好きな言葉にって言うより、

大切にしていたい言葉に


「感謝」があります。


もう一つ、自分への戒めも含め、

素直に「謝る」もあります。


どっちも「謝」という漢字を使います。


この漢字には、

「お礼」という意味や、

「あやまる」、

「ことわる」、

「捨てる」などの意味があるようです。


「いつもすいません」ってよく使うけど、

謝っているというより、感謝している時に

使ってます。


まあ、相手がどっちに捉えても、

こちらの想いは伝わりそうです。


「申し訳ない」とか、「かたじけない」も

そんな感じなのかな?


とにかく「感謝」したいときにいう

「ありがとう」は「有り難し」からきていて、

今で言う「ありえなーい!」って感じ。


貴重で、得がたいものを得たという時に

使うらしい。


すいませんも「済みません」からきて、

自分の失敗や相手への迷惑に対して、

「このままでは自分の気持ちが晴れません」

「このままで終わらせるわけにはいきません」

という気持ちが込められているようです。


まあ、いずれにせよ「ありがとう」と「すいません」を

当たり前にすぐ口に出来るようなら人生は上手く

行きそうな気がします。


仕事の「やりがい」とか、「生きがい」とか、

人は何のために生まれ、死ぬのか、

何のために働くのか・・・・・・


自分は何者で、

「いま」に意味はあるのか、

「人生に意味のないことは起こらない」って言うけど、

全てに意味があるのなら、

本当の「真理」とは何なのか。


こんなこと考えている日本人て、

どのくらいいるんだろう。


生きていくだけでも困難な国や、

いつも目の前に「死」がある国もたくさんある。


今日、目の前で父や母が銃で撃たれ、

死ぬことにも「意味」があるとしたら、

日本で起きてる不幸や困難なんて

「無意味」に等しいほど平凡なことに思える。


「働くことは自分の役割を見つけけること」って言うけど、

「働くことさえできない人たち」は、

どうやって人生の目的や自分の役割を見出すのだろう。


「いまこの瞬間」に感謝し、

「いま自分に出来ること」を精一杯することしか、いまはできない。

いつもブレない自分でありたい。

唯一無二で始まるPV・・・


見入ってしまいました。


昨日のgeorgeのステージはサイコーでした。


ふと思ったのは、同じステージを見ていても


感じ取る「質」や「量」が人によって圧倒的に違うこと。


ただ「見る」のと「感じる」のは大違い。


感じ取りながら見るためには、しっかりとした着目点を持つこと。


なぜ?、何を?、どうやって?、どこに?、いつ?・・・


自分だったら次にどうする?ってイメージしながら見る。


そして、次の瞬間のギャップに驚きとともに感動を感じる。


無言の中のやり取りが、心地よい空気感となってステキな「間」を作る。


その場、その場の空気や匂い、ちょっとした動きを感じとり、


そんなアクシデントや変化を「楽しみ」ながら試してみる。


そして新しいフォルムやデザインを見つけて、また「楽しむ」。


ことば、仕事、空気、作品、思い・・・すべてがきらめいていました。