始めに…

母って本当にありがたいもの。

今は心から長生きを願っています。



昔は毒親の要素あり

感情の起伏激しく、

言葉の暴力も酷く、

夫婦仲も非常に悪く、

物凄く行動も干渉されましたチーン

中学時代は

自分の目の届く範囲での生活しか許されず

部活なども許してもらえませんでしたし

学校から帰る時間も分単位で計算され

友だちも干渉されましたし

塾なども行ったことがありません。


中学生〜大学生あたりの頃は

家での良い思い出はあまりありません滝汗

思い出すのは苦しさです。

「能無し!」とか「豚!」とかね…

なんで日常茶飯時に

あんなに罵られていたんでしょうね。

父への言葉の暴力はもっと酷かったので

家の中は凄まじかったです。

その後も親の敷いたレールに従わない

生き方は許されませんでした


(わたしも妹も、母が希望通り、

地元随一の進学校へ進み

地元国公立大へ進み、

家から通える大手企業に就職しました。

わたし昔から飛行機が好きで

航空会社に勤めたいと思ってたんです🛩

今なら反対を押し切って

受けに行く勇気ありますけどねニヤニヤ

社会人2年目の時、内緒で軽い気持ちで受けた

CAの面接、最終まで行ったんです。

東京での最終面接の案内が実家に届いて

母にバレ、絶対に反対すると思っていた母は

なんと反対しませんでしたポーン

が、仕事絶対休めなかったとか、

入りたかった航空会社ではないとか

諸々あって最終面接を受けに

行くことをやめました、、

今もたまに後悔しますが、その頃から

社会人になった子供への理解が出てきていたのかも)



でも私たちへの愛情を疑ったことは一度もなく

全力で愛してくれているのは

わかっていましたので

おそらく、母はなんらかの精神的障害?

発達障害的なものなのではないかと

妹と結論づけていました。

祖母からも本当によく

母に対する愚痴を聞かされていました。

手に負えないとね



でもその母が。

わたしたちが結婚した後

人が変わったようになりました真顔

自分の子育ての責任が終わったと

感じたのでしょうか。

あの母だから、結婚した後の過干渉を

恐れていましたが、まったく‼️

本当に一切‼️必要な時だけ‼️

わたしたちがアクションを起こした時のみ

全力で考えてくれます。

普段はただただ見守ってくれています。

車で20分くらいの距離にいますが、

数ヶ月会わないこともザラです。

連絡もわたしからは、ほとんどしません。

子どものことで嬉しいことがあった時に

写真などメールするくらいかな?

寧ろ離れて暮らす義母の方が連絡の回数は

多いかもしれません。

年と共に丸くなったというのもありますが

あの異常なほどの苦しさを生み出していたのは

母の異常なほどの子どもに対する責任感からくる

プレッシャーだったのでしょうか。

母もずっとバリバリとフルで

働いていましたので

日々のストレスもあったのでしょうか。



わたしたちが結婚などで

実家を出て行った後

父と母が二人暮らしをしたら

全てが父に向かい

(昔は父の翌日の仕事なんてお構いなしに、夜中じゅう、寝室で大声で罵り続けたりしてました)

母をどうにかしてしまうのではないかと

本気で心配したほどです…

今は私たちにはおかしなところはありませんが、父にはやはりまだ甘えがあり、

少し昔の片鱗を覗かせることもあるようですが、セカンドライフ2人で仲良くやっています。



わたしがここ数年仕事で本当に

精神的に辛かった時も

毎日愚痴メールをしても、

いつもいつも丁寧に返してくれました。

「もう頑張らなくていいのよ」

と何度も言ってくれました。


「今まで充分頑張ったでしょう」と。

「G Wまでがんばる?」

「夏くらいまでやってみる?」

「身体にだけは気をつけて」

「教育費とかお金のことなら

援助してあげるから心配しないで。」


我が家は主人とダブルインカムで

それほど給与が違わないので

わたしが辞めると世帯年収が半減します。


普通に暮らしてはいけますが

突然半減となると、生活レベルを落とすのは

かなり辛いと思うので

辞める決心がつかないところ。

職場で転職している人も多くいますが

やはり年収は下がってしまう。

でも精神的健康を考えると

転職を選ぶのが正解だとも思うので、考えてはいます。



そんなわたしへの取り留めない

愚痴にいつも付き合ってくれながら

母、癌が再発転移していたんですね。

わたしや妹には

「忙しいから余計な気を煩わせないように」と

母の希望で、父母だけで抱えていました。

そして余命宣告。

長くて半年。

抗がん剤でボロボロです。。



途中、わたしのコロナ脱毛がありゲロー

それも随分と心配してくれました。

それどころじゃなかったのにね、、、母。

もう少し早くわたしたち姉妹に

伝えてくれていたなら

セカンドオピニオンとか色々な面で

もっともっと考えて力になれたのに。

でもまだわたしは諦めていません。


子どもたちのことのことを

自分のことのように喜んでくれる母。

これからも、子どもの成長を伝えたいんです。

一緒に喜んでくれる人がいると

喜びも何倍にもなりますよね。

近くに住んでいても、年に数える程しか

会わない生活が何年も続いていたけれど

それは元気でいてくれていたからこそ。


父も、あんなに苦労してきたはずなのに

今もたまに対応苦慮しながらも

仲睦まじくやっていたので

かなり落ち込んでいます。


母のために何ができるか

毎日ふと溢れる涙のなかで

精一杯考えています。

いろいろ調べるなかで「免疫療法」

やってみようかなと。。

賛否両論あるのはわかっています。

でも一縷の望みでもあるなら

賭けたいです。






抜け毛がなくなったこちら。。

わたしは再発がわかった時点で

母にも飲んでもらっていますが、

薬ではありませんので、

長寿因子に効くならば

MNMとともに健康なうちに、

飲み始めるのが良いですね。