京都は 感動するくらいの
桜満開の景色です。
鴨川沿いに 桜が咲き誇り
本当に美しくて
うれし涙がでます。
下を向いていた顔をあげれば
満開の桜が
目に飛び込んでくるかもしれませんね
単純に
いま だしているのは
安心なきもち?
満たされたきもち?
幸せなきもち?
いっしょに楽しもうって気持ち?
それとも
さみしいきもち?
怒りのきもち?
責めたいきもち?
無気力なきもち?
というふうに
ただただ 意識していけばいい
と 思っています。
そして 少しでも
さみしいきもちや
怒りたいきもちを感じて
自分自身が気分がよくないのであれば
少しでもここちよくなるように
整えてあげることが
自分にやさしくすることかな〜
と思っています。
難しいことを考えてしまうときは
問題をどうにかしたいために
解決策を
ずっと探してるとき
でもあるので
問題がある
という前提が崩れないので
「だって・・・」
「でも・・・」と
いいたくなることが
どうしてもでてきてしまうかも。
本来 人間は
失うことへの恐怖が
インプットされています。
それは 死への恐怖
ともセットになっている。
それが 怖いから
逃げて 逃げて 逃げようとします。
ただ 私は
100%自分原因説で考えてみると
「生まれたこともなければ
死んだこともない」
という 不思議な説を感じていくと
そっちのほうが
真実だなって
理屈じゃなくて 感じるわけです。
死が幻想だとしたら?
減る なくなる という
不足は 幻想でしかない
ということにもなります。
減らないし なくならない。
これを採用すれば
増えるし すでにあるし
が 視界に飛び込んでくるということ。
当たり前にもっていすぎて
きづかなかった
不足の思考の
手綱を緩めてあげること
それが
安心や快適や幸せを
運んできてくれる ということ
なんだな〜と思うのです。
桜がきれいに咲いてくれること。
顔をあげれば
きっと きっと 見えるはずです。
あなたのほうを向いて
咲いている桜を
見ないフリなんてしないでね
読んでくださってありがとうございます。
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