今回は日記ではなく自分の人生の振り返りとお金の価値観についてです。
私の幼少期に両親が離婚し、母1人子1人、女手一つで育てられた私ですが、祖父母の家(母の実家)に出戻る選択肢もありました。
私の周りで離婚してしまった子持ちの友人は1人で育てるのが大変なので実家に戻っている子が多いです。
祖父母は田舎で農家を営んでおり畑や山等の土地持ちです。
これは田舎あるあるですが、とにかく敷地が広い。
家の敷地に7LDKの母屋。それとは別に祖父専用の家、母の兄夫婦の家、農業用の倉庫が2つ、外付けのトイレが2つ、庭は野球が出来るくらいの広さ。
これ、祖父母の家が特別広い訳ではなくその集落一帯が全てこんな広さです。
更に持っていた土地(使っていなかった荒地)に巨大ショッピングモールが建つ事になり莫大なお金が入った為一気に億万長者となりました。
そんな訳で母が実家に出戻り祖父母の支援を受ければ私は何不自由なく暮らせていたと思います。
ですが母は断りました。
兄貴が継いだ家だから私は実家には戻れないし戻らない
と言っていました。
ランドセルや机等は祖父母に買ってもらいましたがそれ以上の度を越えた支援は一切受けず、築50年の6畳2間、ボットン便所で時々ネズミが出るボロ家で中学生まで育ちました。
一見、貧乏で可哀想な子ですが、私はそれで良かったと思っています。
祖父母の家で祖父母の資産で何不自由なく暮らした従兄弟(母の兄夫婦の息子)は体重100kgオーバーのニートになりました。
もし私が祖父母の家で育ったら、あわや自分がその道を辿っていたかもしれません
はたまた苦労知らずの温室育ちで超高飛車な性悪女になっていた可能性も…。
物心ついた時からうちは貧乏と分かっていたので、たまに外食してもメニュー見て「これ食べたい!」と必ず1番安い物を選ぶ癖がつき、その癖は40歳になった現在でも。
回転寿司では母も私も1番安い皿しか頼みません笑
親子揃ってザ・貧乏症。
僕ちゃんにご馳走になる時もどれが1番安いか探して遠慮してしまいます
母が親の力を借りず汗水流して働いて貯金し、自分の力で家を買ってボロ家脱却した背中を見て育った為か、良くも悪くも
自立した強い女性でなければならない
使命感に苛まれて育ちました。
それが災いして、年上男性からは
無人島でも1人で生きていけそうだね
甘え下手だね、もっと甘え上手にならないとモテないよ
などと振られてきました
そして逆に甘えん坊の年下男性ばかりに言い寄られ現在に至ります。
なので私は彼がお金持ちだろうと借金持ちだろうと関係ありません。
結婚しても金銭面で彼に依存するつもりもないし、逆に借金肩代わりも簡単にはするつもりありません。
自分も自立したいし彼にも年下とか関係なく自立して欲しい。
実際彼は投資に成功し自力で借金返済しました。
色々買ってきてくれますが、私からおねだりしたのはランチくらいしかありません。
しかも断られたし
祖父が亡くなり祖母からは生前贈与を受けました。
母の兄夫婦と息子には散々無駄遣いされたので、残りは母と私に遺したいと。
母も私も自分の贅沢に使う気は一切なく、母は私以上に節約して質素に暮らしてきたので(ブランド品は1つも持っておらず、海外旅行も一度も行った事がありません)恐らく母も使わずに私に遺すだろうなと思います。
私は遺す子供がいないので自分の老後や家族に何かあった時の為に貯金します。
私には父の血も入っているので自由人で好き勝手生きてきた一面もありますが、母は地に足ついた真面目一筋人間なので母親として尊敬しています。
ただ、自分が母の様になれるとは思わないし、贅沢ひとつせず私の為に生きてきた母の人生は果たして幸せだったのか…といつも疑問に思ってしまい、私は母親にはならない人生を自ら選びました。
孫を抱きたかったであろう父と母には申し訳ないですが、これが私の本音です。
今回の記事は生前贈与の事も含め僕ちゃんにはまだ話していません。
そのうちこの記事を読んでもらうつもりです。
またその時彼から反応があったら記事にします。