秋桜-コスモス-

秋桜の花によせて・・・。



私の住む街には「秋桜街道」という名の
大変ロマンティックな道路がありました。


シーズンになるとおよそ1kmほどにわたり、
道端におびただしい数のコスモスが咲き乱れるのです。



季節ごとの花を愛でた母は、秋桜街道のコスモスが
満開の頃に天国へ行ってしまいました。


母の亡骸はこの秋桜街道を抜けて、
その先の斎場にて荼毘にふされました。

視界をおおうほどの秋桜を、このときの私は
なんともいえない気分で眺めていました。


おそろしく悲しいはずの葬送なのに、
こんなにも秋桜で埋め尽くされた道を行くとは・・・

それはそれは不思議な感覚でした。



その後、開発が進み、またたく間に
秋桜街道の長さは半分以下になってしまい、
咲く花の数もうんと減ってしまいました・・・。



それでも、毎年シーズンになると、
ぽつりぽつりと、そこかしこに咲いている秋桜を目にします。


コスモスを見るにつけ、母のことを思い出さずにはいられません。



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背中

それからというもの、母は毎日廊下に出て歩行訓練をしました。



自宅から病院に着いた私が目にするのは、

たいてい歩行訓練中の母の背中でした。



手すりにつかまりながら、ゆっくりゆっくり。

少しずつ少しずつ距離をのばしながら・・・。



あるときとうとう廊下のはじまで到達することができました。


母の入院していた階は病棟の11階でした。

見晴らしが大変よくて、遠くまで見渡すことができました。


私の結婚式をする場所が池袋でしたので、

お天気がいいと池袋のシンボルのあのビルが見えるのです。



「あそこへ行くんだ・・・!絶対に行くんだ・・・!」



母は口癖のように言っていました。


彼方に見えるビルをまぶしいものでも眺めるかのように眺めながら・・・。





それとは並行して、母はベッドの上で独自のストレッチを行っていました。


よく見かけていたし、なんとなくはわかるのですが、

残念ながら詳しいノウハウはわからずじまいなままでした。


今にして思えばそのノウハウを教わっておくのでした。



そのストレッチがかなりの効果があったことは目に見えてわかりました。


歩ける距離、速度、かがんだりしゃがんだりといった動作。


それらが見る見るうちに良くなっていったのです。




あまりの回復ぶりに、きっと評判にでもなったのでしょう。


リハビリ専門の若い医師がたびたび母の部屋を訪ね、

専門的な談議をしたり、質問をしたり、

世間話をして談笑したりといった光景がみられるようになりました。



その驚異的な回復の影にはどれだけの努力があったことか・・・。

その壮絶なまでの努力を微塵も感じさせないくらい、

若い医師と話すときには明るくあっけらかんとしていたものです。




医療スタッフやお見舞のお客さんなどがいないところでは、

やはりグッタリとしてしんどそうにしていました。


それでも弱音を吐くと式に行かせてもらえなくなるから・・・・・。


来る日も来る日も母は気丈にリハビリを続けました。


ベッド上のストレッチと、それから廊下での歩行訓練。



「あそこへ・・・、あそこへ行くんだ・・・!絶対に行くんだ・・・!」



廊下の手すりにつかまる母の後ろ姿は、

心なしか、背中が以前よりも小さく見えました・・・・・。




リハビリ開始

きちんと歩けるようになること。


外出できるだけの体力をつけること。




これが母が自分に出した課題でした。




以来、車椅子でしか移動のできなかった母は、まずはベッドの柵につかまってベッドサイドに立つところから独自でリハビリをはじめました。


本来はまだとうていリハビリをはじめられるような容態ではなかったため、独自で行うしか方法がありませんでした。


幸い、体育教師であったために体力には人並み外れて自信があったであろうことが、このときの母を支えているように私には見えました。




ベッドサイドに立ててからは、そこから数歩、ゆっくりゆっくりと足を前に運ぶ訓練を繰り返しました。


とは言ってもベッドの縦サイド分を動くのがやっとでした・・・。


それを繰り返し繰り返し、日々行っていました。





そんなある日、病院について病棟の廊下を、母の病室へと向かっていた私の目には、病室の入り口で廊下の手すりにつかまってやっとの思いでふらふらと歩いている母の姿が飛びこんできました。


いえ、歩いているという表現は当てはまったものではありません。


手すりにつかまった腕の力に頼り、次の一歩を出すのすら危うくなっているような状態・・・。




私はあわてて母のところへ走り寄りました。




「大丈夫!?!?どうして廊下まで出たの!?」




「今日はね、ちょっと調子がよかったんだよ。

だからちょっとがんばってみたんだ!」




そこには子どもみたいに嬉しそうにニコニコしながら話す母がいました・・・。

大喧嘩

事件はある日いきなりおこりました。


いつものように病室へ行った私は、なんとなくいつもと違った空気の悪さを感じました。




母に事情を聞いてみたところ、なんと医者と大喧嘩したというのです!


理由は娘の私のことでした・・・・・。




妊娠中期に入っていた私は、この年の秋に挙式予定だったのにそれを待たずしてお腹に赤ちゃんができてしまっていたので、式を繰り上げて5月に行うことになっていました。


4月に大きな手術を2回も受けた母。

大変な病気をかかえた母。


正直、式と披露宴への出席は絶望的な状況でした。

延期にするか、中止にするか、それとも強行するのか・・・。


なにしろこのころの母は車椅子での移動しかできませんでしたし、

トイレに行くのにも入り口まで車椅子で行き、誰かがガッチリと介添えしていないと用が足せないくらいの状態でした。


そのくらいに足に受けたダメージと、それから抗がん剤によって体に受けたダメージが大きかったのです。



母はそれでも延期や中止にはするなと言いました。

会社の上司や友人知人、親戚一同にはとっくに招待状を出していたからというのもあります。


では、母だけ病院で待機・・・・・?


それくらいなら延期でも中止でもいいやと思っていました。


そのあたりのことは平行線で、話しが堂々巡りだったのです。




医者と喧嘩になったのは、他でもないそのことについてです。




『結婚式に行くから外出許可をくれ』


という母に対し、お医者は、


『とんでもない!そんな体ではとうてい無理だ!』


と断固反対しました。



素人目に見てもとんでもないのがよくわかりました・・・。



ですが母も人一倍頑固でしたので絶対に引きません。



『どうしてもダメなら脱走してでも行ってやる!』


『娘の結婚式に出席しない母親がどこにいるのか!』


といった調子でした。




この押し問答はしばらくの間続くことになってしまいました。



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