病院の担当の先生がお辞めになり、違う先生になりました。何でもテキパキとこなし症状や今後の治療法などもキチンと話してくださる素敵な女性で、私は先生が大好きになりました。


今までの先生は傷の手当しかしてくれなかったけれど、今度の先生はみゅうの曲がった前足のためにギプスを作ってくれました。そのギプスのおかげで足がまっすぐに固定され、あまり動かない後足を引きずって歩くのも楽になったようでした。もちろん曲がった関節部分への負担も軽くなったと思います。


それまでは曲がった関節部分には相当な負担がかかっていました。骨が皮膚を突き破って、少し骨が見えているところがあったほどです。その傷には包帯が巻かれ、両前足にはギプスをし、後足は食いちぎった指のために包帯。まるでミイラ男のようでした。


そのギプスの包帯を巻きなおすのと、あちこちの傷の手当のために週1回の病院に通いました。

医療費は大変でしたが、朝預けて昼間先生が空いた時間にゆっくり時間をかけて診てくださり、みゅうには悪いけれど私たち家族もホッとできる時間を持つことができました。


毎週病院に通っていてもみゅうの病気を治すことはできませんでした。

6歳の夏、前足も立てなくなり横たわったまま頭を上手に動かしながら少し動くぐらいしか出来なくなりました。1日中ベッドに横たわっているだけの生活です。しだいに床ずれができはじめました。


食いちぎった後足の傷はもう治っていて包帯はとれていたのですが、今度は床ずれの傷のために毎週病院に通いました。先生が工夫してくださり傷のまわりにスポンジをはってくれたり、きれいな色の包帯でギプスを巻いてくれたり。本当に先生が親身になってくださいました。


秋に一時食欲がなくなり、冬は越せないと思った時期がありました。

寝たきりのため、朝晩の食事は少しずつ手にとって食べさせていたのですが、随分食が細くなり、声もか細くなっていました。でも食べたり食べなかったりしながらも持ち直し、冬を越すことができたのです。


今年に入り背骨が随分曲がり、腰から下を触って全く感覚がないようでした。ほとんど鳴くこともできなくなりましたが食欲はあったのでまだまだ大丈夫だと確信していました。


あちこちの骨がもろくなっている可能性があるとのことで、床ずれ防止のために向きを変える時も背骨が折れたら大変だと慎重にやりました。

その頃のみゅうはわんわんと煩く、触られることも嫌いな昔のみゅうとは違い、撫でてほしくて私の手を鼻で押してくる可愛いみゅうでした。それまで「ああ、本当に煩いな~!」と怒ってばかりだったのに、その頃が懐かしくなりました。


4月に入り娘の新体操の発表会が近づいて私は大忙しでした。でもみゅうの食欲がなくなり、ほとんど何も口にしてくれなくなりました。ドライフードはやめて柔らかいレトルトタイプのえさをあげていたのですが、その柔らかいささみも飲み込めない様子でした。いろいろ考えて、みかんの缶詰や桃の缶詰を小さく刻んであげてみましたが、最初の一口食べただけでもう食べません。以前食欲がなくなった時はこれで乗り切れたのに。


何も飲まず、食わず。仕方なく病院で点滴を打っていただきました。

最初はこの点滴で元気になって食欲も出たのですが、そう何日ももたず、つぎの週にもう一度打っていただきました。


でももう食欲はもどりませんでした。


そして4月30日、娘の発表会の日。朝、毛布にもぐりこんでいて顔は見えませんでした。まぶしいのか、暗くて落ち着くのか、みゅうはいつも毛布にもぐりこんでいたので、いつも出かけるときに声をかけていました。でもその日は声をかけませんでした。なぜならもし死んでいたら発表会に行けなくなってしまうから。私はみゅうよりも娘の発表会をとったのです。そして夕方、発表会が無事に終わこれから体育館の片付けをしようとしたいた時に携帯がなりました。主人が発表会を見て家に帰ってみたら、みゅうが亡くなっていたということでした。出かける前は生きていたそうです。


私と娘は片付けもそこそこに、事情をは話してすぐに家に戻りました。こんなに泣けるのかというくらい私も娘も泣き、みゅうのためにお線香を炊き続けました。


朝、声をかけてあげればよかった。顔を見ておけばよかった。撫でてあげればよかった。


でも一つ救われるのは、前日に母とみゅうを囲んでいっぱい撫でてあげたことです。みゅうは自閉症の子のように人の顔をちゃんと見れなかったけれど、その時はゆっくり頭を動かしながら一生懸命私や母の顔を見ていました。もしかするともう目が見えなくなっていたのかもしれません。


いまでもそのときのみゅうの顔が思い浮かびます。


私は、みゅうにしてあげなかった事がいっぱいあります。どうしてもっとのびのび育ててあげなかったのか。どうしてもっとあちこち連れて行ってあげなかったのか。吼えていたって、わがままだって、トイレが出来なくたって、こんなに大切な家族だったのに。


いつも怒ってばかりでごめんね。


みゅうに、逢いたいです。



凛太郎と暮らすと決めたとき、みゅうにしてあげられなかった事を凛にはしてあげようと思いました。

どんな子でも大切な家族。いつも一緒にいてあげたい。寂しい想い、悲しい想いをしないように一生懸命育てていきたいです。


凛がいてくれて私は本当に幸せ。凛を捨てた人に私はお礼を言いたいです。私に凛を与えてくれてありがとう。今まで凛を育ててくれてありがとう。