昨日、ばーばがデイから帰ってくる少し前に、デイから電話がかかってきた。
なんだ、転んだのか?
でも、違ってました。
「今日は独り言が多く、事務の者に、九州の妹に現金書留で三万円を送って欲しい、と言われました。」
「ちゃんと、現金書留でお送りさせていただきましたよ、とお答えしておいたので、よろしくお願いします。」
とのことだった。
家に帰ってきたばーばは
「あそこの人に現金書留頼んだで、まあええわ。」
「明日か明後日には届くわ。」
と、しっかり覚えていた。
まともな私たちから見れば、おかしな話なのだが、本人はいたって満足のようだ。
お金を渡してないのに、どうやって現金書留送るの?
だいたい住所も名前も伝えてないのに。
そんな単純なこともわからなくなっているんだなぁ。
でも、介護施設で働いている方は、さすがの「神」対応ですね。
私だったら、完全に頭から否定していただろうな。
認知症の高齢者の言動に、否定するのではなく、本人が安心できるように話を合わせる。
これね、身内の、特に実の親子関係では、難しい対応ですね。
ただ昨日は、事前に電話で連絡をもらっていたこともあり、現金書留を送ってもらい安心しているばーばを、そぉっとしておいた。
あえて何も触れずにおいた。
これが、私にできる精一杯の「神」対応。
普段は身の回りの世話をするだけで、いっぱいいっぱいだけど、ばーばの言うことに耳を傾けてみることも必要かなぁ、と思った。
何が不安なのか、何が気掛かりなのか、理解してあげることも大切かも。
ばーばは、なかなか子供に恵まれなかったので、私が産まれるまでは、ずっと妹や弟の面倒をみていた。
妹が美容師になるための費用も、弟が警察学校に入るための費用も、全部ばーばが出してあげていたらしい。
今では妹や弟も高齢になり、なかなか九州や大阪から会いに来てくれることも無くなってしまったけど。
それでも、妹や弟のことが気にかかっているんだろうね。
一人っ子の私には、わからない気持ちだけど。
だんだん、ばーばも昔に戻っていってしまってるんだなぁ。
じーじもそうだった。
妻や娘や孫のことより、自分の親・兄弟のことばかり話していた。
自分が幼い頃暮らした家に帰ると言っていた。
そうやって人は旅立つものなのかもしれない。