死語かもしrない『アメリカン・ニューシネマ』とは? | ありがとうございました

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 すべては、無。 
 

 『アメリカン・ニューシネマ』とは、主観ですが、アメリカ映画が最も刺激的で、見た人々を考えさせ、エキサイティングだった映画かもしれません…。

 それは1967年の『俺たちに明日はない(原題 ボニー&クライド)』から始まった若い“映画作家”たちのエネルギー溢れる映画の数々です。

 それまでのアメリカ映画はジョン・ウェインの西部劇や、マリリン・モンローのコメディタッチの恋愛もの、ハンフリー・ボガードのまったく弱さのかけらもない男映画等、美男美女しか出てこない、リアルな暴力、生活、差別、セックス、暗部はすべて覆い隠したお伽噺のような非現実的な作品ばかりでした。…って、けっこうそんな作品も私は好きなんですが…。

 それはさておき、60年代に入り、時代は公民権運動、キング牧師暗殺、ベトナム戦争、ケネディ大統領暗殺、ヒッピームーブメント、ウォーターゲート事件と、暗い世相になってきます。うわ~ ほんと暗い。アメリカ社会は混乱していたのです。すると観客は非現実的なお伽噺がいかにも嘘臭くて拒否反応を示しはじめます。同時にTVの普及も重なって映画業界は倒産寸前に陥るのです(ディズニーは大丈夫だったみたいっす)。

 そんな中、ヨーロッパではゴダールや、トリフォー、アントニオーニ、ビスコンティ、等の斬新で活気ある映画が映画界に衝撃を与え、アメリカの若い監督たち、M・スコセッシ、P・ボグダノヴィッチ、W・フリードキン、F・コッポラ、B・デパルマ、S・スピルバーグ等の若くて才能のある多くの映画作家がゴダールたちのような映画を作りたい! と意欲を燃やします。

 そんな60年代後半、女優シャーリー・マクレーンの弟、ウォーレン・ビーティはフランスの映画監督、F・トリフォーに映画を作ってもらおうと、彼の元に行きますが、断られてしまいます。トリフォーさんはいい人なのか、せっかくはるばるアメリカから来たから「この脚本あげるよ」と言ったかどうかどうかはわかりませんが、ビーティにくれたのが名作『ボニー&クライド』の脚本だったそうです。

 主演とプロデューサーを兼ねたビーティはハリウッドから遠く離れたアメリカ南部でこのギャング映画をほとんどロケで撮影し(当時のハリウッドはスタジオのセット撮影が基本だった)、もうバンバン血を流して、銃弾撃たせて、あの壮絶なラストシーンまで作り上げました。

 完成品を見たワーナーブラザースの社長はカンカンに怒りまくって(あまりにも過去の古きよきアメリカ映画と違うから)、ちょっと公開してすぐにお蔵入りにしたそうです。ところがその後、『ボニー&クライド』はあの『タイム』誌に紹介され、「この映画はニューシネマだ!」と絶賛され、再びワーナーは『俺たちに明日はない』を公開、大ヒットしたそうです。そこで斜陽だったアメリカの映画会社はこぞって若い映画人にチャンスを与えろ! と無名に近い監督たちにどんどん映画を撮らせ、『アメリカンニューシネマ』の時代が始まったのです。

 「アメリカンニューシネマ」が今までのハリウッド映画とどこが違うか? と言うと、まず、ヘイズコードというセックス、ドラッグ、ロックンロール… じゃないな、セックス・ドラッグ・バイオレンスを規制する枠をかなりゆるくしたことにあります。それによって、ストーリーは現実的になり、迫力が増し、登場人物は等身大の主人公が多く現れます。共感を持ちやすくなったわけですね。

 そして映像作家ともいえる監督が誕生したこと。それまでの50年代の映画監督はプロデューサーの言いなりで、監督はほとんど自由に映画を作れなかったそうです。一部の西部劇の巨匠J・フォードや『サイコ』で有名なA・ヒッチコックのような特異な監督以外は作品に対して力をあまり持っていなかったそうです。

 もう一つ、出演者をスクリーンの大スターばかりではなく、“アクター”、“俳優”をたくさんスクリーンに登場させたことです。それまでのハリウッド映画はスターしか出てこなかったのです。美男美女がフラレても、仕事で悩んでも、ひどい差別を受けても、ギャングに脅されても、あまり感情移入できない… スターはどんな役を演じてもあくまでもスターとしてスクリーンに映ります、が、“アクター”たちはその役柄の設定に合わせてどんどん自分を変えて行く… まさにカメレオンなのです。

 50年代の映画は大まかに分けると、かっこいい人、強そうな人、やたらラッキーな人、そんな人ばかり、でも現実は違う…。「ニューシネマ」俳優たちはけして強そうでも、かっこいいでもないごく普通の市民、男、女… いや、場合によってはそうとうダメ男が苦悩したり、なにかに挑戦したりする姿が描かれているのです。

 作品の特徴としては、『イージー・ライダー』の章でも書きましたが、「低予算」、「現実的」、「暗い… というか苦悩」、「アンハッピーエンド」そんな作品が多くあります。とくに70年代前半の映画は主人公が最後に死んだり、その類の結末が多い…。なぜでしょう? う~ん… そういう時代だったとしか言いようがない気がします。

 

 まさに混沌とした時代が産んだ「アメリカンニューシネマ」…。しかし、時代や、世相など書いてきましたが、アメリカ合衆国の歴史など他の国と比べたらまったく短いのに、どうしてこんな混沌したり、狂ったりサイクルがめまぐるしいのでしょうか? そして、カウンターカルチャーとしての「ニューシネマ」のような映画が生まれる奇妙な展開… やはり国民のパワーなのでしょうか? 短い歴史なのにいろいろな文化的なムーブメントが起きてますよね。

 昨今の世界金融危機により、アメリカがすっかり力を失くしてしまったのは事実です、それは経済を中心にあの国が動いてきたからなのではないかと… 私の底の浅い頭はそんなことを考えてしまいます。長い文化、歴史的な礎がしっかりとあるヨーロッパはこういうときにもはっきりと、堂々と指針を示し、なんとか舵取りをしているような気がするのは… 私だけですね。 

 なぜ、40年も前もの、自分が生まれる前にやっていた映画作品たちに私は魅力を感じてしまうのか…。 

 それを探り、見つけ出す為にも、これからも有名無名映画を紹介し続けていくつもりです。よろしくお願いします… って、だれに向かって言ってんだ?


[“ ファビュラス・バーカー・ボーイズ”のお二人、『70年代映画懐かし地獄』、おおいに参考になりました。ありがとうございます!]