『カッコーの巣の上で』 ~正常が異常に、異常が正常になる世界~ | ありがとうございました

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蹴って蹴られて… うつけ者のニューシネマなブログ


 “カッコーの巣”というのは精神病院のスラング的な表現だそうです。     

 けして普遍的とは言いがたい作品も多いニューシネマの中でも、だれもが感動できる作品ではないでしょうか。アカデミー主要5部門を40年ぶりに独占受賞をした感動作です。

 若かりしころ、「管理野球」、「管理教育」、「管理社会」などという言葉がよくマスコミの記事などで見かけていて、“日本人は、とくに若い人はひょっとしたら管理されたがっているのではないか? そのほうが自分で考えなくても済むし、責任もとらなくてもよい…。ひょっとして日本人の勤勉さというのはまやかし?”などと、若さとバカさで手前勝手な論理を展開していたことがありました。ただ、責任もとらず、自分で考えたり、道筋を決めない者には“自由”がありません。そのことをこの作品は語りかけています。


 <内容>

 オレゴン州の精神病院へ、刑務所に入りたくないために精神病のフリをしたマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)が収容されてきます。その病院は婦長のラチェットが大きな権力を握り、患者たちを徹底的に管理しまくっているまったく自由のない世界。そんな病院や冷酷無比のラチェットに頭がよくて反骨心の強いマクマーフィーはことごとく反抗していき、騒動を起こしまくります。

 ある日、治療の一環としてとして行われている患者同士のグループディスカッションを中止にして“メジャーリーグのワールドシリーズが見たい!”とマクマーフィーが提案します。そして多数決を得られればOKということでいろいろマクマーフィーは患者たちを説得して回りますが、ラチェットの氷のような意地悪で挫折… しょうがなくディスカッションが始まるのですが、諦めきれぬマクマーフィーはTV中継をやっているつもりで、自分で試合の実況を始めたりします。失意の賛成患者たちが少しずつ生気を戻していく表情が印象的です。転んでもたたではなんとかのマクマーフィー。

 他にもバスを勝手に乗っ取る? 貸し切ってみんなで出かけてしまったり、ヨットを借りて外洋まで出てしまったり…。最初は野蛮で下品で、ヒーローなのかヒールなのかわからない感じのマクマーフィーだったのですが、その自由奔放で人間らしい姿に、見ている私たちもそして映画の中の患者たちも共感を覚え、応援したくなってきます。

 ところがマクマーフィーが起こした騒動で、他の患者もいっしょに罰せられたり(このへんの婦長の連帯責任的な罰の与えかたも心理的な拷問めいていていやらしい)、けっこう患者たちは退院しようと思えば出られるのに、外の世界が怖いのか、管理されてるのが楽なのか、自分の意思で病院にいることを知り、ちょっと落ち込みそうになるマクマーフィー。そんなとき、今までだれとも口をきかず、聾唖と思われていたネイティブアメリカン系の大男チーフが、そっとマクマーフィーに話かけます。チーフは生き生きとしたマクマーフィーの姿に元気をもらい、二人でいつかここを脱け出そうと誓い合います

 また元気が出てきたマクマーフィーは宿直の看護士を買収して病院内でパーティーを開いてしまいます。おまけに酒を持ち込みお姉ちゃんまで連れ込んで… 

 朝になり、メチャクチャになっている病院内。騒然となる職員たち。さすがの氷のラチェット婦長も目が怒ってる。彼女はマクマーフィーをいちばん慕っていた男性患者ビリーに対して、過去のトラウマを逆なでするようなことを言いまくり、心理的に追い詰めます。そこはまだ精神病患者さんです。追い詰められたビリーはパニックになり自殺してしまいます…。

 ここからが不気味です。職員たちは自殺したビリーの遺体を日常のことのようにテキパキと連れ去り、いつもの業務を続け出します。とくに変らないのがやっぱり氷の婦長… その当たり前の、なんの罪悪感も感じておらず、いつもの仕事をこなす姿は不気味、恐怖を通り越して怒りさえ込み上げてきます。(ここの演技は主演女優賞を受賞したラチェット役のルイーズ・フレッチャーがお見事です)で、もちろん我らがマクマーフィーも同様です、あまりにも余裕の表情の婦長にマクマーフィーは跳びかかり、首を絞めてしまいます。職員たちに取り押さえられ、そのまま拘束されて連れ去られるるマクマーフィー…。

 数日後、静かになった病院で待つチーフの元にマクマーフィーが帰ってきます。が、その姿を見て愕然とします… 額には奇妙な縫合の跡、完全に焦点の定まらぬ目… 笑わず、泣かず… 手術によりマクマーフィーはほとんど植物人間のような状態にさせられてしまったのです。

 失意のチーフは夜、生気なく動かないマクマーフィーを窒息死させる。   

 そして院内にある給水機を持ち上げ、窓をぶち破る…。

 チーフは自らの足で外の世界へ踏み出し、旅立っていった…。


 ちょっと内容が曖昧のところがあり、申しわけありませんが、とにかく恐ろしいのが、いちばん人間らしい生き生きとしたマクマーフィーが、病院内では完全に異常者扱いになってしまうことです。そしてなんの感情もなく秩序や管理体制を不気味なまでに固辞、執行しようとする病院職員やラチェット婦長があそこでは正義のような感じになっていること。

 行き過ぎた「管理」というものが、なにが正しくてなにが悪いのかわからなくさせてしまうことを表現しているような気がします。


 『イージー・ライダー』のときに、ニューシネマの主人公たちは“敗れざる者”たちばかり… と書きましたが、マクマーフィーの最後もつらい現実が待っていました。しかし、まだ救いなのはだれともしゃべらない無感情のチーフがしだいに人間らしさを取り戻し、外の世界へと自ら巣立って行くラストです。悲しいんだか、すがすがしいんだか… う~ん、やはり、この映画も見終わった後、しばらくだれとも口をききたくないかもしれませんね(笑)


 ちなみにこの作品のプロデューサー、マイケル・ダグラスは“あの”『危険な情事』や『ブラック・レイン』の、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ姉さんの旦那さんのマイケル・ダグラスです。監督のミロス・フォアマンは数年後に『アマデウス』という名作も撮ってます。って、どちらも有名な話ですね。