今日は信仰のおはなし。


もう1週間前になりますが礼拝で聞いたお話が
hannaの心にとどまっています。

エジプトで奴隷として苦しんでいたイスラエルの民。
モーセによってパロ王の手から救い出されようとした中、
最後の最後までパロ王に苦しめられる。
いよいよパロ王が「もう出て行ってくれ」と言うまでに。

そこで語られたのが、イスラエルの民はエジプトを『出た』のだということ。
エジプトが滅ぼされてしまったのではない、ということ。
牧師先生の言葉を借りると、
「神さまはエジプト、私たちの敵をキュッとひねって滅ぼしてしまうことは
簡単だった。でも滅ぼして無くしてしまうのではなく、
そこから逃れさせる、という方法で救われた。
それは神さまが神様たることを本当の意味で知るため、体験するため」

何だかね。私の目にも心にもおぉ!!と刺さったのが、
先生がぞうきんを絞るように、キュッと手振りをされたこと。
いとも簡単にひねりつぶしてしまう様。
キュッとひねってしまうことは簡単。
それが、本当に私らが虫でもパンっと潰すように
いとも簡単にできることなんだってことが身振りと言葉で入ったの。

でも。
神さまはそうされなかった。

苦しむ者の敵を、キュッと滅ぼすことなんて神さまには造作もないこと。
苦しいんだから、その敵を取り去ってくれたらいいのに。
そう私は望むけれども、神さまはそうしなかった訳。

それは、神さまがどんなに偉大な愛なる方か、ということを
脱出のできごと、荒野での旅のなかで、それからの人生で
私たちに体験させて味わわせ、その神さまと真の交わりをしていくため。

深いです。


私は時々思うことがあるんです。
私を苦しめる病、その原因になった過去。そこにいた人。
いなくなってしまえば私は心から安心できるって。


でも、神さまは滅ぼすんじゃなくて、私をそこから救い出された
という方法を選ばれたんですね。
消えない。
例えばあの時消えていたとしたら…。
それでもその事実は私の人生の中で確かに起こったこと。
否定してもその時間は刻まれている。現実として。
だから消えることはないんだろうなって思うよ。

その時、その苦しみ、すべてを受け入れた時にしか見えない
神さまがいらっしゃる。

この秋。
インテグレーションセミナーに参加することに導かれている。
たった一人で行こうと申し込んでいる。
色んな思い巡らせていることをそのまま持って、
そのバラバラのパズルが何かの絵を見せてくれることを
期待している。
私が心からそれを求めることができるようにも。


神さまがそうしなかった訳。
受け止めたい。