まだまだ続く予感 | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

本日は排便の話です。

苦手な方・お食事中の方はスルー願います。







さて、今日は月に一度のかかりつけ医への受診日。

今日は何の検査の予定も入っていなかったので、ただ先生に「元気です」と言って、いつもの薬をもらうためだけの受診。

診察前に看護師さんが問診をするのだけど、
「お変わりありませんか?」
の問いかけに
「大丈夫。元気。」とばーば。
「食欲もあるし、元気です。」と私。

全く、何のために病院に来ているのかわからない。

次の患者さんは、奥さんが付き添っていた70代くらいの男性。

同じ看護師さんの問いかけに
「薬を飲んどるけど、排便がようならん。」
「便秘になったり、下痢になったり。」
と、排便が辛いと答えていました。

じーじもそうだった。

便秘の時は苦しいからと言って、下剤を大量に飲み、挙句に下痢になり、トイレが惨状に。

スッキリ便が出切らないから、自分で素手で摘便してトイレ中汚したり。

もう本当に、便失禁の後始末が大変でした。

でも、今思うと本人が一番辛かったんだろうな。

人間が生き物である以上、食べたら出さなきゃいけないわけで、それがスムーズにいかないのは辛いよね。

ばーばの介護が楽な点は、便失禁が無いこと。

ショートに行く時に、『最終排便日』を伝えないといけないのだが、私にはわからない。

つまり、ばーばがいつ排便しているのか、同居介護していてもわからないのだ。

でも、日曜日の夜、晩ごはんを食べた後トイレに行ったばーばが
「ちょっと来て。」
と、珍しく私を呼んだ。

トイレに行くと
「うんちが出たみたいだで、見て。」
と言う。

ばーばが立ち上がると、便器の中には標本にしたいほどの、立派なバナナうんちがありました。

流れるか心配になるほどの立派さ。

ばーばの腸には、排便の障害になるようなガンは無く、栄養もしっかり腸から吸収されていることがよ〜くわかりました。

『うんちは健康のバロメーター』と言われるけど、本当に良くわかります。

なぜ、トイレに私を呼んだのか?

デイやショートで
「うんち出たら、呼んでくださいね。」
と言われているらしい。

「こっそりしたらいかんのだわ。」
「うんち出たら、ちゃんと言わないかんのだわ。」
と、ばーば。

その言い方が、幼児のようで、とっても可愛かったです。

その日は、ずいぶんうんちが溜まっていたようで、寝室に行ってからも、
「ポータブルにもうんちしたから、流して。」
と、私に言いに来ました。

ばーばは、ちゃんと教えてくれるので、世話をする方は楽です。

じーじはどんなに便まみれになっていても、自分でなんとかしようとしたため、余計に惨状は広がり、私の怒りを買うことに。

でもね、それは今考えると「父のプライド」と「父の愛」だったんだよね。

娘に自分の便の始末なんてさせられない。

頑なに、そう思っていたんだろうな。

ところが母親は、割り切ってますね〜。

娘の世話にならないと生きていけないことを、充分すぎるほど理解していて、さらに世話をしてもらうことに全く抵抗が無い。

この思考回路、そして立派なうんちを見て、まだまだ介護が続くことを確信しました。

まだまだ続く介護なら、お互いザックバランに楽な方がいいですからね〜。




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