またまた、夜中にスミマセンm(_ _)m💦


皆さん、いかがお過ごしでしょうか?


今日も前々回からの続きの第3弾を書きたいと思います✨



前回は、私が接客業に切り替え、フェイシャルエステを副業し始めはところまで書きました❗



では、よろしくお願いします🙇⤵️





フェイシャルエステを取得してからも、接客業をしており、

なかなか長続きはしなかったですが、

それでも私は、めげずに

「バイトだけでも❗」

と思い仕事を変えながらでもしておりました。



なぜかと言うと、

皆と同じように

「自分が働いたお金で、皆と同じことがしたい❗」

と強く思っていたからです。

その気持ちは、今でも変わっておりません。



そんな中、心療内科の主治医から

「障害者年金をもらう手続きをしない?」

と言われ、手続きをしました。



その時は、そういう制度があるのはもちろん知らなかったので、ビックリした反面、

「やっぱり私は皆と同じようにできないんだぁ…。」

と、だんだん自分の障害に対して、

「なんで、障害を持って生まれたんだろう…。」

と、恨むようになってき始めました。



それと同時に、イライラ度合いや落ち込み度合いがハンパなく増してきており、

よく両親(特に母親)に、

「なんで、私だけこんな辛い思いをしながら生きなくちゃいけないの❗」

とか

「なんで、私を産んだの?」

とかなど、

両親や自分自身にも怒りをぶつけておりました。



今思えば、あの頃、両親が一番辛い時期だったかと思います。



死にたくて包丁を自分に向けたり、酷い時は両親にも包丁を向けた時もあります。



何をしても続かない、何をしても上手く出来ない

、何をしても皆と同じようにいかない

そんな毎日で、初めて

「自分は本当に障害者なんだ❗」

と気付き、考え始めた時期でもありました。



でも、死ぬ勇気もない❗

だから、生きるしかない❗

と、気付いた時でもありました。



しかし、障害者年金はもらえませんでした。





そんな中でも、少しずつですが、長く続けれる仕事も増えてきました。

ちょうど20代後半~だったと思います。



なぜかと言うと、

上司や先輩が、私の障害に対して理解してくれた職場は長く続けれる❗

ことに気付き始めてました。



あと、副業のエステも、なんやかんやあっても自然と続けれていました。



なので、その頃から、私は

「自分のペースが乱れたら、ダメなんだ❗」

と気付き始めた時期でもありました。



ちょうどその時期に、

障害者手帳を持つようになりました。



なぜなら、障害者とわかった時に、

「障害者手帳を持ちなさい❗」

と、主治医に言われてましたが、

「自分=障害者」

と、認めたくなかったので、拒否し続けていたからです。



でも、世の中は甘くはなく

障害者とわかってから

「辞めてくれないか?」

と、遠回しに言われたり

契約社員で契約更新時に

「契約終了とさせてください❗」

と、言われることが増えてきました。





以上、ここまでが20代の話です。




今日は、ここまでにして

次回は、30代~お話したいと思います。




今回も読んで頂き、本当にありがとうございましたm(_ _)m✨