飯田 有のブログ

飯田 有のブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

"その場所はカタカナでここにあらぬように書かれていて
確かに暮らしてた日々が 形を変え 目の前に立つ"


2014年3月21日に、自分のiPhoneのメモに保存されていた書きかけの歌詞。


あるドキュメンタリー的なテレビ番組で、

フクシマ

とか書かれてたのを観て、書いた記憶がある。


すごく嫌だったから、書いた記憶がある。



人間のこと、ヒトって書くみたいに

なんかひんやりしたものを感じた。





去年、いろんな人との出逢いに導かれるようにして
長崎へ行かせて頂ける機会があった。


ヒロシマ


ナガサキ


沢山目にした。


やっぱ嫌だった。




福島

広島

長崎


本来持っている意味は


フクシマ

ヒロシマ

ナガサキ

には無いように思えた。


て言うかもう全く違う意味の言葉に思えて

最早地名でもなんでもなく

そこで起こった出来事

そこに暮らす人達の苦しみや悲しみ

生き延びた人達の奇跡

生きられなかった人達の……

って

そこに纏わる全てが

カタカナの地名に詰まってるように思えた。

確かにそこにあった当たり前のような日々を

一瞬で奪い去るものがあって

誰のせいにもできないどうしようも無いことがあって

失ってからじゃないと気づけない有り難みがあって


それを考えたらとても怖くて

すごく嫌だった。

その恐ろしさを本当の意味で知らない自分も

すごく嫌だ。



長崎で、被爆者の方のお話を聞くことができた。

その方は



この時期になるといつもヒロシマナガサキって盛り上げてくれるけれど

自分らの中ではあの日から1日たりとも忘れたことはないんだ

忘れたくても忘れられないんだ

この日だけ何かしようっていうんじゃなく

毎日ちょっとでもそのこと考えてくれたら

きっと二度とこんなこと起こらないんじゃないか

って思う


みたいな感じのことを仰っていた。


すごく汎用性の高い言葉だなぁと思った。

今日のこの日も、それを思い出した。


経験した人が1日も忘れられる日なんてないなら

経験したことのない人間は、それを意識的にするべきだしするしかないんだなって。


お前にできることは?って聞かれたら
自分にできることは?って問いかけたら
なかなかはっきりとした答えは正直でないけど
少なくとも今できることは
毎日毎日ちょっとずつでも想うこと。

あと、

経験して、それが大事って教えてくださった方から聞いた話を
自分なりの解釈で
伝えること
これも大事な俺の使命みたいに勝手に思ってる。


忘れたくない。


忘れない。




あの日俺はインフルエンザで高熱出して寝てた。

逃げろって言われて家の外に出たけど、

地面が揺れてるんだかめまいで揺れてるんだかわかんないくらいグラグラしていた

ただごとじゃねーぞこりゃえらいことになった

って思ったけど

なんもできない歯痒さがあった


忘れない。