(Amazonより)
こんにちは!前回に引き続き、Rice's Architectural Primerから一部をまとめます。今回は「後期中世(1307年から1485年)」というチャプターを扱います。
前回のブログ記事では、中世の建築様式の4つの分類をご紹介しました。①ノルマン様式orアングロ・ノルマン様式(Norman)、②初期イギリス様式(Early English)、➂装飾様式(Decorated)、④垂直様式(Perpendicular)の4種類です。今回の記事で扱うのは➂と④です。
まずは➂装飾様式から見ていきましょう。13世紀も終わりごろ、装飾様式のゴシック建築が登場しはじめます。フランスに起源をもつスタイルだそうです。主な特徴は以下のとおり。
・リブ(rib)の多いアーチ型天井(vaults)。Ribの「肋骨」や「(セーターの)リブ」という意味からなんとなくご想像いただけるかと思います。
・中世前半よりも複雑なtracery(窓の網目模様みたいな部分ですね)や、三つ葉や四つ葉の模様がふんだんにあしらわれた先端の尖ったアーチ型の窓や扉。他にもアーチの種類の細かい分類や各装飾部位にそれぞれ名称があるのですが、ここでは割愛。
・ふんだんに光をとりこむ構造(大きな窓)
・全体的に曲線的な装飾が見受けられる
言葉で説明するより、実際の写真を見るほうが伝わると思うので、代表的なイギリス建築を見ていきましょう。有名どころはエクセター、イーリー、ウェルズ、リンカンなどの大聖堂だそうです。
エクセター大聖堂(Wikipediaより)
イーリー大聖堂のレディチャペル(公式HPより)
なるほど「装飾」といわれるだけあって、その風貌たるや確かに豪華絢爛。まばゆい光が空間に広がっています。まるで天空の城にいるみたいですね。この建物の壁ほぼ全部ガラスで支えられているんじゃないかと思うくらいガラスの占める面積が広い。本にある ‘a sheet of glass’という表現がなんともしっくりきます。ロマネスクや初期イギリスの様式と比べると明らかにこちらの方が神秘的で洗練されている感じがします。
1349年に完成したイーリー大聖堂ですが、ちょうどその頃、ヨーロッパで猛威を振るっていた黒死病がイギリスでも蔓延しました。そして、多くの死をもたらした黒死病はイングランドの経済にも革命的変化を招くことになりました。
中世の封建社会には荘園という農村集落があり、そこには農奴という働き手がいました。「農奴」という呼び名のとおり、彼らは領主の保有物のような存在で、土地に拘束され、賦役や貢納も課せられ、自由も一部しか認められていませんでした。しかし貨幣経済が浸透していったおかげで、地主から土地を借り、そこで育てた農産物やそれを売って得た貨幣を地代として領主に納めるようになります。そのような状況下で、百年戦争(1339-1453)やバラ戦争(1455-85)が起こり、さらにペストによる大打撃により、農村人口は激減しました。生産者たちは領主に色んな要求をするようになり、生産者の地位は向上していきました。こうして台頭してきたのが独立自営農民(ヨーマン)といわれる身分です。彼らは農奴とは違い、身分的には自由でした。農奴や土地を保持するのが難しくなると、これまで農産業と畜産業で成り立っていた経営形態をやめ、比較的少ない労働力で済む畜産業、とりわけ羊毛産業にシフトし、羊毛や毛織物等を売って生計を立てるやり方に方向転換しました。
農奴の解放により封建社会は崩壊していくことになりますが、賢い地主や商人たちは羊毛産業に注力することで莫大な富を築きました。先見の明というやつですかね。このことをよく物語っているのがイギリス議会の上院(the House of Lords)の議長席‘the Woolsack’です。イギリス議会の公式HPには以下の説明があります。
The Woolsack is where the Lord Speaker in the House of Lords sits and resembles a large square cushion covered in red cloth. In 1938 it was re-stuffed with a blend of wool from Britain and the other wool producing nations of the Commonwealth. The woolsack is thought to have been introduced in the 14th century to reflect the economic importance of the wool trade in England.
(出典:英国議会公式HP)
別のサイトには‘[The Woolsack] was introduced by King Edward III (1327-77) and originally stuffed with English wool as a reminder of England's traditional source of wealth - the wool trade - and as a sign of prosperity.’とあります。こんな座り心地のよさそうなソファ(?)に座ったら国会中に居眠りしちゃいそうです(笑)イングランドの繁栄を象徴するものとしてエドワード三世が作らせた、とあるように、the Woolsackはいかに羊毛がイングランドの経済を支えていたかを示しています。
さて、話を建築に戻しましょう。実は後期中世のイギリス建築はこの羊毛と根強く関係しているのです。商人らは羊毛で財を成し、教会建築の資金として寄付しました。こうして羊毛を資金源として次々に建てられた教会は‘wool churches’と呼ばれます。その建築様式が今回紹介する垂直様式です。代表的なウールチャーチはイーストアングリアやコッツウォルズやイングランド南西部に多く見られるそうです。特徴は・・・
・曲線よりも直線的(特に縦の線が際立っている)
・窓をトレーサリー(網目模様の部分)が占める割合が装飾様式と比較して少なめ(全体的な印象としては、網目部分がギュッと上のアーチ部分に押し寄せられて、網目出ない長方形部分が下に伸びている感じ?
・‘shallower and depressed arches’←一瞬「病んでるアーチ?」と思ってしまったのですが(笑)、傾斜が緩くて扁平な形状のアーチのことのようです。
・扇状ヴォールティング(fan vaulting)の登場
などなど。
グロスター大聖堂の画像を貼ろうと思ったのですが、容量の関係なのか、Wikiからお借りしようとした写真が貼れないので、気になる方はリンクから飛んでみてください。
最後に、後期中世建築の特徴で興味深い点について。百年戦争やペストやワットタイラーの乱の勃発により、この時期は多くの死者を生み出しました。人々の死後の世界や死そのものへの興味は深まり、建築にも‘memento mori’(「死を忘れるなかれ」の意)と言われる死のモチーフが取り入れられます。たとえば教会のeffigy(亡くなった人を追悼する彫刻)には通常の彫刻の下に腐敗していく遺体の彫刻があったり。‘Alice Chaucer, Duchess of Suffolk’で画像検索すると見られます。(グロ注意)死の恐怖を味わった人々が死を遠ざけるのではなく、現実を直視するようにあえて死の存在を身近に感じるようとしていることから、死に対する人々の謙虚な姿勢のようなものがうかがえると感じました。
本のこの章では、教会以外の建物にも触れられていたのですが、さすがに長くなりすぎてしまうのでこの辺にしておきます。
2種類の建築様式を紹介したわけですが、正直わたしも確実に両者を見分けられる自信はありません!(笑)垂直様式と装飾様式は特徴が重複している部分もあって、明確な線引きは難しいみたいです。(それぞれの建築様式を表した画像を探すのにも結構苦労しました。)「構造的には〇〇様式だけどこの部分は□□様式」みたいな建物もネットでちょこちょこ見かけました。純粋にこの様式!という建造物は恐らくあまりないのでしょうね…。とにかく、「装飾」にしても「垂直」にしても、それぞれの様式のおおよその印象を端的に示した名称になっているから、今度からゴシック様式の教会や大聖堂を楽しむときのヒントにしてみるのもいいなぁ。
次回はチューダーです。(←記事を書き続ける気力があれば)
追記:言い忘れていたかもしれませんが、前回の記事と今回の記事のうち、②初期イギリスと➂装飾と④垂直の建築様式は全てゴシック建築という大きな枠組みでくくることができます。こんなに細かい分類があるとは知りませんでした。(他にも色々あるみたい。)大変勉強になりました。