Shamrockのブログ 年下の彼 + いっぱい涙 

Shamrockのブログ 年下の彼 + いっぱい涙 

オンライン彼氏と私の不思議なものがたり
しかもこんな年下の彼って・・ありえないでしょ><

Amebaでブログを始めよう!

どうしてあなたのことが好きなのでしょう

 

傷ついて

恋愛ごとを語られるのが辛くて

それでも聞いてしまう私は何なのでしょう

 

もしうちの子と結婚したら

しゃむはあなたの身内です

あなたが死ぬとき

「家族です」といえるようになることが嬉しくて

会える機会が増えるのも嬉しくて

 

とても能天気に構えていました

 

それなのにどうしてこんなに苦しいのでしょう

気を使われるのがどうしてこんなにつらいのでしょう

 

いつもキリキリ神経質に怒っている

あなたは嫌だけど

少なくとも気は使っていなかった

 

遠くなった気がして

悲しくて

悲しくて悲しくて

 

こうやって君が仕事に行ってしまうまで

ネカフェでブログを書いている。

まあね、好きって気持ちだけ押し付けて自分は変わらないで

全部相手に我慢させようとする

しゃむの離婚の再現でしたね

お子様とYの関係は

それでも別れなかったのは自宅に帰りたくないのと

まあここまで好かれることもないだろう

というちょっと甘い考えでした・・。

 

まあそうこうしている間にもしゃむはわんこと

会っていたりしたんだけど、

その時にお子様も連れて行っていたりしたの

そのたびに「メルアド教えて」ってわんこは

言ってたらしいんで「興味持ってるな」とは思ってたの

去年はSKNⅡの化粧水なんか買ってくれたり(!)

しゃむにはたらいまわしの物しかくれたことないのに

 

アイコスの新品買ってあげたり

今年も何か買ったらしい。

 

でもうちの子はなかなかメルアドとか教えなくて、

Yと別れてから教えたんだわ。

 

そしたらまー案の定さっさと電話に発展して

うちの子がさんざんYの愚痴をいいまくって

あー、来る時が来ましたねってとは思ってた

 

ある日わんこが電話で「お子さんあずかろうか」って言いだした

預かるって何さ、ふつう預からないだろ!

「今すぐ来たいって言ったらどうする?」

「ちょっとまて話してみるから」

とは言ったものの、うちの子と話してみると

もう行くことに決まっていたんですよ

「ママには悪いけど、このまま自宅にいても精神状態

がよくなると思えない」

って言われて、

もう諦めました。

 

もうわんこがうちの子の事好きなのはわかってましたし

 

池袋に来ると

わんこの面倒くさい性格はまあおいといて

干渉されないので

ずいぶんうちの子的には楽みたいなんだけど

そしてわんこの精神状態もちょっとは緩和されて

いいみたいなんだけどね

 

実際見るとね

耐えられなくてね

「ばあやの前で普通に(いつものようにおちゃらけたり)

できないな」とか言ってたらしいの

 

もうねほんとに「今すぐ帰ろうか・・・」

新幹線に乗っちゃおうか・・・

って今朝も考えていました

 

昨日の夜は「なんかごめんね邪魔みたい」

ってメッセージを送ったら

「どうしたの」って返ってくるんで

「3人で楽しくできると思ったんだけど違うみたい

ごめんね」

って言っといた。

 

しゃむはもっときゃっきゃ的なものを想像していたんだ

この前3人でバカ高いステーキ屋に行ったときみたいにね

(まあその時もお子様だけ奢ってもらってたけど)

 

でもねもうしゃむが中心じゃなくて

しゃむはおまけだし

いないほうがいいんじゃないかって

思えてね

 

普通に話すのもなんか辛い

よくしてくれようとするのもむしろ辛い

 

昨日私たちをベッドで寝せて自分は床で寝てるから

悲しくなったんだけど

「疲れてるんだからベッドで寝て」

って今朝言ったら

お子様の野郎一緒に寝てやがんの

 

だれがお前も一緒に寝ていいといったよ

見たくねえよそんなの

普段寝ててもいいよ別に

目の前で見たくねえよべたべたと

 

好きじゃないとかいうけどな

なんでそんなことできるのかしゃむには分らんよ

 

ただ二人がうまくいくなら大好きな2人には

うまくいってほしいよ

 

ただね気持ちとは裏腹につらいんだ

つらいんだ

今更又こんな思いをするのつらいんだ。。。

 

 

 

この横浜の男、Yとでも言っておこうか。

遡ればこいつは、私がわんこにマンションに入れてもらえず

あさ一番の新幹線で大阪に帰り

 

激やせしたころに

「今度東京来たら一緒に飲みに行こうね!」

って言ってくれたツイともだったのだ。

 

そして、横浜にY,Yの友人の女の人、(いいひと)

O(こいつはまだツイともである)、うちの子、しゃむ

で焼肉に行ったのだ。

その時、10年前だったな。

そして結局しゃむの話ではなくお子様の高校の愚痴で

話は終始した気がする。

 

その時によく話を聞いてくれたな、って印象があって。

そのあと、大学入学手続きで上京した時も

Yの主催するオフ会にいって、(その時は猫もいたな)

「なんかねえ、あの子いろいろあるみたいなんだけど

口きいてくれないんだよね。よかったら話聞いてやって」

って言って、

「なんだか学校でいろいろあることをわかってくれない、

ってことみたいだよ」

って言ってくれてね。

 

まあその時からうちの子の事結構気に入ってるなとは

思っていたの。

 

しかしその後Yは結婚しました。

そもそも同棲している人が年上で結婚プレッシャーとか

もあったらしく。

しかし「あー妥協の結婚いやだいやだ」と

つぶやいていました。

 

しゃむにはちょっとわからなかった。

妥協で結婚??じゃあなんで何年も一緒に住んでるの??

それから何年かYはオフ会からご無沙汰していましたが

ある年、久々に誘ってみました。

その時うちの子もいました。

りっぱに成長済みです。

 

その時に久々なのにあまり社交的でなかったYは

「タバコを吸おう」とうちの子を誘ってどこかにいって

何時間も帰ってきませんでした。

 

うちの子曰く「あの時 嫁とうまくいってないの?とか

聞かなければよかった・・」と言っていましたね。

 

それからYからうちの子に電話が来るようになりました。

そしてどうやら大阪に遊びに来ているようでした。

驚いたことにうちの子のところに泊まっているようでした。

 

その時、しゃむにはわかっていました。

うちの子は仕事をやめて学生に戻る以上自宅に戻るべきであるが

戻りたくないと。その状況からみて

横浜においでと誘われているに違いないと。

 

「行きたかったらいってもいいよ」ってしゃむは言いました。

それくらい自宅ってうちの子にとっては居心地が悪いんです。

そしてもう大人なんだからあれこれ禁止しても仕方ないと

思っていました。

しかし、しゃむに先に相談せずにその話をこっそりしていたこと

にはむっときました。

なんせこいつ、離婚してなかったからね。

 

だから暮らすんなら離婚してもらわないとね、と言いました。

Yは離婚を進めながら次の暮らしを決めたわけですが

ずるいやつって次が見つからないと動かないんですね。

全くゲスです。

 

仕送りしながら(結構かかる)横浜での生活が始まりました。

しゃむが最初に遊びに行ったとき、まあまあ仲良くしていました。

ところがです。

 

Yは趣味のバドミントンに週末だけでなく平日もいっていて、

友達も知り合いもいないうちの子をほったらかし、

金がないからプレゼントもないしうちの子から借金は

するし、そのバドの連中とは飲みに行ったりはしょっちゅうするんですよ。それも後でわかったんだけど一軒では済まないタイプ。

 

しかも自分の友達が多いエリアにマンションを選んだもんで

周りに買い物するところすら少なく、本当に

つまらないところでした。

 

そしてある日Yが言いました

「あいつ何にもしないんだよね・・」それを聞いた

お子様はキレました。

「ご飯作ってお弁当作って食費全部持って、掃除して

選択して、勉強までしているのに何もしてないだ??!」

本人がやってたのは皿洗いくらいじゃないですかね。

 

まあしゃむは言っていたんです

「そこまで合わせなくてもいいじゃない」

「弁当までつくらなくてもいいじゃない」

 

何と言いますかああいうのって細かいことが気になりますね。

どんなにご飯作っても豆腐を食べたり納豆を食べたり

どんどんエンドレスに飲んだり。。。

食費がただだからですかね。

ちょっと買い物頼むと「え、俺がそれだすの」みたいな

雰囲気あるんですよ。

30半ばの男がですよ。

無職で仕送りで暮らしている年下の女の子にですよ。

金がなければお前の子供を働かせろよ

とか書かれたんですよしゃむも!!!

余計なお世話じゃ

なんでお前の生活潤すためにうちの子がバイトとかせんと

いかんのじゃ。ケチ野郎!

 

忘れもしないある日の事、

やつは職場の集まりでBBQか何かをするために

肉を買いに行くといって「デパート」に行きました。

 

は????

デパートの肉???

普段ドケチのお前が上等の肉??

 

うちらには全く還元しないのに??

うちの子に見切り品のプレゼントしか買いたくない

みたいな態度とってるお前が??

まあ、なんだかんだで

これはお肉事件として我々の恨みを買うことになりました。

 

そしてバドミントン減らしてといっても

「大阪に行ったらできなくなるから」とか言って

→この時は2年の学校が終わるとうちの子が大阪に

帰るつもりだったのでついてくる気でいた

まあこれは一例に過ぎないんですけど

とにかく言い訳が多くて絶対無理くり相手を悪く言う

自分は悪くないんですよ。

 

1年もたたないうちにお子様は泣き出しました。

「うちに帰りたい・・」

実家が大嫌いな人間が実家に帰るんですよ。よっぽどですよ。

飼っていた猫もとりあえずそのままにして帰りました。

 

しゃむなら電話なんかも無視するんですが、

なんだかんだ話していましたね。

だからやめりゃいいのに

結局「バドミントンやめるから」っていうので

帰りました。

その頃ですかね、コロナが出始めたのは・・・。

 

 

 

 

 

いま、池袋のネカフェにいます。

わんこのうちから夜行バスに乗るときにいつもお世話になっているカフェです。

 

 

しゃむはうちの子がわんこと一緒に暮らしているのを見て、ショックを受けて

出てきてしまいました。

もう終わった。

何が終わったって分からないけど、もう終わった。

今まで何年も電話が来たりメールがきたりしてたけど、そんなの問題じゃない

あの子のこと好きなのも知ってたけどそこまでショックじゃなかった

でも昨日会ったときあまりのよそよそしさに

ショックが大きすぎて「帰りたい。。。」ってつぶやいちゃった。

 

どこから話そうか。

しゃむの子供は、しゃむが母子家庭だったこともあって

祖父母に接する機会が多かったんだけど、ばあちゃんがうるさくて細かくて、勉強ばかりさせて、

ある意味メンタルが小学生の時から壊れていたのね。

それもあってだと思うけど中学の時にそれが爆発して家出したり悪い奴らとつるんだり始めたの。

そうこうするうち睡眠障害みたいになって

不登校が1年半続きました。

 

そのせいで普通の学校には進学できず、そういった子を受け入れている

全寮制の学校に高校は行きました。

大変だったと思うけれど頑張って卒業しました。

 

その間、正直しゃむは楽でした。

子供には無視されている時期もあったけど、

それはわんこに振り向いてもらえないメンヘラ状態でいる一方で

猫野郎と一緒にいるせいだと

思っていました。

そうではなく「どうしてこの気持ち分かってもらえないの?うちにいると

つらいんだよ!」っていうことだったようです。

「そんなこと、私にだってあったよ」

「あんたの方がだいぶましだよね」と言って、

心の中でしゃむは「贅沢だよ、あんたの方が楽じゃないか」

と思っていました。

 

しゃむはしゃむで親にいろいろないじめも受けていたし、離婚の後遺症で

人間不信がある一方でメンヘラだったのです。

 

なんだかんだ、全寮制の学校に行ったことはよかったのではないかと最近2人で話をしたことがあります。

そして地元の大学でなく神奈川の短大に推薦入学を決めた時も

「え、なんで自分が選んだところじゃないの」って思ったようですが

結果的に自宅から通っていたら大学はやめてしまったかもしれないことを

考えると、やはりそれはそれでよかったのではないかと思っています。

 

そのあと、専門学校に1年行ったのですが、その時「自宅にいるのが耐えられない」

といってマンションに引っ越しました。

それも勝手にばあちゃんと引越ししました。

しゃむには何も言わず。

 

分かるでしょうか。もう面倒くさくて、子どもなんかいらないと思ったこと

何度もあります。

子供がいなかったら再婚したかもと思ったことも何度もあります。

子供がいなかったらさっさと一人暮らしして自宅を出たのにと思ったこともあります。

 

そのあとやっと就職したのですが、2年もたつころ「給料が上がらない」と

言い出しました。そんなこたー最初からしゃむはわかってましたけど、

反対すると又文句言われるので黙ってやりたいようにさせていました。

そしていずれ4大卒の資格がないといい仕事がないと言い出すことも予期していました。

「ただし通信にしてね」と言って、うちの子は3年編入の大学生になりました。

 

そのころから泥沼はすでに始まっていました(続)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと

 

うちの子がわんこと住むことになりました。

 

今頭白くなっててうまく書けないの

仕事はいっぱい溜まってるし

 

「ごめんね」って泣かれたけど

「うちの気持ちなんて何の関係もないわ」

ってつぶやいちまった

 

起こることは起こる

シャムの気持ちなんか関係なく起こる

悲しいですかと言われても

悲しい余地すらない