エッセイ執筆後のコメントも書かれていました。
『大人になって初めて、家に祖母がいた日々に「介護」と名前が付くことを知りました。
その苦労を子どもに見せないようにしてくれていた両親に感謝の気持ちがわきました。』
うーむ。
長男に、このブログを通して「介護」というものが知らせようとしていた私は、ハタと考え込んでしまいました。
この年齢の若者たちにとって、「介護」は自分の生活とはかけ離れたところにあるもので、例え親が実際に介護をしていても、自分のこととして考えることは難しいのだと思いました。
うちの息子たちにとっても、ばーばは、いつでも笑顔で迎えてくれ、抱っこしてくれておんぶしてくれて、膝の上に乗せてくれて、おにぎりとお味噌汁を作ってくれる存在でした。
決して怒ることはなく、いつもいつも優しいばーばでした。
それは今でも全く変わりません。
そのばーばが年老いて記憶力が薄れ、じーじが亡くなってからいろいろな問題行動を起こしていることは、息子たちは知らなくていいんじゃないか、と思うようになりました。
息子たちにとっての「ばーば」は、ずっと記憶の中でそのままの「ばーば」であって欲しい。
それが、たとえ幻であっても、実像とはかけ離れた幻影であっても、息子たちの記憶の中ではそれが本物の「ばーば」でいて欲しい。
おばあちゃんの存在って、無条件に自分を愛してくれる唯一無二の存在だと思う。
いつでも甘えさせてくれ、どんな自分でも認めてくれ、ずっと応援し続けてくれる。
息子たちの記憶の中に、そんなおばあちゃんの記憶があるのは、ものすごく幸せなことだと思う。
その記憶を守るために、私はまた一人、ここで愚痴を吐きながら介護していくことにします。
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