「もう会わない」
と癇癪を起こして言い放った彼の本心は、「もう会いたくない」ではなくて、「俺をわかってほしい」であり、「認めてほしい」であり「俺の取りっぱぐれた愛をお前が埋めろ」なのだった。

鬼怒川温泉から帰るあたたかい特急電車の中で(栃木はとってもさむかった!)、うつらうつらと半睡状態でいたら、とつぜん脳のいちぶが明晰になり、上記のひらめきが電光掲示板みたいに頭の中をつらつらと流れた。
それで、「ふーんそうだよね」と、私は寝ぼけたまま他人事のように思い、
でも何かってと一言目に「もう会わない」と言い放つ彼の言葉に、私をコントロールしたいとか罰を与えたいとか、俺の欲しいものをくれないお前を傷つけたいという意図を感じてしまうので心底げんなりするのだ。
その事に、三次元の私が嫌気が差しているのだ。もういい加減。たいして悪くないのに「ごめんね」も言いたくないし。
そんなふうに思ったため、
私が折れれば事は簡単なのを承知の上で、放置している。
私が折れて事を収めることは、いつかくる別れを先延ばしするためのただの負債のように今は思える。

今年の頭に別れたときは、
ほんとうに悲しかった。
心を鬼にして自分から別れを告げたけれど、できればもっと仲良くしていたかったし、まだ別れるタイミングだとも思えないまま別れた。
それに私自身、自分の視点で見る幸せより、
掛け捨てになったエネルギーの元をとることに執着があったから、相手がいつまでも私に未練を残すようにあえて美しく別れたりしたんだった。

今はそんなことよりも、自分がどうかって話だから。
しかし同時に、思考で決意することなんて本音の前では役に立たないこともわかっていて。

これから彼から連絡が来た時。
あるいは来なかった時。
その時の気持ちを基本にものごとを進めたいから今は何も決めないでいようと思う。

女の誇りは忘れずにね。