まず私の自己紹介や家庭の話からしていこうと思います

小さい頃から異常に忘れ物が多く

やりたくないことは後回しにしたり

宿題なんてやったことも無い

頭はそれほど悪くはなかったけれど

算数・数学が苦手

母親は100点が当たり前の完璧主義者

父親は遊びには連れていってくれたけど

学業や家の事には無関心(父は中卒)

私が幼稚園生の頃に家を買い、姑と同居が始まり

家の中では毎日小さな戦争でピリピリムード

父親は大工の祖父と同じく大工になり

毎日朝早く家を出て帰りは夜遅い

母親は私とひとつ上の姉が小学校に上がる頃には

昼夜働く生活でお金も精神的余裕もなかった

毎日門限を守れなかったり些細なミス、


姑とのバトルでイライラしながら

私たちが泣いて謝るまで怒り続けた


私たちが中学に上がると姉はグレ始め


隠れてタバコを吸うようになった


父親は仕事場に来る仕出し弁当屋の女と


浮気を繰り返し、携帯ばかりいじって


仕事のミス、やり直しが増え


収入はどんどん減っていった


その分、母は自転車1台でいっそう働き回り


体を壊しても無理して仕事に行った

そんな母を見ても父親は何も変わらなかった

その頃から同居の祖母はボケはじめ

私たち孫の名前も思い出せない状態

粗相も増え、祖母の部屋は息ができないほどの悪臭だった

姉が公立高校に進学したが、喫煙が見つかり停学

私は完璧主義の母の機嫌を取り

とにかく「良い子」であり続けた

高校もお金のかからない公立に進み

どの教科も満点を取り続けた

それでも母は決して褒めてはくれなかった

姉はとうとう家出し、男の家を転々とした

私が高二の時、両親が父親の浮気を原因に離婚した

その頃から、私のアームカットが始まった

半袖を着ても見えないギリギリのところを

今でも残っているほどの深さで切り続けた

両親の離婚後、県営住宅で母と姉と私の3人暮らしが始まった

姑や仕事をせず浮気する父もいない

母は少し穏やかになり、気づけば彼氏もいた

高校卒業後、大阪の調理師専門学校に進学し

一人暮らしが始まった

初めての一人暮らしに戸惑うも、好きなことができる幸せ

同じ目標を持ち高め合う友人を持てた喜び

そして何より辛い時もいつも支え助けてくれた

バイト先の人達との出会いに心から感謝した

専門学校卒業後、都内の星付きの割烹料理店に就職した

県営住宅の実家に帰り、片道2時間半かけて店に通った

毎日始発出勤・終電帰宅、そして親方のDV

たった2ヶ月でうつ病になった

泣きながら仕事場を後にし2ヶ月家に篭もり

チョコレートとポテトチップスを食べ続けた

ある日、同じ棟に住む母方の祖母から

祖父の通っているデイサービスの厨房で働かないかと

声をかけられ、気分転換に面接へ行った

ありがたいことに雇ってもらえることになり

必死に仕事を覚え働いた

前職に比べたらどんな仕事も辛くないと思った

事実その仕事は繊細さや注意力が必要だったが

とても楽しかったしパートの人達も優しかった

母は彼氏と上手くいっていたらしく

時折私たちを連れて彼氏の元へ会いに行った

私はその彼氏は嫌いだったが母はもう彼しか見えていなかった

たまたま会いに行った時にパチンコに連れていかれて

私だけやったことがなかったため不貞腐れて

漫画を読んでいると母はキレた

何が気に入らないんだと。

そんなことが幼少期から多々あり、私はいつしか

「自分」を消すことにした

無い方が生きていくのが楽だと思った

母も怒らないと思った

そして私が22歳の時、母は彼氏と結婚し

家族3人で愛知へ引っ越してきた

これで母はやっと穏やかに、幸せに暮らせるのだと思った

今までしてきた苦労が報われるのだと思った

でも違った

結婚した2番目の父は私たちに黙っていた借金が

1000万近くあった

母はすぐに働き出した

そして、すぐに彼のことを嫌いになり

結婚して1年半で別居した

姉が就職し、私もに定職に就くと

母は二度目の離婚をした

また家族3人の生活が始まった

それでも私は今までで1番穏やかだった

仕事も楽しくしていた、正社員になるまでは。

正社員試験に合格したあと、次々に仕事が降ってきた

女性初の管理職にと期待もされていた

しかし、頼りにしていた憧れの先輩が

部署異動になり先輩の仕事が丸ごと私に降ってきた

人に頼み事をするのが苦手な私は全て抱え込んだ

結果、当時付き合っていた旦那に送り迎えしてもらわないと

仕事に行けないほどになっていた

その後旦那に休んでくれと頼まれ、泣く泣く休職

しかし罪悪感はどこまでも着いてくる

何も出来ない私、頑張れない私、寝てるだけの私

自分を否定する言葉が溢れてくる

結果2年半休んだが復帰しても上手くいくはずがなく

退職し、旦那と結婚した

結婚当初から私はうつ病の症状が出続け

何も出来ない日々

姉は自分で家を建て、母と暮らしてる

現在主婦になり7年ちょっと。

少しづつ前に進んではいるが

途中診断名が変わったり、障害が増えたり

カウンセラーさんもコロコロ変えた

結果残ったのはACと双極性障害、浪費依存

そして最後の決断が半年前の自己破産

旦那に散々な思いをさせてしまった

救いがあったとすれば家を旦那ひとりの名義で買ったこと

私の作った借金は旦那がいつもしり拭した

そして私は自己破産の申請の少しあとから

仕事を始めた

旦那にはコールセンターと言ってある

でも本当はチャットレディ

旦那にお金を返せるなら

なんでもよかった、どうでもよかった

体だっていくらでも売ろうと思った

でもシフトを入れても仕事に行けない

何かが邪魔をする

なんで行きたくないか分からない、でも辛い

1度じゃない、何度もこうして仕事を休んできた

とうとう昨日、出勤前に苦しむ私を見て旦那はこう言った

「辛くても行けよ」「そんなこと言ってる次元じゃねぇんだよ」

泣きながら母に電話した

母や姉は「タクシーを呼んですぐに帰ってこい」と言った

こうして昨日の夜遅く姉の家に逃げ込んできたのだ

猫の世話と掃除、買い物を頼まれている

母はやりたい時だけやればいい

やりたいことだけやればいい

そう言ってくれた

実はこうして姉の家に帰ってくることは初めてじゃない

旦那がゲームに夢中になってACが酷くなった時

姉の家に2年ほど世話になった

その頃はまだ母とも上手くいってない状態で

親離れできず、旦那にも依存しながら生きていた

「自分」を消してから10数年、しわ寄せが来てしまったのだ

でもそれから数年経ち、少しづつ「母離れ」ができ

ACと向き合えるようになってきた今

母はやっと私を認めてくれた

だから帰ってこいと言ってくれたのだ

少しの間、ここで頭を空っぽにして過ごさせてもらおうと思う


支離滅裂な文章で申し訳ないですが

今の私はこんな感じです

詳細は追って書いていこうと思います

皆さん初めまして、つかさといいます

25歳の時に仕事が原因でうつ病になり

2年半の休職後復帰したが失敗、やむを得ず退職

精神科での数々の検査によって多数の障害が見つかり

精神障害者手帳1級を持っています

主人と暮らしながら闘病生活を送っています

現在31歳、まだまだ未熟で

ブログにも慣れていませんが

良かったらこのブログを読んで

少しでも共感したり、気持ちが楽になる人がいればと思い

書いていこうと決めました

よろしくお願いします


次の記事で私のことをもう少し詳しく

書こうと思っています