この横浜の男、Yとでも言っておこうか。
遡ればこいつは、私がわんこにマンションに入れてもらえず
あさ一番の新幹線で大阪に帰り
激やせしたころに
「今度東京来たら一緒に飲みに行こうね!」
って言ってくれたツイともだったのだ。
そして、横浜にY,Yの友人の女の人、(いいひと)
O(こいつはまだツイともである)、うちの子、しゃむ
で焼肉に行ったのだ。
その時、10年前だったな。
そして結局しゃむの話ではなくお子様の高校の愚痴で
話は終始した気がする。
その時によく話を聞いてくれたな、って印象があって。
そのあと、大学入学手続きで上京した時も
Yの主催するオフ会にいって、(その時は猫もいたな)
「なんかねえ、あの子いろいろあるみたいなんだけど
口きいてくれないんだよね。よかったら話聞いてやって」
って言って、
「なんだか学校でいろいろあることをわかってくれない、
ってことみたいだよ」
って言ってくれてね。
まあその時からうちの子の事結構気に入ってるなとは
思っていたの。
しかしその後Yは結婚しました。
そもそも同棲している人が年上で結婚プレッシャーとか
もあったらしく。
しかし「あー妥協の結婚いやだいやだ」と
つぶやいていました。
しゃむにはちょっとわからなかった。
妥協で結婚??じゃあなんで何年も一緒に住んでるの??
それから何年かYはオフ会からご無沙汰していましたが
ある年、久々に誘ってみました。
その時うちの子もいました。
りっぱに成長済みです。
その時に久々なのにあまり社交的でなかったYは
「タバコを吸おう」とうちの子を誘ってどこかにいって
何時間も帰ってきませんでした。
うちの子曰く「あの時 嫁とうまくいってないの?とか
聞かなければよかった・・」と言っていましたね。
それからYからうちの子に電話が来るようになりました。
そしてどうやら大阪に遊びに来ているようでした。
驚いたことにうちの子のところに泊まっているようでした。
その時、しゃむにはわかっていました。
うちの子は仕事をやめて学生に戻る以上自宅に戻るべきであるが
戻りたくないと。その状況からみて
横浜においでと誘われているに違いないと。
「行きたかったらいってもいいよ」ってしゃむは言いました。
それくらい自宅ってうちの子にとっては居心地が悪いんです。
そしてもう大人なんだからあれこれ禁止しても仕方ないと
思っていました。
しかし、しゃむに先に相談せずにその話をこっそりしていたこと
にはむっときました。
なんせこいつ、離婚してなかったからね。
だから暮らすんなら離婚してもらわないとね、と言いました。
Yは離婚を進めながら次の暮らしを決めたわけですが
ずるいやつって次が見つからないと動かないんですね。
全くゲスです。
仕送りしながら(結構かかる)横浜での生活が始まりました。
しゃむが最初に遊びに行ったとき、まあまあ仲良くしていました。
ところがです。
Yは趣味のバドミントンに週末だけでなく平日もいっていて、
友達も知り合いもいないうちの子をほったらかし、
金がないからプレゼントもないしうちの子から借金は
するし、そのバドの連中とは飲みに行ったりはしょっちゅうするんですよ。それも後でわかったんだけど一軒では済まないタイプ。
しかも自分の友達が多いエリアにマンションを選んだもんで
周りに買い物するところすら少なく、本当に
つまらないところでした。
そしてある日Yが言いました
「あいつ何にもしないんだよね・・」それを聞いた
お子様はキレました。
「ご飯作ってお弁当作って食費全部持って、掃除して
選択して、勉強までしているのに何もしてないだ??!」
本人がやってたのは皿洗いくらいじゃないですかね。
まあしゃむは言っていたんです
「そこまで合わせなくてもいいじゃない」
「弁当までつくらなくてもいいじゃない」
何と言いますかああいうのって細かいことが気になりますね。
どんなにご飯作っても豆腐を食べたり納豆を食べたり
どんどんエンドレスに飲んだり。。。
食費がただだからですかね。
ちょっと買い物頼むと「え、俺がそれだすの」みたいな
雰囲気あるんですよ。
30半ばの男がですよ。
無職で仕送りで暮らしている年下の女の子にですよ。
金がなければお前の子供を働かせろよ
とか書かれたんですよしゃむも!!!
余計なお世話じゃ
なんでお前の生活潤すためにうちの子がバイトとかせんと
いかんのじゃ。ケチ野郎!
忘れもしないある日の事、
やつは職場の集まりでBBQか何かをするために
肉を買いに行くといって「デパート」に行きました。
は????
デパートの肉???
普段ドケチのお前が上等の肉??
うちらには全く還元しないのに??
うちの子に見切り品のプレゼントしか買いたくない
みたいな態度とってるお前が??
まあ、なんだかんだで
これはお肉事件として我々の恨みを買うことになりました。
そしてバドミントン減らしてといっても
「大阪に行ったらできなくなるから」とか言って
→この時は2年の学校が終わるとうちの子が大阪に
帰るつもりだったのでついてくる気でいた
まあこれは一例に過ぎないんですけど
とにかく言い訳が多くて絶対無理くり相手を悪く言う
自分は悪くないんですよ。
1年もたたないうちにお子様は泣き出しました。
「うちに帰りたい・・」
実家が大嫌いな人間が実家に帰るんですよ。よっぽどですよ。
飼っていた猫もとりあえずそのままにして帰りました。
しゃむなら電話なんかも無視するんですが、
なんだかんだ話していましたね。
だからやめりゃいいのに
結局「バドミントンやめるから」っていうので
帰りました。
その頃ですかね、コロナが出始めたのは・・・。