こんにちは!やっと12月ですね。2018年早かったなぁ。さて、今回はRice’s Architectural Primerというイギリス建築の入門書を読みました。イラストレーターでもある著者の分かりやすい挿絵とともに、建築用語を時代ごとに区切って、歴史的背景を交えて丁寧に解説してある本でした。建築は個人的に興味のあるトピックなので、忘れてしまった世界史の思い出しも兼ねてこれから何回かに分けて本書のまとめ記事を投稿していきます。記事の内容はほぼこの本に依拠しています。あと歴史事項に関しては山川出版の『詳説 世界史研究』も参照させていただきました。

 

今回取り上げる時代は、本で「中世」と題されている1066年から1307年までの期間です。

 

さて、イングランドで1066年といえば、ノルマン・コンクエスト(the Norman Conquest)がおこった年です。ノルマン人は北方系ゲルマン人のことで、ヴァイキングとも称される民族ですね。その年、ノルマンディー公ウィリアムはイングランドを征服し、ノルマン朝を建国しました。これにて5世紀半ば頃からイングランドを支配していたアングロサクソンの時代が終わり、暗黒時代(the Dark Ages)といわれる時代が終焉を迎えます。

 

ノルマン朝時代の建築様式として主要なものとして、まずノルマン様式の建築(Norman buildings)があります。まずはその特徴を簡単に列挙しておきましょう。

 

・全体的な印象としては、男性的(muscular)、壮大で剛健としばしばいわれる。

・丸いアーチ(the round/Romanesque/Norman arch)があり、これは凱旋門(The triumphal arches)やバシリカ(the Roman basilicas)の特徴でもある。

・壁は厚くて重みがある。(恐らく丸いアーチを支えるため?)

・窓は小さめ。(大きい窓にすると暑い壁を支えるのが難しくなるからかな?)

・頑丈でどっしりとした柱。

 

「男性的」と形容されるように、ノルマン様式の建築は、単なる軍事的な拠点や宗教施設としてではなく、ノルマン人が支配者としての強さや威厳を視覚的に分かりやすく示す機能も果たしていました。たしかに、重厚感のある石造りのノルマン式建物は、威圧感があり、外敵を寄せつける隙がなさそうです。

 

ノルマン様式は、当時のイングランドでは珍しい建築様式でしたが、ヨーロッパではむしろこれが主流でした。ノルマンの征服から約200年以上時代を遡った800年に、カロリング朝時代のフランク王国では、ときのローマ教皇レオ3世により、シャルルマーニュ(カール大帝)にローマ皇帝の冠が授与されました。それまで被支配者のローマ人から異邦人(barbarian)とみなされていたシャルルマーニュですが、教皇に正式に認められた「皇帝」を名乗ることは西ローマ全体の正式な統治者としての立場を確立することを意味しました。(※西ローマ帝国は476年に一度滅んでいる)

 

カール大帝が統治したカロリング朝の西ローマにおいて、凱旋門やバシリカ(古代ローマ時代から法廷や商取引所として用いられた長方形の会堂)といった政治や宗教に関わる公共建築物にはロマネスク様式のアーチがありました。だから丸いアーチは構造上のみならず、政治的にも重要な意味をもっていたんですね。約200年後、イングランド征服を果たしたノルマンディー公ウィリアムは、ローマ帝国の流れを汲むこのヨーロッパの伝統的な建築様式を採用し、その威光を借りることで、「帝国的」ステータスを示したとも言えます。

 

征服以後のイングランドで重要な役割を果たしたのが教会や聖職者でした。ノルマン人は残虐で好戦的な民族だったといいますが、初期のノルマン人の司教(bishop)も例に漏れず、軍人的な役割も一部担っていたようです。ノルマンコンクエストの過程が織られたバイユー刺繍(the Bayeux Tapestry)には、バイユー司教オド(Odo、後のケント伯爵)がヘースティングズの戦いに参戦している場面も見られます。他の騎士たちのように頭や四肢を切る剣をもつことが教会法(canon law)によって禁じられていたため、こん棒のような武器(mace)で戦っているのだそうです。

(画像はWikiより)

 

征服から約100年間は石造りの教会がたくさん建造されました。特に中央の支配が行き届きにくい地方では、各教会の存在がノルマン人のイングランド統治に大いに貢献したようです。立派な石造りの建造物で支配者の富と強さを見せつけられたアングロサクソン人は「あぁこれはかなう相手じゃないな」と感じたかもしれません。残念ながら、この時代の建造物はあまり残っていませんが、代表的な建造物に、ノーフォークのライジング城(Castle Rising)があります。参考までに、公式HPの紹介文を載せておきます。

Castle Rising Castle is one of the most famous 12th Century castles in England. The stone keep, built in around 1140 AD, is amongst the finest surviving examples of its kind anywhere in the country and, together with the massive surrounding earthworks, ensures that Rising is a castle of national importance. In its time Rising has served as a hunting lodge, royal residence, and for a brief time in the 18th century even housed a mental patient.

(出典:http://www.castlerising.co.uk/

 

ノルマン様式に関するまとめは以上です。そろそろ終わりたいところなのですが、最後に簡単にこの時期の後半から登場する初期イギリス様式という建築様式にも触れておきます。Thomas Rickman(1776-1841)という建築歴史家が、中世の教会を①ノルマン様式orアングロ・ノルマン様式(Norman)、②初期イギリス様式(Early English)、➂装飾様式(Decorated)、④垂直様式(Perpendicular)の4種類に分類したのですが、先ほど触れたのが①で、今から触れるのが②です。➂と④の登場は後期中世を待たなくてはなりません。

 

初期イギリス様式では、光が建物内に取り入れこまれるよう工夫がされました。主な特徴は以下のとおりです。

 

・ノルマン様式の特徴だった丸いアーチにとって代わって、頭の尖った尖塔アーチ(ゴシック様式のアーチ)が使用された。

・ノルマン様式よりは比較的スリムな印象。著者は初期イギリス様式を人体に譬えている。骨(柱などの骨格部分)が互いに支え合って、その間に肉づき部分(壁)がある。(‘lierne vaults’で画像検索するとよく分かる。)

・窓が大きくなった。‘plate tracery’といわれる窓は、ガラス部分よりも石の骨組み部分が主体。この時点の窓はゴシック建築で一般的に想像される華美で豪奢な感じはなくて、頑丈で男性的なスタイルが維持されている。(すべてガラス張りにするのは技術的に難しかった)

・‘barrel’という文字通り樽の内側のような見た目の屋根がそれまで主流だったが、この時期になると‘rib’やbossで天井を支えるgroin vaultやそしてそれに続くlierne vaultsが登場する。リブは天井に張り巡らされている「骨」にあたる部分でボスはそれらを繋いで支える「関節」といったところか。

 

代表的な建造物に、ソールズベリ大聖堂(Salisbury Cathedral)があります。13世紀頃に建てられた大聖堂で、その尖塔はイングランド随一の高さを誇ります。タワーと尖塔部分は後付けされたので➂の装飾様式ですが、建物の大部分は初期イギリス様式だそうです。このような多くの教会や大聖堂の建設を可能にした要因には、中世のイングランドで権力を揮っていた修道会の潤沢な富もあったと思われます。

(写真はWikiより)

The foundation stones were laid on 28th April 1220.  . . .  The building of the new cathedral was greatly helped by the energy of the bishop and the patronage of powerful people, including King Henry III  . . .  The main body of the cathedral was finished by the consecration on 29 September 1258.  . . .  All of these were probably completed by 1266. The great energy being released in Salisbury was not confined to this building project. The new town also became a notable centre for education  . . .  Cathedral clergy were required to give theological lectures to their student.  Since the universities of Oxford and Cambridge were only just developing at that point, there was some chance that Salisbury would be their rival. By the later 13th century the Bishop’s town of New Salisbury, around its huge new market place (still in use on Tuesdays & Saturdays) was a great success, and many new shops, houses and businesses were built in its ‘chequers’ (blocks). Within two centuries it was the seventh largest town in England.

(出典:https://www.salisburycathedral.org.uk/history/new-start)

 

今回はここまで。なお、この記事に書いた情報にはなるべく間違いのないよう注意を払ったつもりですが、歴史に関しても建築に関しても詳しくないので物足りなさや誤認があるかもしれません。すみません。意外と調べているうちに意外と時間がかかったんですけど、これ、ちゃんとシリーズにまとめられるかな・・・。(笑)

 

追記:ソールズベリー大聖堂にはアイルランドから仕入れられたオークの木が使われていて、この頃からイングランドとアイルランドで盛んに交易が行われていたことがわかる。