読み専門だったこのブログ、ちょっと動かしてみようと思います。
直近の神社参拝から。
6/11金曜日
自宅から2時間半程の距離にある椿大神社。自分の運転では無理なので夫に乗せてもらいました。
鈴鹿🆋から茶畑の間を通り走ること10分弱。この辺りはお茶が名産のようです。
椿大神社(つばきおおかみやしろ)
三重県鈴鹿市にある伊勢の国の「一の宮」
開運みちびきの神様として知られる猿田彦大神(さるたひこおおかみ)の本宮であり、猿田彦大神の妻「天之鈿女命(あめのうずめのみこと)」が別宮「椿岸神社」に祀られています。
猿田彦大神は、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊を道案内した国津神です。そのため開運みちびきの神様として信仰を集めています。その容貌から天狗の原型とする説もあれば、天照大神以前に伊勢で信仰された太陽神だという説もある神様です。また妻である天之鈿女命は、芸能の神様として崇敬されています。
伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています。
猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導申し上げます。そのことより、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。
仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。
また、猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されています。 椿大神社HPより
椿大神社のはじまりは、第11代垂仁天皇の時代の27年(紀元前3年)。
倭姫命(やまとひめのみこと)が、神様のお告げにより、御船磐座付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相殿としてお祀りしたのが起源だといわれています。
倭姫命と言えば、垂仁天皇の第4皇女にあたり、天照大神の御杖代として奉仕され、天照大神を伊勢に祀った方です。
伊勢神宮は最初から伊勢にあったわけではありません。天照大神はもともと宮中で祀られていたが、あまりにも神威が強いので、崇神(すじん)天皇は別の場所で祀ることにしました。
神霊は、崇神の皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託され、姫は理想の鎮座地を求めて各地を巡り、その役目は垂仁(すいにん)天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれ、二人の皇女合わせて26か所を巡って、最終的に伊勢の地に鎮まり今に至ります。
所在地 三重県鈴鹿市山本町字御旅1871
- 主祭神 猿田彦神
- 創建年 垂仁天皇27年(紀元前3年)伝
- 社格 伊勢国一の宮、式内社、旧県社、別表神社
- ご利益 道開き・開運・厄除け・浄化・縁結び・夫婦和合・子宝
- 無料駐車場は広く何か所にも分かれています。社標と鳥居はすぐ目の前。

- 社標の横には庚龍神社があります。樹齢四百年と伝えられる樅ノ木に宿り、神域全般を守り給ったとされる、金龍龍神・白龍龍神・黒龍龍神が祀られています。
古札をお返しする方は先に獅子堂奥の返却場所に行かれることをお勧めします。拝殿や社務所近くにはありません。
カエルの手水舎で清めたら参道を進みます。
まず見えてくるのは謡曲「鈿女」に謡われた神跡、御船磐座。天孫瓊瓊杵尊ご一行の船が到着した所と伝承されていrます。神話の世界を思いながら歩く。伝承の通りだと確かではなくても妄想が広がります。
拝殿でお詣り後は左横の相撲の稽古のひとつ【つっぱり】を受け止める鉄砲柱で気魄と気概を感じてみる。
千葉県にある佐渡ヶ嶽部屋から奉納されたもので、高さ160センチ、直径22センチあります。
鉄砲柱を実際に突き氣魄(気迫:ひるむことなく立ち向かう強い精神力)と気概(困難にも屈しない強い意気)
をその体で感じて欲しいとのことで奉納されました。
少し戻って椿岸神社へ向かいます。御祭神の天之細女命は高天原で天照大御神が岩戸隠れされた際、天の岩戸の前で踊りを演じ 、事態解決へと導いた立役者の一人です。
これにより天之細女命は芸能の神様して絶大な人気を誇っています。
椿岸神社
芸能道の象徴である扇への感謝と慰霊のための塚や招福の玉、かなえ滝がありとても女性的な神域となっています。猿田彦大神の拝殿からそんなに距離も無いのにガラっと雰囲気が変わります。お社も朱塗りで鳥居をくぐった途端にウキウキしてくるから不思議です。
かなえ滝は、本殿横にある金龍明神の滝からの流れで、本来の滝がこの奥にあり、容易に見学、祈願できるように作られました。
「招福の玉」は、縁結び、夫婦円満、招福導きの玉。
3回なでながら、「祓へ給へ、清め給へ、六根清浄」と3度唱えてお祈りすると、心の中に幸せを招き念願が叶えられるとのことです。
御祭神は天之鈿女命を主祭神とし、太玉命、天之児屋根命を配祀。
元は椿大神社の御旅所で、東北1Kmの山本村字本堂にあったともあります。
芸能上達の他、縁結び、夫婦円満も叶えて下さいます。
疲れるほど歩いていないけど、少し休憩を兼ねて茶室鈴松庵へ。←お抹茶もとい、和菓子が目当て
茶室・鈴松庵は、日本の心をこよなく愛した松下幸之助翁が茶道の発展を祈念し、庭園とともに寄進されました。
この地、鈴鹿山麓一帯、とくに入道ヶ嶽より出ずる明神川の清流は、万病を治す不老長寿の神水、薬水とされ、その水で点てる茶の味が殊のほか美味しいといわれるのは、水がよいからに違いありません。
また、芸能の祖神として知られる天之宇受女命は、茶道の神様であることは広く知られています。鈴松庵は、境内老杉大木の中にあり、小間(三畳台目席)、広間(十畳書院)、立礼席(六坪)の三室を備え、新緑の春、紅葉の秋、冬の雪景色など四季折々の風情もお楽しみいただけます。
この茶室は、流派を問わず、一般に広く開放しております 椿大神社HPより鈴松庵からの眺め
お皿は持ち帰り可能で15種類あります。15年でコンプリートできるそう。
内部はとても落ち着きます。不老長寿のご神水でたてられた抹茶を頂きながらぼ~っとお庭を楽しむ。
何という贅沢な時間! 松下幸之助さん、ありがとうございます!
こうして文化事業として社会に還元することで経済だけでなくエネルギーが循環されて豊かになっているのですね。
境内には松下幸之助社があります。「経営の神様」が現実化していて面白いです。
龍神社も近いし経営者だけでなく一般の社会人も応援を頂けそうです。
側には行満堂神霊殿があります。神社の社より寺に近い雰囲気。
椿大神社初代神主は行満大明神と伝えられていてその名から名付けられた堂です。昭和53年に完成した神道の慰霊施設です。
サルダヒコ神の神裔であり神世から祭祀してきた山本神主家は当社を拠点に伊勢地方を掌握しており、当社創建以来、代々「猿田彦命」を襲名していたが、崇神天皇のころに神名使用を禁じられたために「行満」(修験神道)と称し山本家の祖先神となったという。
中世期は一の宮として発展し、また仏教の影響も受け、修験もさかんとなる。(サルダヒコ神の末裔であり、山本氏の祖でもある行満大明神は修験の祖として役行者を導いたとされる。)
天正11年(1583)に羽柴秀吉による織田(北畠信雄)領であった伊勢亀山侵攻により社殿古記録焼失。天正14年に復興。
明治4年に郷社。昭和3年に県社列格。昭和初期に内務省神社局によって全国2000社のサルダヒコ神を祀る総本宮であることが再確認され、「地祇猿田彦大本宮」と尊称。「国幣大社」列格の手続きが開始され国幣大社の内示を受けるが戦争の為に列格は中断した。
当社は北勢の猿田彦大神を奉じる海部族が、その川上の山本に、この大神を氏神として奉斎したと推定される。
本社の背後にある海抜450mほどの椿が岳を神南備として祭祀したとも、背後にある入道ケ岳(海扱906m)には、その中腹に数多くの磐座が存し、それらを古代信仰の祭祀遺跡であるともいう。
【参考文献】椿大神社二千年史―伊勢国一の宮猿田彦大本宮椿大神社御鎮座二千年奉祝記念 たま出版 1997/11
神宮第一の古典『皇大神宮儀式帳』等にあるように、宇治土公宮司家の祖先で猿田彦大神の裔である大田命が、倭姫命の御巡幸に際して、猿田彦大神が聖地として開拓された五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地をお勧めし、そこに皇大神宮(内宮)が造営されました。伊勢の猿田彦神社はこの系統です。
伊勢の猿田彦神社は皇大神宮と結びついて、鈴鹿の椿大神社は入道ケ岳にあった磐座から各々猿田彦大神を祀ったと思われます。
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以後、私の個人的な感想です。
木漏れ日のさす参道を進むにつれピンと空気が張り詰めていきました。重い圧ではなく清々しさ。拝殿前の岩の階段手前から空間がバッと広がり明るくなります。自分自身も清められていく感じでスッキリします。
椿岸神社は可愛い!女性的で明るい境内です。入った途端ウキウキ心弾んでくるので元気になりたい時はおススメ。夫婦で参拝したのでご利益頂きました![]()
神職の皆様がとても親切でした。
伊勢市の猿田彦神社よりも私は好きだなぁ。林立する杉木立の中にお社の所だけ明るい。
駐車場前の会館の名物はとりめし。今回は完売だったので次回は味わいたい!
とりめしだけでなくお茶も種類が豊富で美味しい![]()
私の母伊勢志摩出身で山本姓です。出身村の大半が山本姓。何か関係があると面白いですが全くなさそう。
取り留めない感想を読んでくださりありがとうございます









