春が近いからか、柄にもなく心が詩的なものを求めている。ネットでエミリー・ディキンソンの以下の詩を発見したので、おもむろに訳しはじめた。原文だけ読んでも後半がチンプンカンプンだったので、ネットに出回っているスタディガイドとかも参考にしながら訳してみました。それでもしんどいところが多々あります・・・。
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A Light exists in Spring Not present on the Year At any other period — When March is scarcely here A Color stands abroad On Solitary Fields That Science cannot overtake But Human Nature feels. It waits upon the Lawn, It shows the furthest Tree Upon the furthest Slope you know It almost speaks to you. Then as Horizons step Or Noons report away Without the Formula of sound It passes and we stay — A quality of loss Affecting our Content As Trade had suddenly encroached Upon a Sacrament |
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ひとつの光が春にはある
年中は見られない
ほかのどの時節でもない
3月さしかかる頃に現れる光
ひとつの色がひと気のない野に佇み
その色彩を放つ
科学ではつきとめられない
人間の心の目でしか感じられない色
それは芝生で待っている
いちばん遠くにある見憶えのある傾斜
そこに立っている木まで見える
あなたに話しかけるかのように待っている
やがて視界はひらけ
昼の到着が遠くから告げられる
合図の音もなくそれは去り
わたしたちはその場にとどまりつづける
わたしたちを満たしていたものは
ある喪失の感に見舞われる
神聖な儀式が
とつぜんに商売に侵されたかのように
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く、苦しい・・・。(笑)
春にさしかかる前の
刹那の期待感を捉えた詩であると個人的には感じました。
長い冬が終わる頃になると、春のうららかな雰囲気とか、生命の芽吹きとかを想像して、いつもは自然なんて気にもとめない人でも、なんとなく心が浮き立つ。でも、その期待の瞬間が終わって、いざ本格的な春が来てみると、なんとなく現実に引き戻されるような、眠たいような感じがする。むしろ春を待ちわびている時の方が気持ちが生き生きしていたような、みたいな。・・・日本だとやっぱり年度末年度始めは忙しいですし。(笑)
詩って難しいです。