あの日のこと 3 | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

今日からばーば、デイに行きました。

家にいるよりはいいだろうと思って、かわいそうな気もするけど、行かせました。

デイのみんなに
「今日、お父さんどうしたの?」
と聞かれた時
「風邪引いて寝とる。」
と答えていたそう。

本当にそう思っているのか、亡くなったと言いたくないのか、どちらなのかは私にもわかりません。


さて、じーじが亡くなったあの日。

日付けが変わってから、かかりつけ医の先生が夜中にも関わらず来てくださいました。

じーじは訪問看護は契約していましたが、往診はしてもらっていませんでした。

本来なら、往診をしていない患者には死亡診断書は書かないらしいのですが、訪看さんの
「とにかく先生、すぐに来てください。」
という、半ば有無を言わせない雰囲気に押されたのか、来てくださいました。

そして
『4月7日午前0時24分、老衰により死亡』
と、死亡診断書を書いてくださいました。

訪看さんは、夕方に訪問した時に、こうなることを予見できなかったことを悔やみ、私に謝ってくださいました。

そんな、謝ってもらうようなことではありません。

1日に三度も訪問してくださり、丁寧にエンゼルケアもしていただいたのですから、感謝しかありません。

自宅で老衰で亡くなる、これはじーじ本人と私が望んだとおりの結末です。

もし、じーじの命の限界が、私の身体と精神の限界より長かったら、私はじーじをこの手にかけていたかもしれません。

たとえ理性が上回り、そこまでしなかったとしても、数週間後にはショートのロングステイを申し込んでいたと思います。

じーじの、あそこまでの潔い命の幕引きは、
『絶対に施設は嫌だ、自宅がいい』
という、確固たる意思表示だと思えてなりません。

そして亡くなる日の朝、私が言った
「もうこれ以上、私の人生の邪魔をしないでくれる?」
という言葉。

寝ていたけど、じーじには聞こえていたのかもしれません。

これ以上娘に迷惑はかけられない、父親としての最大の愛情表現としての逝き方だったと、私は思っています。

そんな父親の深い愛情により、私は見事に介護をやり遂げた孝行娘となることができました。

葬儀の時に、親戚やご近所の方々や会社の仲間たちから、そしてこのブログを読んでくださっている皆さんからも、労いの言葉をかけていただきました。

私が立派なわけではありません。

じーじが、父が、ものすごく立派なんです。

じーじが私を守ってくれた。


今は、遺影に笑顔で話しかけています。

今迄、じーじと私を見守っていただき、ありがとうございました。


でも、介護もこのブログも続きます。

なにしろ、ばーばがいるからね。




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