みなさんは、
私たちのために十字架にかけられて死んで下さった
イエス・キリストをご存知ですか?
今から約2000年前、イエス・キリストはイスラエルの地に降誕されました。天国で、栄光に満ちた輝かしい生活をしていた神様の御子が、私たちを救い出すために地上に降りて来られたのです。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」(聖書・ピリピ2:6~8)
その理由は、神様を知らず、神様から遠く離れた生活をしている私たち人間を、真の神様のもとへ連れ戻すためでした。人間は本来、神様と共に、愛と喜びに満ちた幸せな生活をするために、神様によって造られた存在だからです。
創造主なる神様は、罪深い世の中を見て、心を痛めておられます。争い、憎しみ、敵対心、偽り、悪口、殺意などを、愛と正義の神様が見て、放っておくはずがありません。また、同性愛も、神様の定められた自然の計画に反しています。さらには、神様ではないものを神様として崇拝してしまうこと、すなわち、木や石で、狐や蛇や人間などの偶像を作ってそれを拝むことは、あまりにも的外れです。
天と地のあらゆるものをお造りになられた真の神様を礼拝し、神様と共に生きる愛と喜びに満ちた人生へと人間を救い出すために、イエス・キリストは天からこの地に来られ十字架の上に身を捧げてくださいました。
「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。」(聖書・イザヤ53:7~9)
神様は正義を貫きますから、人間の罪に対して刑罰を下さなければなりません。悪を見過ごす神様ではありません。しかし、罪を犯したからといってすぐに刑罰を下してしまうと、誰が生き延びることができるでしょうか?神様の御前で、いつも清く正しく行き続けられる人などいるでしょうか?
聖なる神様の御前では、すべての人間は罪深いので、イエス・キリストが私たちの罪の身代わりに神様から刑罰を受けて死んで下さったのです。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(聖書・Ⅰヨハネ4:10)
「わたしの命を犠牲にしますから、彼らをお赦し下さい」
「わたしの命と引き換えに、彼らをお助け下さい」
それが、イエス・キリストのお気持ちでした。
罪ある者のために、全く罪のない方が身代わりになって死んで下さったことにより、創造主なる神様への道が開かれました。
「イエスは彼に言われた。
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父(神)のみもとに来ることはありません。』」 (聖書・ヨハネ14:6)
イエス・キリストの十字架のもとに私たちの罪を投げ出すとき、私たちは聖められ、神様によって造られた本来の姿に回復することができます。
「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(聖書・ローマ8:1,2)
イエス・キリストは、十字架の上で全人類のための救いの御業を完成させ、死んで3日目に、神様の力によって復活させられました。
「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」(聖書・エペソ1:20,21)
この方を信じるとき、私たちも同じ復活にあずかることができます。
「イエスは言われた。
『わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。
このことを信じますか。』」(聖書・ヨハネ11:25,26)
復活とは、肉体が死んだときに天国へと導かれることであり、また、今も神様の聖霊を受けて、霊的に新しく生まれることです。イエス・キリストの十字架の愛を信じ、神様の聖霊を受けるとき、私たちは本来の姿に回復されていき、神様の希望と平安に満ちた計画に従って歩めるようになります。すべての人には、神様からの賜物と使命があります。
「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」(聖書・エペソ2:10)
神様の愛と喜びに満たされて、神様からの使命を果たして生きる人生を、あなたも始めませんか?
「主は、
あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」
(聖書・詩篇103:3~5)
神様は、あなたを罪の性質から解放し、すべての病気を癒し、地獄行きの定めから救い出し、あらゆる天の祝福で満たして下さいます。
「神は、実に、
そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
(聖書・ヨハネ3:16)