「こんな腐ったお茶よこして。」
このばーばの一言で、私、切れました。
昨日「ありのままのばーばの状態を受け止めなきゃいけない」ってブログに書いたのに。
受け止められない。
仕事帰りにデイに迎えに行き、家に帰ってきて、洗濯物を入れて畳んでしまって、デイから持ち帰った洗い物を片付け、お茶を沸かそうとしていたら、玄関のチャイムが。
自治会の班長さんで、来週の地区の運動会に出て欲しい、とのことで少し玄関先でおしゃべり。
部屋に戻ると、ばーばが
「お茶が無いんだけど、お茶ちょうだい。」
と言う。
いつもの麦茶は、今から沸かすところなので、たった今班長さんから、雨で中止になったこの間の奉仕作業で配る予定だったペットボトルのお茶をもらったので、そのお茶をコップに注いであげた。
そうしたら冒頭の一言。
そりゃ、ペットボトルのお茶は緑茶だから、いつもの麦茶とは味が違って当たり前。
それを「腐ってる」と言い、「こんな腐ったお茶をよこすなんて」と怒った口調で独り言を呟く。
はぁ?
私が母親であるあなたに腐ったお茶なんて渡すわけないでしょう?
しかも、ばーばの目の前でペットボトルの蓋を開けてコップに注いだのに。
冷製になって考えれば、麦茶と緑茶の味の違いがわからなくなっているんだろうけど、忙しくバタバタ動いてる時にこんなこと言われると、カチンときてしまった。
「なんでそんなこと言うの?今蓋を開けたばっかりのお茶が腐ってるわけないでしょ⁈」
と、怒鳴り散らしてしまった。
ばーばは「そんなこと言った覚えはない」と言う。
確かになんでもすぐに忘れてしまうのだから、覚えてないんでしょうけど、聞いた私は決して忘れない。
確かに普段なら、こういうことが起こらないように、先回りしてばーばの飲みたいもの、食べたいものを用意している。
でもね、たまには私だって、完璧にばーばのお望みどおりにできない時だってある。
今日だって、冷えた麦茶が無かったから、その代わりにカルピスとバームクーヘンを一切れ出してあったのに。
当たり前のような顔して、それらは全部食べて飲んで、更に「お茶ちょうだい」
なんかね、私の存在価値って何?
明日も仕事だし。
疲れました。