいな
』って話しかけてた時の優しくて切ない表情が目に浮かんできたよ。
そういえばもうすぐディズニーランドも行くんだったよね?
私。。。何一つ叶えてあげられなくてごめんね。
親孝行したかったよ。
ずっと、ずっとね小学生の頃からいつかお父さんに喜んでもらえる事をするんだ
って夢を温めて来たんだよ。
いつも仕事や少年野球のコーチに熱心で、休む暇もないくらい頑張ってたから、面倒な事も嫌な顔一つしないで引き受けてくれたり、いつでも私の理解者になって応援してくれてたね。
結婚して、すぐに子供ができると思ってたのに時間がかかっちゃってごめんね。
1人目の子の時は流産してしまって、悲しかったと思うけど私の心配ばかりしてくれたね。。。
やっと産まれてきた息子くん。
可愛くて可愛くてじぃじの生きがいだったんだね。じぃじの野球教えてもらいたかったな。。。
まだまだじぃじに側にいてもらいたかった
夢でもいいから会いにきて。
話したい事、山ほどあるよ。
息子くんのところにも時々遊びに行ってあげてね。
大好きだよ。
お父さんの娘に産まれて幸せだったよ、ありがとう。そしてお疲れさまでした。
いつもの明るい父の声で『冗談だよ、心配かけて悪いな〜
』って笑って言って欲しいな。



















(大部屋なので泣くと周りの方のご迷惑になるくらい声がデカイのです
)

(って言ってもテキトーにゆる〜く撮ってるだけだけどね)


