あだ名は「組長」

スキンヘッドで目付きがわるいから


30年くらい前の学生のころは、
アメフトをやっていたらしく、今ものっそりと体が大きい


営業職なのに、無口で無表情

でもときどきわらうと、
存外やさしい表情のN課長


今日はふらりと事務所に帰ってきて、

「うさみんさん」と、

私を呼んだ


いつもはわざわざ呼んだりしない

ふらりとやってきては、
ふらりと仕事をねじこんでいく

(気づくといなくなってるから断りようもない)


「支払明細は俺が自分で出すの?」

「ハイ、そうしてもらってます」

「ふーん」

沈黙
(よくある)


「今月だけは、出しといてくんない?」
とN課長は言ってメモをしだした

わざわざメモしてくれるなんてめずらしい

「ハイ」
営業さんを甘やかさないようにと言われてるんだけど、

ついうなずいてしまった


年齢が倍ちかいおっさんに言うのもなんだけど、
今日は、
なんか甘やかしてみたくなったのだった



そのあともN課長は、
プラプラ事務所内を徘徊して、
ときどきベランダでタバコを吸っていた


「今度の飲み会、10日でだいじょうぶですか~?」

N課長は呑兵衛だから、
飲み会の話題で話しかけてみた

そしたらなにも答えずに(無口)すこしだけわらった

「だいじょうぶですよねっ」
って私もニッコリした

N課長はまたタバコとともにベランダに消えていった

10日はだいじょうぶという合図だった




定時もすぎて、

N課長はふらりと帰ったらしかった

トイレに行ったんだか、
帰ったんだかわからないくらいさりげなくいなくなっていた












そのあとで、

N課長は今朝、

お母さんを亡くしたのだと、
人づてにきいた


今夜から葬儀などがあり、
1週間の休みをとると連絡があったらしい






一言も言わず、
表情をくもらすことなく


ベランダでなにを思っていたのだろう

タバコをふかしながら








むりをしないでね、
なんて、
そんな言葉は不要なのだと思った…



どんよりした雲の夜

夜も深くなってから、ふと、
レンタルしていたDVDをかえしていないことに気づいた

ふだん借りないから、
かえしわすれていた


レンタルショップはとなり駅だ

今ならまだ電車もある
しょうがなく家を出た


雲が厚い上に、
湿気をふくんだ風までがつよくなっていた
不安を抱きながら歩く

とおりすがりに、
柄のわるい連中がもめているのが横目にみえた
柄はわるいのだが、
まぶしいほどの白いジャケットをはおっていて、
心がすくわれる思いがした




レンタルショップがみつからない

どこで借りたのだったか…
迷ううちに、カバンの中が空なことに気づいた
DVDをもっていなかったのだ


帰ろう

延滞料金をとられるかもしれないが、
しょうがない
今日はもう電車もおわりだ





ちいさなアパートの2Fの一室に帰り、
ベッドにもぐりこんだ

つよい湿気が気になってねむれない

さっきうたた寝をしたからだろうか

真っ暗な部屋でしずかにしているうちに、
遠くからゴォゴォ音がきこえてきた



…なんの音だろう?


いつものように階下の住人がさわがしくしているのかと思ったが、
そうではないようだ

どうも窓の外からきこえてくる
すこしだけ手をのばしてカーテンをめくってみればよいのに、
やっと体が眠りへとむかっている中、
どうしても動く気になれなかった

…体が重い


なんとか体を起こしカーテンをめくると、
雨はふっていないようだった

遠くにある樹木が、
狂ったように葉をゆらしているのがみえた

台風の前兆かもしれない




しかし気にするほどのものでもないだろう


カーテンをしめた






部屋が暗やみにもどり、
しずかにしていると、窓をたたく音がした
ついに雨がふってきた

ねむれないいたたまれなさから、
嵐のようすを見たくなって、再び手をのばした



雨がふっているのではなかった

隣家の屋上にあるプールが強風で水面をうねらせていて、
その大量の水がここまであふれてきているのだった

なぜこんな日にプールにはいる気になるのやら、
その気がしれない

金持ちの道楽は、
ときどき理解にくるしむ


プールのうねりは増し、
水は思ったよりも大量に、
こちらにふりかかってきた

プールの主は、
いつのまにか姿を消している

プールサイドにはなぜかティッシュボックスがひとつ置きわすれられている
よほどあわてて屋内に逃げかえったのだろうか
後しまつのことなど考えもしない



ひときわ大きく窓をたたく音がした
瞬間、左の手の甲に、
かすかに水を感じた

いやな予感がして右手でなでてみると、
湿っている

あふれるプールの水の水圧があまりに高すぎたのだろう
古い窓のすきまから、
水が室内にまでおよんだのだった

そうなるとあとは早くて、
水はあとからあとから部屋に侵入してきた

すこしでも被害をおさえるためにベッドを窓からはなす

床は水びたしだ



ただでさえたよりない床が、
ますますもろくなる


腐ってゆくのだと感じた



水を屋内にかき出しながら床を見やると、
ベッドの下から、
昔なくしたと思っていたネジと、
電池がいくつか出てきた

今さら見つかってもなににもならない
このままさびて使えなくなるのだろうし、
この家もいったいどうなるのかわからないのだ


外からの水圧に耐えきれなくなってひしゃげるこの建物は、
ネジひとつでは正しいかたちにもどせない



思い出ばかりの部屋

だれも訪れることのない、
ひとりの思い出がつまった部屋

ひとりよがりにすごした部屋

この家をすてることは思いつかなかった





ひとりだけ、
だいじなヒトの顔を思いだした

深夜に電話をかけたりしたら、
迷惑だろうか?

家がひしゃげるところなのです、と



ねむっているかもしれない

でももう最後なのだ

迷惑と思わないでくれるかもしれない
モバイルフォンを手にとる




画面をみると、
真っ暗だった

もう
完全にひとりなのだった


隣家のプールは、
うねりを増しつづけている
いつかみた外国の映画のように、
まるでプール自体がこちらにむかって傾いてくるかのようだった


映画を見ていたときは、
ばかみたいに無邪気にはしゃいでいたのに



いつからひとりだったのか、

もう思いだせない




しかし、今さら思いだしても、
意味もない