最近、Netflixでストレンジャーシングスを見ているので、娘が部屋を暗くすると怖いみたいで…寝ている夜中でもぎゅーっとしてくることがあり…

かわいい~ラブなんて思うのもつかの間…ほぼ身長が同じなので(体重は10kgほど違うw)、それなりに重く…爆  笑

なんだか4時に目が覚めてしまったSonokoですww

 

 

まぁ…10時に寝てたらそりゃ起きるだろ…と思うのですが…笑

 

去年の6月21日に日本を出発、同日にアメリカについていたんですね~

そして今いるこのニュージャージー州に着いたのは22日、学校の最終日でした。

 

 

 

 
あぁ、そうだったそうだった…とブログを読んで思い返してみました。
(アメブロで1年前に書いた記事としてあがってきたんですww)
 
そうなんです…もう1年、アメリカにきて1年が経っていました!!
 
でも全然盛り上がっていないわけで…
その理由は…
主人がいないから!!ガーン
 
↑LINEで主人が好んで使用するハムスターのスタンプw
 
昨年6月に渡米後、4か月ほどで日本に帰国。
日本で住んでいた家を片付けに戻ってくれたのですが、相当大変だったようで…笑
3月には無事に片付きましたが、1月に乳がんの手術をした私の母、先日、また別件で検査があり、今はとりあえずその結果を待っている感じです。
 
ただ正直言って…コロナの為に日本にいたとしても同居でなければ自由に行き来できないような状態で、もし渡米していなかったら母のそばにいられたのかと言うとそうでもなく…
 
それにそう遠くない将来、また日本に住む可能性が高いので、それまではなんとか私の母も主人の母も元気でいてほしいというか、元気でいるに決まっていると自分で決めつけていて…グラサン
だから大げさに心配しすぎないようにします!笑
 
でも…家も仕事も捨ててこっちに来てみて…
もし仮に10年後に日本に帰国するとして…
家はなんとかなるかもしれないけれど、いや、仕事をしていなかったら賃貸すらできないか…
そう、このすべてを捨ててアメリカに移住してきて、正直大変なのに、これと同じことをまた日本でできるのかと思うこともあり…
 
何が大変ってやっぱり「収入の確保」なわけで…
どこにいても最低限の収入を確保できる道を整えないとまずいな…と思う今日この頃。
 
ここには社会保障も含まれており、年金より当面は医療費をどうするのか…
 
バセドウ病で甲状腺を全摘出しているので、数値は安定しているはずと思っていたけれど、なかなかアメリカで薬が合わなくて、何度も検査…これもまた想定外のお金がかかり…
今のところ体調に問題ありませんが、たまに「死」を意識することもあります。
 
これは日本にいた時は考えなかったことで、別に死んでしまいそうとかそういう意味ではなく、何のために生きているのか、いつ突然訪れるともわからぬ「死」を自分、そして家族が受け入れられるように日々後悔なく生きているのかと自問自答することが多くなった…という意味です。
 
なんの不自由もなくのほほ~んと生きていたのが、いきなり崖っぷち…笑い泣き

いや、まだのほほ~んとしている感があり…

 
自分からわざわざ苦労する道を選ぶ必要はないよな…と思いつつ、物理的な荷物もそうですが、自分の人生にとって何が一番大事なのか、感覚を研ぎ澄ますことができた1年だったように思います。(1年もかかったんかい!w)
 
やはり…「主人と娘と友に過ごす時間」が一番大事かなぁ…
え、今更?って感じですが、やっぱりどっちが欠けても生きていけないと実感しました。(主人もそう思っているはずグラサン
 
でも…、特に娘についてはいつかは自分と違う人生を歩むわけで、
そして大切な主人、いつかは別れが来るわけで…
そう思うと、一日一日を大切に、そして日々後悔なく一緒に生きていきたいなと思いました。
早く帰ってきて~~ラブ
 
 
それにしても…
ここまでリスクを負わねばそんなことわからなかったのか?と思うところもあり…
主人や娘、親にはずいぶん迷惑をかけたなと思っています。
 
主人に「おまえ、何か役立ってるのか?凝視」ってよく言われます…笑い泣き
 
こんなことをいう主人ですが、1年間支えてくれて私のわがままを聞いてくれてありがとう!
 
渡米した最初の頃は主人に対してずっと…自分で永住権の抽選に応募して当選したくせに、逃げるのか!!と思っていましたが、それはやっぱり違うなと…
 
このDiversity Visa Program、永住する人と数年で帰国する人にわかれるわけですが、別に移住しなかったからと言って逃げたということになるわけではありません。
人それぞれ、最善の選択ができればそれでいいのです。
 
私は移住の大変さを知っていたからこそ、興味はあっても行動に移すことはしませんでした。
 
移住の大変さを知らないで応募、当選した主人とのこの運命のめぐりあわせ、これはお互いが成長するための必然だったんじゃないかと思っています。
 
ラッキーなことに、娘…多分、一番順応、そして頑張ってくれていると思います。
でも何もかもが順調かというとそうではありません。
 
いきなり、経済的に余裕がなくなった…と言われて、今までとは違う生活。(文句は言いませんが…)
そして娘に友達ができたのか…という問いについては、正直まだわかりません…
でもこれは日本にいても同じだったのかなと思います。
その場で遊んだり話したりする友達はいますが、いわゆる「親友」はまだいないような…
でも「親友」かどうかは何年も経って過去を振り返ってわかるものだと思うので、何も悲観することはありません。
 
2か月半の夏休みが始まった娘、どうやって英語の力を維持するのか…
家の中では英語のみにする?!笑
お互い無口になりますね…笑い泣き
 
 
今、一番何が大変なのかと言うと、どうしてアメリカに移住をしたいのか、そしておそらく主人もそうだと思うのですが、どうして英語を習得したいと思っているのか、そこに確固たる自分の答えがないのが一番大きいのかなと思っています。
 
そもそもスタート地点に立っていないわけです…ショボーン
 
でもとても大きな問題で、そしてこれは夫婦、そして娘の意見もすりあわせ一致しなければ1年後にはおそらく日本へ帰国になると思います。
その日本でも居場所があるのか…と不安ですが…
 
 
移住して1年たったから何かおもしろいブログを発信できると思ったらこんな状況ですが、またこれからも多くの方にこのブログを読んでいただいて、たくさんの意見をいただけたらうれしいなと思っています照れ
 
私の家族、友達で私の安否確認をしてくれているみんな、
同じようにDiversity Visa Programでアメリカにきた仲間、
海外にいつか移住してみたいと思っている夢わくわくの人達、
すでに海外に住んでいるベテランの皆様、
この人、何してるんだろう…という興味本位で見てくださっている方w
 
これからもよろしくお願いいたしますラブラブ
 
 
↓2017年9月、家族での初めての海外旅行で来たアメリカ、(右はじがホストマザー)
 
 
すべてはここから始まった…www
 
 
 

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