私はcpmのメールセッションを受けて

 

自分はどれだけ都合の悪いことは

人のせいにしてきたんだろうか

 

って感じることができました。

 

 

「相手が悪い」

 

これがベースで生きてきましたから

相手を責めていればよかったのです。

 

 

一日 ずっと人を責めていました。

 

責めて 責めて 責めて・・・

 

そして 自分が疲弊していきました。

 

 

そのときは 疲弊するのは

相手のせいだとばかり思っていました。

 

 

 

cpmの大前提

「人にいいたいことは自分も言われていたこと」

 

これを自分に当てはめてみたら

いろんなことが見えてきました。

 

いままでは 言っていれば

責めていればいい立場だったのに

 

今度は自分が言われている側

に立つことになったのです。

 

 

抵抗しながらも

責められる立場に立つことで

見えてくることがありました。

 

 

「あ〜私、自分のことは棚にあげていたな。」

 

「あ〜やってもらったこと

気づいているつもりでも

全然きづけてなかったかも・・・」

 

「あ〜 あの人はもしかしたら

すごくあたたかく受けとめてくれてたのかも。」

 

 

などなど いろんなことにきづけました。

 

 

人は 面と向かって言わなくても

いつかできると信じて見守ってくれていたりするもの・・・

 

 

自分の痛いところをみるたびに

どれだけ自分が許されてきたか

もわかったのです。

 

 

あたたかく受けとめてくれた人が

いたからこそ 今の自分がいる。

 

 

そう思わせてくれたのは

CPMのセッションでした。

 

 

 

CPMのセッションは母のようなもの

だと私は思っています。

 

 

あたたかく受けとめる。

 

 

そのうちに気づきがおこる。

 

 

父のような厳しさや強さも必要だと

思いますが

 

同じように

あたたかくただひたすら受けとめる

そんな母の存在も必要だと思うのです。

 

 

私は女性なので 

そうしたい気持ちが大きいのかもしれません。

 

 

そして 両者の両輪が いいバランスで

機能していくことこそ

豊かな世界なのかもハート

 

 

 

人は 赦され 愛され

本来の定位置を思い出していくもの

と思っています。

 

 

「あ〜自分ってほんと人を責めてばっかりだったな。」

 

 

これに気づけたことが

cpmセッションの醍醐味でした。

 

 

「人にいいたいことは自分も言われていたこと」

 

これ はじめ自分自身でやるときって

お手柔らかにしちゃうんですよねw

 

 

みたくないところは 華麗にスルーしちゃうw

 

 

それを 「スルーさせないわよっ!」

みたいなかんじで 拾っていくのが

メールセッションです。

 

 

そして 最後に

 

「ほんとこんなことやっちゃってたのね〜ハート

ふふふふふ〜〜」

 

って笑い飛ばして

 

もう幸せになってもいいよね♡

 

と自分で自分に許可できるように

なってほしいなと思っています。

 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

 

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