一方的に彼が別れを宣告してきてから9ヶ月が経った。

やはりというべきか、何でもないご機嫌伺いメールが度々届くようになった。

「別れ」というものを一体なんだと思っているのか。一方的に別れを告げられた側の痛みと克服を微塵も意に介さないその気安い(配慮に欠けるとも言う)コンタクトに私は怒りを覚え、返信はしないままだった。


彼には、その場の感情に任せて別れを宣言してしまう情けない癖があった。
それを「癖」だと言えるのは、感情のほとぼりが冷めたあとにしれっと復縁を迫り、私がそれを受け入れるということを一度や二度でない回数繰り返してきたから。

いままで「別れる詐欺」というのは女の専売特許だと思っていたし、実際にそんな男と交際をしたのは初めてだったので最初は狼狽もしたけれど、本来そんなものはまともに付き合うのも馬鹿らしい話ではある。
しかし同時に、感情を伴う親密さの中にいる限り、それは看過できない多大なストレスをその都度私にもたらした。

彼の「もう別れる」「連絡しない」「もう会わない」という決め台詞には、私をコントロールしたいという意図が明らかに潜んでいた。

恋愛関係においていちばん大切な、愛のプラグを引き抜くという脅しで相手を支配しようというその意図が、私にはぞっとするほど卑劣で醜く思えた。

或いは、子供からおもちゃを取り上げるように、愛を取り上げることで相手を思い通りにする低次元なやり口が彼の手癖として染み付いているであろうことに私は何より苛立っていたのかもしれない。

そうやって癇癪を起こしてすべてをブチ壊そうとするけれど、本当は壊れていないことを確かめずにはいられない。
このアンビバレントが意味するものは至ってシンプルだ。
いちばん愛を失うのが怖いのは彼自身なのだ。
それは私からの愛というより、もらい損ねた母親の愛に対する恨みと執着と不安だろう。

その傷ついて歪んだ心が仇となって永遠に失われてしまう関係があることを知ればいい。
次第に私はそう思うようになっていった。

彼への気持ちは、繰り返される断絶と修復のなかで音も立てずに乾いていった。


相変わらず未読を貫いていたチャットに、また新たなメッセージが着信した。
連絡を取りたいからいい加減返信をくれという内容だった。
2日後に、「何か用?」と返事をした。
「特に用事は無いけど、前みたいに話したいと思ったから」
という、反省も覚悟も成長も感じられない返答を目にしたとき、ああ、息の根を止めてやろう。と、思った。
彼のなかで未だザワついている未練めいた気持ちのすべてを木っ端微塵に成仏させてやろう。

それは怒りであり、同時に憐憫でもあった。


もう連絡しないと言ったのは自分なのにいつまでもダラダラとどういうつもりか、
私はもう二度と関わりたくないと思ったし、今でも思っている、
そんな適当なメール1本でやり直せると思うな、自分で関係を壊したことを自覚しているのか。甘すぎるし人をナメすぎだ。 


とまあ、簡潔にこのような返事をした。(けっこう厳しいね♡)


すっきりするはずだったのに、私は多少なりとも相手の感情を引き受けてしまうところがあるので、なぜかすこし傷ついて、そしてぐったりした。

帰りの電車でJUDY AND MARYの「小さな頃から」を聴きながら、人混みに揺られて自分を抱きしめる。
このところ、日が短くなったように思う。


すこし前に来た返信には、
「ごめんね、もう連絡しないから安心して」
とあった。
最後の最後まで、「もう連絡しない」なんだな……。
私はメッセージに目を通すと、チャット履歴をすべて削除し、彼の連絡先も消して会社を出た。

暮れてゆく晩夏の空を車窓から眺めながら、
「さようなら」と心で小さく呟いて、それは誰に向けた言葉だろうかとふと考えた。


***


まあすったもんだの2年間だった。

相手は心に多大な傷を抱えていてうまく人を愛することができなかったのだし、それは私もきっと同じだったのだろう。
じつのところ、私たちは鏡だった。

私は、この2年間、というか一度別れてからの1年半で、脆くなった塗装を丁寧に剥がして磨き直すように、自分の心の在り方を変えてきた。
気がついたら、合わせ鏡はすっかりズレてしまっていて、お互いの姿をぴったりと映し出せなくなっていた。

私が心で別れを告げたのは、他の誰でもなく、ひとつの関係のなかで泣いたり笑ったりしていたすこし昔の私自身だったのだ。
そう気づいたときに、彼への感傷だと思っていたものが自分への感傷だと理解できた。


そしてよく眠って目が覚めれば、新しい朝にも私は生きていて、それはとても瑞々しくて素晴らしいことのように思えた。

あとは美味い刺身でも食べて温泉に浸かってのびのびするに限る。

女は強い。太陽のように。