『タクシー ドライバー』 ~孤独という名の恐怖と強制力~ | ありがとうございました

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  不定期で60年代後半から70年代のアメリカ映画をご紹介していきます。

 まず第1回はもはや古典とも言ってよいような名作『タクシードライバー』です。監督はマーティン・スコセッシ 主演ロバート・デ・ニーロ


 NYで暮らすベトナム戦争の帰還兵トラヴィスは不眠症で深夜に流すタクシードライバーとして働き出す。

 世界でいちばんきらびやかなNYと正反対の、地味で孤独なトラヴィス… 映画館の店員に声をかけてみたり、職場でつまらないジョークを言ってみたりするが彼の思いは空回りしてばかり、どこまでも「孤独」が彼の背後につきまとう。

 次第にフラストレーションが溜まっていく彼の行動は14歳の売春婦との出会いをきっかけに狂気を帯びたものに変貌していく…。


 第29回のカンヌでパルムドールを受賞した「アメリカンニューシネマ」代表する作品。スコセッシとデ・ニーロはいくつも作品を作っていますが、やはりこの映画が一番有名ではないでしょうか。


 ゾクッとする映画です。一生懸命に周囲と溶け込もうとしたり、友達や彼女を作ろうとするトラヴィスですが、大都会ならではの冷たく無関心な人々、警戒心の強い人々に彼の気持ちは踏みにじられます。まじめで、不器用なトラヴィス… 見ていて痛々しい。そんな彼がNYの街をタクシーで流しながら、自分が生活する街を「汚い」と呪います。そしてそんな汚れた街で見初めた可憐な花のような女性ベッツィにもフラれ… 彼の言いようのない孤独な“怒り”は頂点に達します。彼は生活を変え、ドラッグをやめ、身体を鍛えだし、密売人から銃を購入。自ら武装しだすのです。

 物語後半、気弱そうなトラヴィスがいきなりモヒカン頭で登場するカットは背筋が寒くなります。その姿がモヒカンにサングラスなのですが、顔だけは青白く、たいしてゴツくない… その中途半端さかげんが妙に怖い。ドラッグやめて筋トレに励んでいたのに、後半のほうがやたらラリッてる感じがするのも恐ろしい… そして彼のとった行動の脈絡のなさ、一見、正義に見えるかのような彼の行動は、ただの孤独からくる狂気の暴力なのです。

 この後、カメレオン俳優と呼ばれるような作品ごとに痩せたり、太ったり、雰囲気や役柄を器用に使い分ける俳優さんがたくさん映画界には登場しますが、この映画のデ・ニーロが先駆けではないでしょうか。

 この映画にはポン引き役にハーベイ・カイテル、そして物語の鍵を握る14歳の娼婦役にあのジョディ・フォスター(まだ子ども!)が出ています。そしてトラヴィスのタクシーを借りて、浮気している妻を撃ち殺しに行く… といってニヤけているサイコな乗客役で監督のスコセッシが自ら出演しています。その異常者っぷりは演技とは思えません。


 地方が閑散として寂しいと思い、人だらけの都会に出て行くと、寂しがり屋はよけいに孤独感に陥るそうです。「群集の中の孤独」というやつなんでしょうか。トラヴィスもそんな感じがします、それがNYという世界一の都会の毒に侵され、トラヴィスの心の中のモンスターはどんどん膨らみ、しだいに押さえきれなくなるのです。

 孤独が人を狂気に陥れ、過激な行動に走らす… 東京の… ネット社会では地方でもそうなのでしょうか、若者たちが通り魔だのなんだのと理解しがたい事件を起こすのは、“孤独”が原因の一つでは? と思いたくなるときがあります。

 スコセッシは撮影開始前にNYの裏町や廃墟ビルなどへ出演者を連れて行き。作品の世界観を伝えたそうです。だから映像もリアルです。

 東京という一見きらびやかな都会で生きていると、トラヴィスの感じた失望、孤独感、そして苛立ちはよく伝わります。さすがにモヒカンにはしませんが(笑)、“孤独”という強制力は、人を過激な行動に移す大きな原因になる…。それは加害者、被害者にならないためにも知っているべき事実だと思います。都市生活者にとっては普遍的なテーマの映画なのでしょう。