揺れ戻しが多いとき。
せっかく、自分で「幸せを内側から見る」
「外側はただの事実」
「足るを知るには豊かさを感じることにする」
と決めても、



そうじゃねーよ!
やっぱ比較しちゃう!
外側見ろよ!!


と、脳が言ってくる。
頭の声がうるさい。
変わらない。


この揺れ動きでぐるぐる回るのが得意です。



こういう時は


◎まだ、決められない
◎まだこの状態を楽しみたい


だったりします。


この状態でモヤモヤ、わさわさ、ザワザワするのを
たっぷり感じながら、この本を読んでました。




p58

手が自分で動いた。
「次はこう」と考えていないのに勝手に動いた。

中略

「あなたは、すぐにそうやって頭で考える。
頭で考えないの。手で知ってるから。
手に聞いてごらんなさい」

「頭で考えなければいいの。もっと自分の手を信じなさい」



これを読んだあとに、
ふーんと思って自分のノートに向かい合った。


私のわさわさは何なのか?



すごく焦ってる。
もっと上手く自分を見ないと。
外側を見ないように!!
自分の安心を感じないと!!

と、いう焦りでした。

早速ググッてみると…


私は相変わらず、


物質的なことや、人の行動や考えを無理矢理変えようとしていた。
無理に自分に合わせて上手く行かせようにしていた。


これって、とっても不自然じゃない???


だって、花や空や動物は自然で完璧なのに、
宇宙は常に完璧なのに、
それをムリやり力を加えるなんて不自然じゃない??



ここで、やっと気がつきました。


私の身体はもうすでに「決めたこと」を知っている


理屈じゃない何かを感じているし、
私の身体は脳じゃコントロール出来ないことをやってる。


いつも、


身体が先。
頭は後からついてくる。


コップが落ちるときに、思わず手が出るよね?
その時の手が出るときは、頭で判断してない。
咄嗟に反応している。


「手を信じなさい」
とは、まさに頭じゃなくて身体を信じることだ。




身体が感じていることを理解しようとして、
頑張って言語化する。
アウトプットしようとする。
頭で理解しても、身体で体験しないと身につかないという。


最後は身体。
身体に屈するしかない。
私の頭で答えを探すよりも、身体はずっと正直で答えを知ってる。
ヨガでもそれを学んでいた。





身体が硬くて痛くなるから、
痛くない「方法」を使ってストレッチやヨガをする。
知識→身体→知識→身体をずっとやっていた。





だから、私は


自分の身体、感覚に全てを引き渡しました。
=感知することに降伏しました。



やっとのこと。



この感覚が教えてくれることを叶えること
感覚が知ってることを心地よくすることに頭を使うようにすると決めました。



そうすると、頭はすーっと静かになって内側の声だけ聞こえてきます。
理解出来ないことを決めたんだもん。
きっとそのうち頭でもわかるようになる。
これが、余白を作るということなんだ。



体は正直。
頭は最後。


こっちが今のわたしのしっくり。