最近毎日連絡が来る元カレと、ついに新宿で会った。
昼間っから歌舞伎町で酒飲んで、まあなんやかんやで夜まで一緒にいた。
楽しかったし、肌馴染みの良い空気感の心地よさに浸れる時間ではあったけれど、
べつに復縁とかそーゆーのは考えてない。
 
解散したあと、
女友達と新宿三丁目で会い、ゴールデン街に飲みに行った。
ゴールデン街で遊ぶ時はだいたい決まったルートがあって、
入り口の美味しい和食創作のお店「食酒 惣」で腹ごしらえしてから、知人が店番してるロックバーに顔を出して良い感じに酔っ払い、
だいたい仕上がったところで、馴染みのマスターがいる店で終電ギリギリまで飲む。
 
(惣のご飯。私が撮るといまいち美味しくなさそうだけど、何たべても美味しい素敵なお店)
 
 
友達と会う直前まで元カレと一緒にいたもんだから、自然と会話はそのことが中心となる。
 
彼女は、今の旦那さんと一旦別れて復縁ののち結婚した。
 
ふたりはとても相性の良いカップルで、復縁も力技でなく、なるべくしてそうなった。だから、復縁したというより、一旦別れたことの方が過ちというか、絆を強固なものにする過程として一旦別れたようなところがあった。
 

そういうパターンがある一方で、見込みの薄い相手や、どう考えても相性の悪い相手にいつまでも執着して時間と労力(と、時に占い師やカウンセラーに頼ってお金も)を浪費しているケースはとても多い。
 
思うに、そういうパターンにハマる時の多くは、自分で自分のことをうまく愛せていないのだ。
 
自己評価を男からの評価に委ねてしまっているのだ。いくら「自分を大切にする」と標語のように掲げても、彼が愛してくれない私には価値がないと、本音の部分で思ってしまっているのだ。
殆どの場合において、
相手は普通の男だが、自分より上の存在だと錯覚してしまっているし、
欠損した自己愛を埋めるために、亡霊のようになって彼の愛を取り返そうとする。
 

プライドのために必死になっているだけなので、復縁が叶いそうな段になると、どうでもよくなったりしていることも多い。
 
自分にとことん愛情を注ぎ、自分自身を抱きしめて、「世界じゅうで私ほど私のことを愛せる男なんかいない」、ということが腑に落ちれば、心を鉋で削り続けるような執着心からすこしは早く逃れられるのではないかな。
 
 
とはいえ、そういうのってやるところまでやり尽くしてみないと納得しないものだし、
 
自分でとことんやり切って、万策尽きたら、突然吹っ切れて、清々しいまでにどうでもよくなる日が必ずやってくる。
 
そして、どうでもよくなったところには何も残らないのかといえば、案外そんなことがないのが人生ってもんなんだと思う。
 
圧倒的一人相撲で終わったとはいえ、必ず何かを学び、成長して、「あの日の私があったから今があるのだ」と、思える日が来る。多分。
 
でも、それって回り道をして得る結果なわけで。
 
 
この執着は、傷ついたエネルギーの元を取ろうとしているだけなのではないか
仮に、自分で自分を完全に受け入れ、完全に自分のことを愛することができたとしても、それでもまだ彼が必要か
 
と、立ち止まって考えてみることは、より早く「気づき」を得るための良い方法だと思います。
 

 
結局、いかに自分を愛するか、というところにほとんどの恋愛問題は帰結するものなのだから、
 
だったら、彼に愛されることばっかりを考えるんじゃなくて、
愛の自給自足作戦ドキドキに主軸を持っていくと、いろんなことが驚くほどうまくいくようになる。
 

これは私が辛酸を舐め尽くして導いた、現時点での最良の答えです。
 
 
 あと、どれだけ「彼しか見えて」いなくても、

彼しか見てはならない理由なんてひとつも無いんだから、(むしろ復縁には逆効果)


新しい出会いは新しい出会いとして、積極的になればいいと思いますゲラゲラ