6月18日の金曜日が、
最後の登校日となりました。
夕方職員室へ行き、
在籍証明と成績証明をもらい、
すべての荷物を引き上げました。
去年と今年、
コロナで行事もなく、
先週、参観日がありましたが、
参加者は家庭で1名、
娘の希望で主人に行ってもらいなんとか担任の先生に会えましたが、
私は今日が最初で最後…
2か月と短かった4年生ですが、
担任の先生にも友達にも恵まれ、
なんと最後にお別れ会もやっていただいたとの事。
クラスのみんなから、
たくさんのお手紙とステキなアルバムが入った箱をいただきました。
短い時間の中でこんな準備をしてくれていたとは…
そして2年の時の担任の先生も来てくださり、
なんとボストンに留学されていたこともあるそうで、
貴重なお話も聞けました。
その後、毎日お世話になった学校内に併設された学童にも顔を出すと、
いつも一緒に遊んでくれていたたくさんのお友達にも会えました。
保育園時代からずっと一緒だったお友達、
泣き止むことなく、
私も涙が…
学童は保育園と同じで、
本当に育児の8割くらいをやってもらったと言っても過言でないくらい
お世話になりました。
いろいろ工夫して遊んでくださり本当に頭が上がりません。
そして今日は、同じマンションのお友達が夕飯に招いてくれていたので、
早々に荷物をもって引き上げたのですが、
家に着くと
娘が号泣…
実はクラスでも学童でも涙を見せず、
なんならちょっとバイバイする友達に冷たい素振りで、
なんか失礼だな…なんて思っていたのですが、
涙をこらえていたようで、
大声をあげて泣き始めました…
その時、私は初めて事の重大さに気づいたのです…
主人はこの慣れ親しんだ環境を捨てられない、
捨てたくない…という意思もあって残るのだと思います。
もちろん経済的な安定を捨てることは、簡単ではありません。
今、何不自由ない暮らし、
それを捨ててまでもアメリカへ移住すべきなのか…
そして娘にとって、
いつもアメリカに行くことを楽しみだ、行ったら○○をしたい、
そう言っていた娘、
でも1つ1つ最後を迎え、
とにかく学校が好きだった娘、
涙でなんと言っているのかよく聞こえませんでしたが、
やっぱり、
アメリカへ行きたくない、
みんなと別れたくない・・・
そう言っていたように思います…
なんとか気を取り直して友達の家に夕飯を食べに…
まさかこんなに作ってくれるとは!!
中国からきたご家族で、
学校からくるプリントもよくわからないかなと思い、
コロナで学校が休校になったあたり、
少し声をかけてあげたこともあり、
仲良くなりました。
この辺りは中華街も近く、
中国から来られている家族も多いのですが、
本当にみなさんまじめで勉強熱心で、
私もアメリカへ移民として行ったら
同じようにいろいろ不安をかかえ、
必死に生きていくんだろうな…と
思う時がよくあります。
アルバムを見て、
泣きながら寝てしまった娘…
主人はお友達の家でかなりたくさん食べたので、
腹ごなしにいつもの散歩へ行ったのかなと思っていたのですが、
2時間以上戻らず…
主人は主人でいろいろ思うところもあり、
1人になりたかったのだろうと思いました。
これは学校のステンドグラスで、
最後に写真を撮らせていただきました。
うーん…
1年後…
戻ってくる可能性も高いから…
ランドセルとか防災頭巾とか、
実家に取っておくかな…
うーん、
複雑な気持ちです…
でもとにかく本当に
たくさんのすばらしい先生、友達に恵まれ、
今回は、お別れではなく、
またみんなにお手紙などで、
アメリカの様子を伝えられたらなと思い、
新しい一歩を進みたいと思っています。
それにしても…
みんなに「アメリカへ行ってもがんばってね!」と
書かれたたくさんの手紙をもらいましたが…
明後日出発する人の家とは思えない惨状…
いつもブログが長くなってしまってすみません…w
片づけますw
あ、片付けじゃなくてもうパッキングしないとか!w