ブログ訪問下さりありがとうございますお願い


7月21日(日)の瞑想に参加くださいました皆様方、ご参加下さりありがとうございましたお願いおねがい

結果が楽しみですねラブラブ



さて、気が付けばあっという間に7月も終わってしまいそうです滝汗

月日が経つのが早過ぎるぅ…ショック

にしても、今年の夏も暑すぎ晴れですね絶望

皆さま方も熱中症にならないようにお身体ご自愛下さいませふんわりウイング


では、引き続き5月の朔参りのお話です。

最後までお付き合いくだされば幸いですキラキラキラキラ


さてさて小網神社参拝の後、私は水天宮大観音寺に参拝させていただきました。


先ずは大観音寺です。


残念ながら写真はコレ一枚です絶望

※雨が降っていたので写真撮る余裕がありませんでした悲しい 

ですので、どの神様(仏様)がいらっしゃったのかうろ覚えです滝汗


階段を上り終える辺りの左側には荼枳尼天様がいらっしゃいます。

そして境内には地蔵様韋駄天様馬頭観音様(間違っていたら申し訳ありませんショック)がいらっしゃいました。


因みにですが、大観音寺さんに初めて参拝させていただいたのは2019年です。

人形町にお寺さんがあるのは珍しいなぁ〜と思い、気になったので参拝させていただきました。

この日(2019年)に末廣神社(毘沙門天様がいらっしゃいます)にも参拝させていただいたのですが、写真が見つからずブログにアップしませんでした悲しいガーン



中央区史による大観音寺の縁起

大観音寺(日本橋人形町二の三)聖観音宗に属し、人形町大観音の別称は、御前立大観音像に、所在地の人形町を冠して世人が通称したのによる。本尊は丈五尺あまりの首像で青銅の蓮台上に鎮り、作者は高麗名工というが、もと源頼朝の守護仏でその室政子の創立にかゝる寿福寺とともに鎌倉屈指の霊場であった扇ヶ谷清水寺の本尊であった。明治元年三月、神仏分離の法令が布告され、この首像も鎌倉八幡宮の所有と誤られ破却されようとしたとき、明治六年石田可村、山本卯助の両人が搬出して深川御船蔵前の河岸に陸上げし、明治九年にいたり人形町通り蠣殻町二丁目に仮堂をいとなみ、さらに同十三年二月許可を受けて、間口五間五尺五寸奥行六間四層楼の大悲閣を建立して正遷座を執行した。これより堂宇経営の基礎漸く調い、信徒の詣る者も日々に加わったが、大正大震災による劫火によって、たちまち堂宇は灰燼に帰した。以来本尊は日鮮会館の屋上に仮安置され、昭和十五年十月十七日堂容を新にし、同時に大震火災に頽れた御前立像の再鋳を行った。
本尊とともに不動明王・文殊菩薩・馬頭観世音菩薩・地蔵菩薩・薬師如来・荼枳尼夭・毘沙門天の像が安置されている。正月・五月・九月の各十七日には大護摩を執行し、毎月十七日には本尊開扉を行う。


聖観音宗寺院の大観音寺は、明治13年当地に創建したといいます。本尊の銅仏は、北条政子が井戸から掘り出した古鐵の正観音の御髻から霊験を得て、鎌倉に創建した新清水寺に祀られていたものだといい、昭和新撰江戸三十三観音霊場3番霊場、東京都指定有形文化財となっています。

以上、縁起からの内容はとあるお方のHPより抜粋させていただきました。


私は前回同様、本堂に上がって参拝させていただきましたお願いキラキラ

正面には聖観世音菩薩様がいらっしゃいます。

その背後に仏頭があるそうなのですが、毎回気付かずにいますショック汗


本堂でご挨拶を終えた後、水天宮に向かいましたランニング


水天宮までの道中に、有名な『江戸落語からくり櫓(やぐら)』があります。


※写真は水天宮参拝後に撮りましたカメラ


11時から19時までの毎正時にカーテン部分が開き人形が動くようです。

今回、残念ながら見ることは出来ませんでしたあせる


水天宮に到着です。


雨が降っていたので参拝者は殆どいらっしゃいませんでした。


水天宮の発祥は九州の久留米藩(現在の福岡県久留米市)です。9代目久留米藩主の有馬頼徳が、1818年、自家で祀っていた水天宮を三田赤羽の上屋敷に分祀したのが、東京の水天宮の始まりです。


御祭神は4柱です。

天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)

誰もその形を知らない宇宙の始まりに、高天原と呼ばれる天の最も高いところに現れた神様が、天御中主大神であります。

日本の神々の祖先神であり、安産・子授けなどに広大無辺なご神徳をあらわされます。

 

高倉天皇(あんとくてんのう)

高倉天皇と建礼門院の皇子としてお生まれになり、三歳にして第八十一代天皇に即位されました。

寿永4年(1185年)、八歳の砌、祖母の二位の尼に抱かれ、壇ノ浦にその身を海中に投げられました。

 

建礼門院(けいれいもんいん)

父清盛、母時子(二位の尼)の間にお生まれになり、十八歳で高倉天皇の中宮となられました。

建礼門院とは安徳天皇を生んでからの院号であり、壇ノ浦の合戦後、余生は平家一門の菩提を弔いました。

 

二位の尼(にいのあま)

平清盛の正室で、御名を時子と申されます。清盛の死後出家し、従二位に叙せられたので、二位の尼と呼ばれます。孫の安徳天皇と京から西に逃れて、壇ノ浦にて入水されました。

上記の内容は、水天宮のHPより抜粋させていただきました。


水天宮の神様方に、ご挨拶と日頃の感謝を伝えさせていただきましたお願い



本殿手前の左側には、水天宮の寶生辨財天がいらっしゃいます。


江戸の頃、有馬家上屋敷内には市杵島姫(いちきしまひめ)神も祀られていました。代々の当主は辨財天を篤く信仰し、第九代藩主 有馬頼徳公が寳生流能楽の技を加賀藩の前田斉広(なりなが)公と競う際、稽古に励み辨財天に願をかけ、勝利をおさめたといいます。


水天宮でお祀りされている寳生辨財天は、八本の手がある八臂姿で、手には弓矢や宝刀、斧などの武器と鍵と宝珠を持っております。

また、頭の上には宇賀神をのせて鳥居がついた冠をかぶっています。宇賀神とは蛇の体に人間の顔を持つ神様です。財福の神様とも言われています。

台座には辨財天のお使いである蛇と、十五童子が眷属として従っております。

上記の内容は、これまた水天宮のHPより抜粋させていただきました。


寳生辨財天さまにも、ご挨拶と日頃の感謝を伝えさせていただきましたお願い


凛々しい狛犬さんキラキラ(獅子かしらうーん

鞠は橘の家紋ですね。


でもって、こちらは仲睦まじい親子の狛犬さん。

可愛いデレデレ


さてと、水天宮での参拝を終えたので、次に参拝予定をしていた神社に向かいましたランニング


少し小腹が空いたので、甘酒横丁にあります有名な柳屋さんのたい焼きを久し振りに頂きたくなり、開店時間まで並んで見ました。




薄皮でアンコがぎっしり詰まっていて美味しかったです音譜


以上、大観音寺と水天宮参拝時のご報告でしたキラキラ


このブログを読んで下さっている皆様方に、大観音寺の神様方と水天宮神社の神様方との素敵なご縁がありますようにお願いラブラブ


このブログの内容が皆さまのお役に立たせていただければ幸いですキラキラふんわりウイング


最後まで読んで下さり、ありがとうございます


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