自分が何をやりたいか

 

その本当の望みに近づき始めると

 

おもしろいように

 

ゾロ目をこれでもか!と見るようになって

 

「こっちでオッケー!」というふうに

 

応援していることを教えてくれるようになります。

 

 

 

最近 ほんと、ゾロ目祭りさながら・・・w

 

 

 

夫の身近な人に 何十億、何百億の仕事を

 

どかどかやってきた人がいたのですが

 

その人をみたら、まーだらしないところもあるしw

 

尊敬できない!というふうに考えてた人も

 

いたみたいなのです。

 

 

そこだけ切り取ったら そう見えるかも

 

なのですが

 

その一部分だけを切り取って

 

その人のことをあ〜だこ〜だ言っているうちは

 

その人の壮大なビジョンに則った行動

 

というものに 気づかないことがあります。

 

 

自分にないものは きづけないのねあせる

 

 

その壮大なビジョンには 

 

それこそ壮大な責任とか

 

それこそ壮大な雇用とかが

 

た〜くさん付いてくる。

 

 

それに耐えうるだけの強靭な精神力が

 

あるんだな〜と思うと

 

たとえ 断片的におもしろいことしていても

 

それを優に越えるすばらしさがある。

 

 

そういうことに気づいていくことが

 

成長なのかな?なんて思ったりしてハート

 

 

男はだまって黙々とってとこ あるものね音符

 

 

私もまだまだ 夫のすてきなところに

 

気づけていない自分がいると感じます。

 

 

 

先日 尊敬している人が

 

「自分で会社を興したときも 1人で本をかって

 

会社の届けを自分で作成したり、提出したりした。

 

めげそうになったけれど、こんなこともできないようじゃ

 

会社を興しても成功しない。」と仰っていて

 

 

「すごい!」と同時に「そうよね〜〜」ととても

 

励みになったのですが

 

夫の実家にいったとき、夫の部屋で

 

本のカバーをとってむき出しになっていた

 

『会社をつくる本』を本棚で発見ビックリマーク

 

 

 

「えっ?もしかして自分で会社の届けとか作成したの?

 

司法書士の方とかに頼まずに?」

 

と聞いたら

 

 

寝そべりながら

 

 

『か〜〜んたん音符

 

 

と言っていました・・・

(たぶん大学卒業してすぐとかそんなときだと思う)

 

 

知らなかった・・・

 

できるのか? この人・・・

 

この寝そべった姿が 標準装備のこの人・・・

 

 

 

つまり 尊敬する人は 身近にいた・・・?!

 

ということ。

 

私がきづけてなかっただけなのです。

 

私にその思考がなかったから笑い泣き

 

 

そもそもすばらしい人だったんですよ。

 

ですが、その視点(その器)をもっていなかったら

 

見えてこなかったの汗 (ギョエ〜〜〜!!!)

 

 

 

だんだん 近づいている。

 

そう理想の自分にラブラブラブラブラブラブ

 

そして いつしかそれが自分になるのね、楽しみハート

 

 

 

 

尊敬する人が 身近にくるかんじを

 

他にもいろいろ味わってますハート

 

 

 

尊敬している人を わざわざひな壇に座らせて

 

自分よりも遠い存在にしていたのも自分。

 

 

そのように見えてた人だって

 

自分といっしょに楽しもうよ!っていってるだけなのかも音符

 

 

 

 

変化のときを感じる 今日この頃。

 

始めるのは いつだって 今!

 

 

 

「あのときああしていれば・・・」って

 

言いたくなる未来をつくるのは 卒業しましょう〜〜きらきら

 

 

失敗したって 「次はこうしよう!」って

 

思えばいいじゃんって思えば 肩の力も抜けて

 

希望がもてるはず音符

 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

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