自分のしたいことは 何なのか?

解らない人も多いと思います。


少なくとも 私はそうでした。


自分がどんな仕事に就きたいのか

それも わからない。


下手したら 自分が何を食べたいのか

そんなことすら わからなかった。


自分で決められない自分・・・


それで 自分を生きていることになるの?


何かを決めるときは

成功しなくちゃいけない

というか 失敗できない

という気持ちが常にあって

自分の気持ちなんて

ちっとも聞いてきませんでした。


人を見て決めるなんておかしいじゃない。


だけど、周りのものが

なぜかキラキラしたものにみえた。


私は 私を生きることをせず

私は 私を信じることもせず。


だけど どこかで私は想ってた。

私を 生きてみたい。


そして 少しずつ 少しずつ

そのときどきで 自分の好きなこと

やりたいことを やってみる

ということをやりはじめました。


いままでの私なら

もったいない と思ってやらなかったような

ことだったり

そんなの何かになるの?

というようなことだったり。

それでも 自分がしたいことは

おもいきってやってみました。


そして

その延長線上に 

セラピストのお仕事がありました。


私がセラピストとして

やっていこうかどうか というときに

ある出来事がありました。


ある人の相談に乗っていたときのことです。

相手はパニックに陥っていました。

電話だったのですが

相手は電話の向こうで切羽つまっています。


私のあるスイッチがオンになりました。


呼吸の間隔も変わり

言うことも 私のような

私でないような・・・


言葉がゆっくりとでてきました。


相手はどんどん 落ち着いていきました。


過呼吸のようになっていた呼吸も

穏やかになっていき

「もう、大丈夫。ありがとう。」と

その人は言いました。


そのとき 私は

これをやっていけばいいんだ

と 妙に納得したのを覚えています。


そのとき 私は 1番リラックスしていました。

たとえ 相手がパニックに陥っていても

私は 大丈夫を信じることができた。


そして 実際 大丈夫になったから。


自分を信じたとき・・・

それは 相手のことも同時に信じられるときなのです。


読んでくださってありがとうございます。