ローズマリー・サトクリフの『ケルトの白馬』(原題:Sun Horse, Moon Horse)を読みました。

(画像:Wikiより)

 

さて、突然ですがこの馬の絵を見て何を感じますか?口元からくちばし?ひげ?みたいなものが生えてて「くちぱっち」みたい...とか「美しい曲線美!」とか「自分にも描けそう」とかですかね?あるいは私のように一目見て馬だと気づかなかった人もいるかもしれません。これ、はるか昔にケルト人によって描かれたと考えられている地上絵なのだそうです。なんと全長110m。壮大。

 

『ケルトの白馬』はイギリスのバークシャーのアフィントンという小さな村にあるこの白馬の地上絵から着想をえて書かれた物語です。

 

時代はローマ人の勢力がブリテン島へ勢力を拡大する紀元前1世紀ごろ。当時のブリテン島では様々なケルト系民族が血なまぐさい興亡を繰り返していました。この物語の主人公ルブリンが属するイケニ族という馬の部族も、他の民族を侵略して自分たちの丘砦を築いて生活していました。族長の三男として生まれたルブリンは、他の兄弟たちとはやや毛色の違う子どもでした。外見は「生まれつき肌の色が褐色で髪も黒く、赤ん坊のときから、顔に似合わないおとなびたまなざし」をしていて、下の引用から分かるように、イケニ族としてはやや異質な子です。

 

「イケニ族には時おり、褐色の赤ん坊が生まれた。征服者の血には必ず、先住民の血が混ざるものだ。母自身はイケニの女らしい白い肌と明るい色の髪をしていたにもかかわらず、赤ん坊の肌の色は自分の血すじから伝わったものにまちがいない……。母は褐色の赤ん坊を見て、涙を流した。たぶん母にもその暗い血が流れていたせいだろう。」

 

また、ルブリンは幼さいころから鋭さと思慮深さを備えた複雑なキャラクターで、彼の行動もちょっと風変わりなところがありました。彼は空を自由に飛ぶつばめが描く絵や竪琴の音といった、明確な形のないものを形として捉えようとするのです。ある日、馬の大移動を見たとき、ルブリンはある一頭の白馬に心を奪われます。その場面がこちら。

 

「馬の群れのなかから、一頭がするすると前に出た。たてがみと尾を風になびかせ、白い姿が黒雲のなかに浮かびあがった。草の下の白亜の土より白く、さんざしの花よりもなお白い。濃い色の馬たちがもつれあって、あとに続く。だが白馬が見えたのは、ほんのつかのまだった。突然、稲妻が黒雲を割って炎の舌を出し、地上をひとなめした。その一瞬、稲妻に照らされた白馬は、馬の形をした白い炎となった。そしてこの白い炎が、増長の末息子の心の内奥を焦がした。焼き印をあてて子馬に印をつけるように、この白馬の姿はルブリンの心に永遠に焼き付けられた。」

 

いったい彼がこの馬のどこにそんなに惹かれたのか、それははっきりとは書かれていません。彼が形にしようとする対象はどれも刹那的なものに思えます。このような風変わりな性質のため、ルブリンは、周りの子どもから変な奴とからかわれ、友達もできるにはできるのですが、彼の孤独は成長とともに深まっていきます。そして、どのような経緯であの白馬が地上に描かれることになったのか。それはこの物語を読んでからのお楽しみです。けっこう血なまぐさいシーンもあって、ドキドキしました。あと、訳者のあとがきにもあったように、ルブリンは抽象的で魅惑的なケルト美術の深遠さを体現する魅力的な主人公であると感じました。

 

この本を読んでケルト美術に興味がわいたのでちょっと動画を観ました。動画のリンクを貼っておきます。説明は英語ですが、幻想的なBGMとあいまって見れば見るほど不思議な世界を感じます。※情報の信憑性にについては責任をもてないので「こういう説もあるんだな」くらいの気持ちで見るのがいいかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=A-T5cdjvPmk

https://www.youtube.com/watch?v=ln5pP7BNMgI

 

あと、これはケルト美術研究者の講演の動画。↓「ケルト」というラベルの曖昧性がよく分かる。

https://www.youtube.com/watch?v=LRalegbRJsg&t=2206s

 

 

訳者あとがきにケルト文化がコンパクトにまとめられて便利そうなので、以下にほぼ丸写ししておきます。【※小説のネタバレあり※】

 

・ケルト人はBC5世紀ごろにはヨーロッパ各地に集落を作って居住していた。BC5世紀からBC1世紀の中頃までケルトの後期鉄器文明がヨーロッパ大陸とブリテン島で繁栄。BC1世紀半ばにローマ将軍カエサル(ジュリアス・シーザー)による大規模な侵攻し、ケルト人の抵抗もむなしく結局ローマの支配下に。

 

・ブリテン島のケルト人はそれ以前に居住していたイベリア系の先住民を制圧し、勢力を広げた。国としてのまとまりを持たずにそれぞれの部族が部族同士激しい抗争を繰りかえした。ギリシャ人によると「誇り高く勇敢だが、野蛮で戦争を好む」とのこと。戦い方は全身を青く塗ったいでたちや、恐ろしい叫び声やらで敵を威圧し、主に一騎打ちで勝負をつける。(※しかしこれらの叙述は少なからず偏見が混じっているため、安直にケルト人はこういう人間なのだ!と決めつけてはいけない!)一方ローマ軍は訓練を受けた兵士たちが軍団を組み、高度な作戦を展開。

 

・ルブリンの属するイケニ族は、イーストアングリアと呼ばれるイングランド東部に主に居住した。イケニを征服したアトレバテース族はローマ支配を嫌って、ガリアからブリテン島に逃れてきた部族。どちらの部族もBC1世紀の終わりにはローマに屈服し、ローマの属州に。時代が下った1世紀の中頃、イケニ族の女王ブーディカはローマの制圧に対して大がかりな武装蜂起を起こした。数ではローマをはるかにしのいだが、鎮圧された。イケニの犠牲者7万人だとか。

 

・ローマの支配から逃れたのはスコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドに逃れたケルト人だけ。ダラの一行がスコットランドに到着できたとすると、生き延びたのは征服者アトレバテース族ではなく逃れたイケニということに。その後ブリテン島はゲルマン人やサクソン人の侵攻も受け、様々な人種が入り混じって現在の英国人が形成された。アイルランド人、スコットランド人、ウェールズ人はケルトの血を濃厚に受け継いでいると言われている。

 

・ケルト文化の特徴2つ

①    文字をもたなかった。文字の代わりに「霊気がただよう」とでも形容したくなる装飾模様を多く残している。ケルト美術はギリシャやローマのものと違い、人や動物の形をそのまま映していない。ケルト人が好んだのはもっと抽象化された表現で、渦巻きをはじめとする様々な模様。ケルトの盾や鏡、装飾品を見ると、めくるめく曲線が迷宮のように入り組んでいる。曲線から不思議な感動が伝わるのは、曲線でしか表せない何事かが封じこめているからか。このケルト的感性をサトクリフはルブリンという風変わりな少年として血肉化。

 

②    またブリテン島のケルト人から、ドルイド教と呼ばれる宗教が起こった。「ドルイド」とは「樫の木の賢者」の意という説がある。「樫の木の賢者イシュトラ」はドルイド神官。ドルイド神官たちはある場合は王の権力も及ばぬほどの力を持ち、予言や医療、教育に当たっていた。人間の頭部に霊力があると信じ、敵の頭部を切りとり自宅に飾っていたことや、紙を鎮めるために生け贄として家畜や場合によっては人間を捧げていたことから、ドルイド教の残酷さが強調されることがあるが、現代よりはるかにあいまいだった時代のことなので、彼らの感性がわたしたち現代人と違うのはいたしかたない。

 

以上、まとまりないですが眠いのでこれでよしとしよう。