ごきげんさまです爆  笑

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やましたひでこ公認

断捨離®トレーナーの

横浜緑断捨離®会のTenですヒヨコヒヨコヒヨコ

 

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今日は改めて自己紹介デレデレデレデレデレデレ

と、どんな部屋に住んでいたか、

をご紹介しますあせるあせるあせる

 

 

 

生まれは宮城県仙台市

秋から春先にかけては寒い風の吹く地域でした。

(政宗騎馬像)

 

■実家の私の部屋

 

父(故人)・母・妹・弟の

3人姉弟でした。

 

 

実家は小学生の頃に

一軒家になりますが、

私と妹は、結局家を出るまで同室。

 

 

西側の暗い6畳洋室に

二段ベッド、学習机2つ、ハンガーラック2つ、暖房器具が

ぎゅうぎゅうに詰め込まれ、

洋服・文房具・本や漫画もぎっちり!

 

 

妹と仲は悪くなかったのですが、

なんといっても狭い!!

 

 

「私の部屋」とか「ティーンの部屋」

といった、インテリア雑誌(とアニメ雑誌)

をめちゃくちゃ読み漁り、

アニメの中の非日常に憧れておりました。

 

 

「いつか一人部屋が欲しいなぁ・・・」と

思い続けていた少女時代でした。

 

 

 

■テキサスの私の部屋

 

小学3年生の夏、父親の仕事の関係で、

家族で渡米。

そこで2年を過ごし、弟もアメリカで生まれます。

 

 

アメリカのアパートに住むのですが、

そこは広大な敷地に世帯数は500くらい。

 

建物は団地みたいな縦方向ではなく、

平面にいろんな形(1DK〜3LDK)の建物が

ほぼ、平屋建て。プールも3つはあるようなところでした。

(セレブだったわけではなく、田舎で土地もあること、

アメリカ人の家は、基本的に大きい)

(かつて住んでいたアパートのプール)

 

 

 

一部屋も8畳ぐらいあり、

3LDKバス2つウォーキングクローゼットも2つ、という

アメリカンサイズのアパートに住みました。

広すぎて怖かった。

 

 

弟が生まれるまでは、

私と妹に、

遊び部屋と寝室を与えられるなど、

なんともゼータクな暮らしをしていました。

 

 

モノも少なかったので、

遊び部屋には小さな机が1つだけ。

 

 

寝室にはシングルベッド2つに

小さなチェスト1つで

今なら自慢できるほどのミニマリストでした(笑)

 

 

現地の小学校(妹は幼稚園)に通い、

自転車通学をし、友達の豪邸ダウン

(テキサスでは一般的な家の大きさ)

 

 

 

に泊まったり、

家族であちこち車で旅行に出かけたり、

楽しい2年でした。

 

 

 

■アリゾナの私の部屋

 

小学校5年で、帰国しますが

 

実家の部屋が狭かったので、

必然的にモノは少なかったように覚えてますが、

 

 

いつもゴチャゴチャした部屋で

妹とおしゃべりばっかりしてたなぁ・・。

 

 

 

そんな私が大学生になり、

実家はだんだん窮屈になってきました。

 

広さだけではなく、親との関係性も変化し、

交換留学制度(留学先の単位も認められ、4年で卒業できる)

に応募し、

 

日本を飛び出しました。

これ、私の住んでた寮の部屋。

写ってないのですが、一間分のクローゼットとベッドも

備え付けでついていました。

反対側にルームメイトの机とベッドもあります。

 

 

 

このころは本当にモノを持ってなくて、

2年間、きたきり雀だったなぁ・・・。

スーツケース1つとバックパックだけでした。

人生で一番のミニマリスト時代でした(笑)

 

 

このころは、

ものが少ないのが当たり前。

 

ルームメイトは家電や

車を持ち込む人もいて、

電子レンジや洋服などは、

貸したり借りたりするのが当たり前でした。

 

 

長くなったので続く。