みなさまごきげんよう。
YUKIKOです
昨日の素晴らしい気付きの続きです。
⏬素晴らしい気付きはコチラ
あなたは次の感覚って
はっきりとわかりますか?
気持ちいい、ワクワク、心地いい、好き、最高!
幸せ、魂が震える、愛、キャッ♡、よっしゃあ〜!
いまいちよくわからない?
それを探し求めてる?
なんて人もいるかもしれませんね
ここで私の旦那さんの例をあげてみます。
(以下、ともPと記しますね)
ともPは上記の中でも「好き」が
(私に比べて)あまり認識できないタイプ。
例えば以前「究極の好きな食べ物」を知りたくて
こんな質問をしてみました。
「最後の晩餐には何食べたい?」
即答で「トンカツ!」とか「ラーメン」とか、
「◯◯のモンブランと☆☆のタルトで迷う💦」
なんて答えられる人は好きの認識が得意なタイプ。
「死ぬ頃は年取ってるから重いものはムリかな」
「シチュエーションによるよね」
なんてあれこれ考えて即答できない場合は
好きの認識が苦手なタイプかもしれません。
(「これを好きって言ったら変に思われかな」と思って言えなくなっているうちに、好きがわからなくなるパターンもあると思いますが、今日は上記のパターンについて説明しますね。好きの定義についてとかは、少し参考になるかもしれません)
昔、私が無邪気に聞いたとき
上記のようなことをブツブツ言っていて
即答しないことにびっくり。
(最終的には土鍋で炊いた新米に、美味しい卵の黄身だけかけた卵かけご飯という結論に🍳)
好きの認識が苦手なタイプというのは
頭で考えすぎな傾向があります。
「好きの定義と度合い」などを
しっかりすりあわせてからじゃないと
回答できない。
「コレが好き」
ってその場で浮かんだものを
気軽に好きって言ったって
誰にも迷惑かからないしむしろ気分がいい♡
私にとっての好きは
(思い浮かべるだけで)心地よくて、
(コロコロ変わっても良いくらい)軽やかで、
(場面に合わせて)たくさんあっていい。
「パンケーキもイチゴも生クリームも
沖縄もぜんぶ大好きっ😘」
そんな定義です。
心地よい響きや感覚のものが
すぐに思い浮かべられない場合、
色々な制限をかけてしまっているのではないでしょうか?
昨夜もともPと
こんなやりとりがありました。
「今日のお昼は何食べたの?」
「あれと、これと、レバー炒め」
「あれ、こないだもレバー食べてたね⁈」
(ちなみに私は得意じゃないので我が家の食卓にはでてきません)
「うん」
「レバー、好きなんだね♡」
「いや、そう言う訳じゃ…。何となく選んだだけだし」
「でも、1週間に2回食べてるよね?」
「うん…」
「それって好きってことじゃない?」
「…」
「少なくとも、好きか嫌いかどうでもいいの
3択なら好きだよね?」
「その割合は…」
「1から4は嫌い、5はどうでもいい、6から10は好き❗️」
「じゃあ好きかも…」
「だからそれって好きなんだってば」
「でも卵かけご飯ほどでは」
なんて最後は大笑いしたやりとりがありました。
要は好きに対して
たくさんの定義が必要で
好きの度合いも10段階の10じゃなきゃダメ
くらい小難しく考えているわけです。
まじめかっ
(こんなの好きって言われたら変に思われないかな?のパターンは、誰からも認められるような「王道の好き」じゃないと言っちゃダメ、って制限があるかもしれませんね)
「好きがよくわからない」パターンを
もう少し突き詰めていくと
・好きを認識することに慣れていない
・好きを認識する習慣がない
・嫌いな方に注意がいきやすいetc
つまり好きの対象となるものを
認識できないだけなんです。
(この時期は桜餅も好き♡)
好きをもっと簡単に気軽に捉えたらいいだけなんですよね。
あとは慣れの問題。
もうね、好きなんてそこら中にあるよ。
奇跡に比べたらそこら中におちてるよ!
(最近奇跡探しがマイブームなので♡)
と高らかに言い放ったあと、
ふときづいたんです。
あれ、このパターン
何かに似てるような…。
「好き」を「幸せ」に起きかえてみました。
「今日はどんなことしていましたか?」
「朝起きて、
お白湯飲んで、
紅茶のんで、
あまおうのレザーウッド蜂蜜かけを食べて、
身体を愛おしく撫でて、
香油入れたお風呂入って、
ふかふかのタオルで身体を拭いて、
縫製作業して(感涙して)、
コンビニ行って、
桜見て(感動&感謝して)、
シャトーブリアン焼いて(上手に焼けた)、
旦那さんと食べました」
(今、嫌なことはほぼせず、突発的な嫌なことは1秒受容で流し、これまで通り好きなことはして、イマココに集中したり、もし世界が今終わっちゃうなら?とか考えてます)
「昨日も同じような1日でしたね。」
「はい」
「あなたは幸せなんですね♡」
「いや、そう言う訳じゃ…。なんとなくいつもこんな毎日だし、今日は日本代表の試合もないし、奇跡も発見してないし、ハイブランドでお買い物もしてないし、普通すぎて幸せのうちには入らないような。」
「でも、朝好きな時間に起きて、
ゆっくりお白湯と紅茶のんで、
味のギュッと詰まったあまおうに
蜂蜜界のシャンパンと呼ばれる
あのレザーウッドの蜂蜜をたっぷりかけて食べて、
身体を国宝ベイビー級に愛おしく撫でて、
香油をたらしたお風呂にゆったり入って、
フカフカのタオルで身体を拭いて、
縫製作業して(感涙して)、
いつでも空いてる便利なコンビニ行って、
今年も見事に咲き誇る桜見て(感動&感謝して)、
高級なシャトーブリアン焼いて(上手に焼けた)、
旦那さんと一緒に美味しく食べたんですよね?」
「はい…」
「それって幸せじゃないですか?」
「…」
以下割愛。
毎日、好きな時間に起きて好きなことして
イマココ実践して、
一年の内1週間くらいだけ咲く桜を愛でて、
居心地の良いタワマンの一室でぬくぬくして、
旦那さんと笑いながらご飯食べてる。
幸せの認識が得意な人からしたら
もう、どうやったって幸せじゃん!
って言われそう…。
私、もしかして幸せの認識が不得意なタイプ⁈
「いやまさか、そんなはずない」
(↑それ自体をなぜか一瞬否定するのも特徴的なの)
ここまできて自分で苦笑い
「いいえ、あなたは幸せなのです」
「えっ、私? この私が幸せ?」
(当選とか、手に入れたとか、ハマるワードに置き換えてね)
「えっ、この私が幸せに選ばれた⁉︎ うそっ、本当に?」
拍手喝采👏
「おめでとうございます🎉🎊㊗️」
「ありがとうございます😭
私、幸せです。生まれてきて良かった。
ありがと〜 うう…」
(↑このとき、本当にシンデレラガールやアカデミー賞に選ばれたか、宝くじ当選したかのような歓喜に溢れました)
もしかして。
「幸せ」って「好き」と同じくらいそこら中にあって
ただ私が小難しく考えて抵抗してるだけなんじゃ⁈
選ばれて、拍手喝采受けないと
幸せと認識できないだけなんじゃ⁈
宇宙存在や神様からしてみたら
「だからそうなんだって」
って言われそうだし、
その感覚が普通な人ってば
もしかして超がつくほど簡単に
「幸せ」をポンポン受け取っているの⁈
私、幸せの定義は根深いみたいで
頭では理解できましたよ😓
これがスコンと腹落ちしたら、
きっとすごいことになる予感
「幸せなんてそこら中にあるじゃない」
そう笑い飛ばせるほど当たり前に
幸せを認識できるようになる
幸せドリルのようですが
なんだかマスターできそうです
昨夜の素晴らしい気付き、
誰かにも響きますように
YUKIKO